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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第三十九回 児相利権

しろありに なりてたからを くひつぶす あしけびとにて くにほろびなむ
(白蟻に生りて宝を食ひ潰す悪人にて国滅びなむ)


我が国は、平成27年度の税収が54兆5250億円であるのに対し、社会保障関連費が31兆5297億円を占めてゐます。税収の57.8%が社会保障関連費用であり、これを厚生労働省が所管してゐます。そして、歳出予算で不足する約40兆円は借金で賄つてゐるのが我が国の現状です。


昭和の時代は、年を追ふ毎に財政に占める軍事費の比率が鰻登りとなつた時代で、昭和19年では、85.3%にまで達しました。昭和初期に高橋是清が大蔵大臣になつたときでも、漸増傾向に歯止めが利かず、その比率は30%~40%でしたが、それでも軍事費の異常な大きさが国家経綸の大問題だつたのです。


後付けの理屈として、これを「軍事国家」の時代だと批判することは簡単ですが、この時代は戦争や事変が間断なく継続してきた時代なので、正確には「戦時体制」の時代と言ふべきです。「軍事国家」といふのは、平和時においても軍事力を強化し、先制攻撃を仄めかし、軍事力を背景とした恫喝外交と領土拡大などを狙つてゐる中共や北朝鮮などに当てはまる言葉なのです。


ともあれ、「軍事国家」は批判されますが、「福祉国家」は批判されません。むしろ、今もなほ歓迎されてゐます。しかし、軍事も福祉も国家にとつて必要なものなので、「軍事」だけが批判され、「福祉」は批判されないといふことは不思議です。

批判されるべきは、国家財政において余りにもそれが異常な負担となつてゐることであるはずです。


福祉、年金、医療、介護といふ言葉を聞くと思考停止して多くの人は誰も反論しませんし、政治家は、これに反論すると落選しますのでタブーになつてゐます。


しかし、税収が54兆5250億円しかないのに、社会保障関連費が31兆5297億円を占め、不足前の約40兆円を借金して組み立てる国家財政は、誰が見でも不健全であり異常事態です。こんな不健全な国家が「福祉国家」だと自慢することは決してできないはずです。


家計に喩へると、収入が月収50万円の家族が、医療品や病院代や小遣ひなどで30万円を使ひ、残りの食費や教育費、防火・防犯のための費用、住居費、熱水光熱費などに必要な経費の不足前を毎月40万円借金し続ける生活が健全であるはずがありません。いつまでもこんな生活が続くはずはないのです。


ところが、我が国は、そんな国家運営をしてゐます。ですから、我が国は「福祉国家」ではなく、「異常福祉国家」、「過剰福祉国家」と言ふべきものとして認識しなければなりません。


世界には、これと同じ異常さ、過剰さのある国家はどこにもありません。そして、税収の約60%の巨額な資金を差配する巨大官庁の厚生労働省が存在してゐる国家も我が国以外にはありません。年金、医療、介護の予算を少しづつ減らそうとする意見と傾向はありますが、「福祉」については、厚生労働省の利権の中核となつてゐる聖域です。

その中で最も予算拡大傾向にあるのが「児童福祉関連予算」であり、それが児童相談所(児相)を中心に仕組まれてゐます。


敗戦の混乱期のさなかに制定された昭和22年の児童福祉法は、第1条第1項に、「すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。」とあり、同条第2項には、「すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。」と、児童に対する慈愛と愛護に心に満ちた目的を掲げてゐます。しかし、この法律が制定されるに至つた動機と背景は、このような美辞麗句の言葉で包まれるほど素朴で単純なものではなかつたのです。


昭和23年版の「朝日年鑑」によると、戦争孤児が約12万人存在し、そのうち、生き延びるために犯罪に手を染める子供とその予備軍を「浮浪児」と蔑称して、「少年犯罪の8割は浮浪児に関係したもの」(昭和21年7月17日付け毎日新聞)とされてきました。警察庁の犯罪統計書によると、少年刑法犯が、敗戦時の昭和20年には約5万4500人であつたのが、翌昭和21年には倍増して約11万2000人となり、昭和23年には約12万5000人に達したのです。戦争孤児数の内での浮浪児の数は当初は約3万5000人とされ、戦争孤児以外の浮浪児の実数は10万人を超えると推定されてゐました。


東京の上野駅やその地下道では、浮浪児や成人の浮浪者(ルンペン)が溢れ、数多くの餓死者、病死者の搬出と入れ替はるやうに、浮浪児や浮浪者がそれ以上に大量に流入する状態でした。


野坂昭如著『火垂るの墓』という私小説は神戸が舞台であり、配給食糧が貰へない戦争孤児の兄妹が、懸命に生きやうとしたものの最後は餓死してしまふ物語ですが、このやうな現象は、何も東京だけでなく、全国各地で見られたのです。浮浪児は、この当時、慈愛と同情が向けられた対象ではなく、ルンペン(浮浪者)と一体のものとして嫌悪と憎悪の対象であり、犯罪者と同様の蔑称だつたのです。


このやうな敗戦の混乱期に、戦争孤児と浮浪児を社会から隔離する目的で児童福祉法第33条の「一時保護」の規定を設けられたのです。これは、児相の所長の権限として、所長が「必要があると認めるとき」は、令状を不要とし、第三者機関による事前事後の審査もなしに児童を一時保護と称してその身柄を拘束し、2か月毎に際限なく所長の判断だけで更新できる強大な権限です。


ところが、その1年後に制定された警察官職務執行法第3条にも、「迷い子」などを保護する規定が設けられましたが、その保護は、24時間を超えてはならず、引き続き保護するためには、簡易裁判所の裁判官の許可状を必要とし、その延長に係る期間は、通じて5日を超えてはならないとしてゐます。


この違ひは何なのでせうか。警察官職務執行法第3条と同じやうに、極短期で、しかも裁判所の令状が必要とするのが世界基準なのですが、児童福祉法の一時保護の制度は、あまりにも適正手続の保障を無視したものでしたが、緊急事態だといふ言ひ分けで決められてしまつたのです。


それどころか、児童福祉法の一時保護が想定してゐた戦争孤児や浮浪児は、高度経済成長期を経て現在に至るまでの経過の中で、もう一人も存在しません。法律の制定には、その立法化を必要とする事実(立法事実)が必要ですが、その立法事実が存在しなくなれば法律の存在根拠を失ふのです。


ですから、児童福祉法第33条の「一時保護」は、警察官職務執行法第3条の「保護」と同様の要件として、立法的に統一せねばなりません。しかし、厚生労働省は、戦争孤児や浮浪児が居なくなつた現在において、これに代はる子どもを児相に送り込まなければ児相の組織が大幅に縮小されて組織が維持できなくなるので、組織防衛のために一時保護する子どもを無理にでも増産して児相に送り込まなければならなくなるのです。


そして、これを推進する原動力となるのが、児相に関する予算制度にあります。「保護単価」、つまり、子ども1人、1か月間を一時保護すれば、それの人数が増えれば増えるほど、期間が延長されればされるほど、それに比例して予算が獲得できるシステムになつてゐるのです。警察組織にこのやうな予算システムと同様の「逮捕単価」制度を導入すれば、不当逮捕、不当勾留が激増する傾向が生まれることになりますが、警察の場合は令状主義の制約があるので過度な情況にはならないものの、児相の場合は、全て無令状でできるために、全く歯止めが利かないのです。


これだけではありません。まだまだ児相利権の問題は根深いものがあります。そこで、これまで私が児相問題に取り組んできたことを集大成するために、水岡不二雄氏(一橋大学経済学研究科特任教授)との共著(共作)で、『児相利権』(八朔社)といふ専門書を上梓することになりましたので、興味のある方はご覧になつてください。

南出喜久治(平成27年11月15日記す)


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