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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百七十回 飽和絶滅の危機 その十四

ほやのきが はげしくしげる そのはてに さくらほろびて ともにつひゆる
(ほやの木(宿り木)が激しく茂るその果てに桜(宿主)滅びて共に潰ゆる)


病気の予防と治療については、特に、感染力が強く死亡率の高い危険な感染症については、その事態が起こつてからではなく、予めそれを想定した対策が当然に必要です。

しかし、武漢ウイルスは、インフルエンザ並がそれ以下であることが解つてきましたので、これまでの過度な認識を改めなければなりません。


ともあれ、一般的に、感染の拡大を食ひ止めるのは、免疫力向上のために家族の日常生活の改善を全員が取り組むことが出発点になります。家族の絆を深めめためには、単に、病気を防ぐといふ消極的で恐怖感を抱いた考へでは長続きはしません。


これを長続きさせ、人類のこれからの永続した生活指針を積極的に雄々しく打ち立てるには、日々積極的に祭祀を復活させ実践することです。祖先への感謝、自然の恵みへの感謝、英霊への感謝をする日々の祭祀を実践する中に、免疫力向上のための生活習慣、食習慣を取り入れて行くことが、より一層必要となつてきます。


決して徒然なるままに生きてはいけないのです。

徒然と言へば、卜部兼好(吉田兼好)の「徒然草」が連想されますが、彼は、神祇官を出す神職の家柄であつて、父兼顕も吉田神社の神職でしたし、自らも六位蔵人まで務めました。しかし、計画的に自由業の文化人として生計を立てるために計画的に、ちやつかりと土地まで購入して出家します。神職の者が出家するのですから、ご都合主義の典型ですが、信仰とか信心といふものは生きるための単なる方便であると合理的に割り切つた人物だつたのです。


そして、この徒然草の第59段には、こんなことを書いてゐます。


大事を思ひ立たん人は、去り難く、心にかゝらん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。・・・・


と書き連ねて、最後に、


老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨て難しとて捨てざらんや。


と言ひ放ちます。


「大事を思ひ立たん人」の大事が、祭祀を捨つべきものであるはずがありません。祭祀を捨てなければならない大事といふものは、大事ではありません。それは悪事なのです。これは、利己主義、個人主義の極地です。兼好は、自分の立身出世のためには、老いたる親も幼子も捨て、忘恩と非情の輩になつて、これの妨げとなる一切の絆を断てと言つてゐるのです。


この武漢ウイルス禍では、祭祀を捨てて個人主義を貫けといふ風潮と誘惑が強く働いて居ますが、徒然草を見直せといふ論調も、この流れに沿つたものであることを自覚する必要があります。この流れに立ち向かふためには、これまで以上に、家族主義を揺るぎのない基軸として守り、祭祀に真剣に取り組まなければならないのです。


ともあれ、現下における感染症の予防対策を充分にすることは、官民挙げて取り組む必要がありますが、それでも病気になる人は出ます。それを少しでも食ひ止めるためには、どうしても政府の役割が必要になります。政府が主導し、民間の研究機関や医療機関などとともに、治療方法と治療薬の開発が日々行ひ続けることが必要です。


予防のためのワクチン開発といふ愚行ではなく、治療のための血清療法などの医療法や新薬開発などです。


治療方法は様々なものがありますが、血清療法を例に取つて説明しますと、これは、「引き算」による進歩が認められるものです。

感染症に罹患した人の血漿には様々なものが含まれて居ますので、病原体となる細菌やウイルスに罹患した人の血清から中和抗体(病原体感染阻止能(中和能)のある抗体)などを取り出すことが必要になります。しかし、血清の中には、病原体を攻撃する抗体だけではなく、それ以外の不純物も含まれてゐるので、その不純物による副反応をなくすために、これを取り除いた上で、その病原体に対する純粋な抗体のみを抽出し、それを体内に注入する必要があります。現代の血清療法の研究は、これに挑んで日進月歩を続けてゐるのです。


これに対して、現代のワクチン開発は、治療ではなく予防のためだとしてゐますが、生ワクチンではなく、それ以外の、不活化ワクチン、ウイルスベクターワクチン、メッセンジャーRNA(mRNA)ワクチン、DNAワクチン、組み換へたんぱく質ワクチン、組み換へウイルス様粒子(VLP)ワクチンなどは、すべて「似非ワクチン」です。このことは前にも述べたとほりで、病原体の藁人形とか、蝋人形とか、人相書きや手配写真を体内に接種すれば、これによつて抗体ができるといふ「仮説」を立てただけで、それが科学的に証明されないのに、世界的に蔓延させてゐる疑似科学の医療産業なのです。


そして、藁人形、蝋人形などをさらにアンドロイドのやうにして限りなく本物の病原体に近づけるために、様々な科学物質や添加物など付け加へて行きます。つまり、「足し算」による開発なのです。


そして、この足し算で加へられた物によつて、体内で様々な副反応、アナフラキシーなどの弊害が起こるのです。


天然痘の場合は、ジェンナーが召使ひにその子供を人身御供にして人体実験をし、牛痘(前に説明しましたが、これは結果的には馬痘)を接種する方法を考案しましたが、これは類似する病原体の生ワクチンでしたので、人痘の生ワクチンではありません。


むしろ、紀州藩において、「北の青洲、南の逢洲」と讃へられた、逢洲こと小山肆成は、独自に牛痘に罹つた牛の血と膿を妻の献身的な協力のもとで接種し、牛痘の発症から回復した妻の瘡蓋を種にしてこれを培養して広く接種を行つたといふ例がありました。これは、その後、とのやうな効果があつたかは検証されてゐませんが、ジェンナーの馬痘よりも効果があつたと思はれます。


種痘が普及した時期は、コレラの拡大時期と重なり、衛生観念、防疫意識の高まりによつて衛生環境が改善されたころであつて、種痘が天然痘の拡大を抑へたとする証明はされてゐません。


つまり、このやうな牛痘、馬痘は、人痘の生ワクチンではないために、これの効果があつたかは証明できて居ないのです。

前にも述べましたが、牛痘、馬痘の生ワクチンは勿論のこと、一部でなされた人痘の生ワクチンは、いはば「易しい模擬試験」に過ぎません。


なほ、一部で行はれてきた人痘といふ方法のやうに、病原体を直接に人体に吹き込むといふ方法は、いまでは人間に対してはされなくなりましたが、動物実験では「攻撃試験」といふ名前で、いまもされてゐます。これを人に施すことは危険なことですが、理屈上は本試験ですから、結果は直ぐに出ます。


いづれにせよ、弱まつた病原体に体内に入れて抗体を作つても、それが本来の強い威力のある病原体の抗体として有効性があるかは未知だからです。

「易しい模擬試験」に合格点を取れても、「難しい本試験」で合格点が取れるとといふ保証はどこにもないことに異議を唱へる人は誰も居ない筈です。


言ひ換へれば、天然痘ワクチンを接種しても問題がないといふことは、天然痘に罹患しないため必要条件であつて、十分条件ではないといふことです。


これが十分条件であることを証明できてゐないことからして、科学的証明がなされてゐないのに、これが疑似科学として世界に蔓延したのです。この疑似科学こそ、世界最大の「社会的な感染症」、ワクチン真理教なのです。


そして、それが、似非ワクチン開発競争に火を付けました。さらに、これに便乗して、似非ワクチン開発には、別の目的が加はります。


それが、前にも述べたとほり、ビル・ゲイツ氏が、平成22年1月、ダボス世界経済フォーラムにおいて、開発途上国の子供向けに感染症ワクチン開発(子宮頚がんワクチン含む)に今後10年間に100億ドル(約1兆円)規模の投資を行ふと発表し、同年2月にも、ビル・ゲイツ氏の傘下にあるビル&メリンダ財団を通して世界中にもっとワクチンを送り込み、新たなワクチンや医療、生殖健康サービス(要するに中絶推進)を本当にうまく使へば、世界の人口を10%から15%程度は減らせるとの希望的予測を発言しましたことに繋がつてゐるのです。


ですから、免疫学、感染症学などのワクチン開発に絡む研究と研究者は、だれも反ワクチンを唱へることできません。口止め料を貰つてゐるので、似非ワクチン開発と普及に旗振りするだけです。メディアに出てくる学者や研究者だと自称する者のすべては、顔には「国際オロチの奴隷」といふ文字が透かし彫りされてゐるので直ぐに解ります。


いま、ワクチン、ワクチンと言つて、世の中は大騒ぎです。しかし、似非ワクチンが国際オロチの戦略的兵器として使はれてゐることを自覚しない政府と衆愚は、これが、接種されれば、集団免疫が作られて国民が守られるといふ幻想を抱いてゐても、それか嘘であることに気付くことになります。


いまのワクチンは、有害な似非ワクチンであり、これを接種して免疫ができると信じることは、狸が枯れ葉をお金に変へられることを信じてゐることと同じです。


しかも、変異ウイルスに対しては効き目がない上に、いまの接種の方法と接種の速度からして、いつまで経つても、効果が持続するとされる6か月以内に国民の6割、7割が接種して集団免疫ができる状況に達成できません。イタチごつことなり、国民は永遠に接種を継続することになるのです。


また、ウイルスに罹患してゐない者に対して予防としてワクチン接種をするのであれば、その者がウイルスに罹患してゐる場合はどうなるのでせうか。罹患してゐるのに、ワクチンを接種すれば、本来の罹患状態に加へて、いはば疑似的にワクチンで罹患することになりますが、これによつて一体どうなるのでせうか。これについての安全性の証明は全くありません。

接種する際に、医師の問診を受けることになつてゐますが、果たして問診だけで、それが解るのですか。問診する医師に問診するだけで診断できる能力があるのですか。このことは、PCR検査をしても解らないのです。精密検査をして確定診断をしなければ、ウイルスに感染したか否かは診断できないのです。


政府は、そのことを見越したのか、これまでは、感染予防効果があるとしてゐたものを、いまでは、重症化予防効果もあるなどとして、感染した者でも接種せよと言ひ出したのです。本当に安全で有効だとといふ証明もないのに、よくもこんな無責任なことが言へたものです。


それに、感染症法の2類相当の指定を5類に変更すればこれまでの騒ぎが収まるのに、ワクチンを普及することが至上命題であるために、いつまでも2類相当の指定を変更しません。ですから、インフルエンザ・ワクチンとは違つて、武漢ウイルスワクチン接種については法律上の「努力義務」を課してゐます。


しかし、既往症やワクチン接種のアレルギー反応の経験がある人や、ワクチン接種を拒絶する思想的、宗教的、良心的な拒絶者に対しては、努力義務を免除すべきですし、それ以外の人であつても、漠然としたワクチンへの恐怖と不安を感じて接種したくない人の自由までも侵害してはならないのです。


特に、アストラゼネカ製のワクチンが、接種後に血栓症を発症する事例が増加し、死亡例もあることから、英国と欧州医薬品庁(EMA)は、警鐘を鳴らしてゐます。


そして、わが国でも、アナフラキシーは殆ど女性に発症し、その比率は世界と比較して極めて多いことが発表されましたが、これが何を意味するか不明です。女性には、男性と異なり、妊娠・出産といふ体の特別な機能があるため、表面的にはアナフラキシーの症状が消えても、長期に亘つて臓器に様々な異変、病変をもたらす可能性を否定できません。やはり、ビル・ゲイツが人口削減のための「断種ワクチン」を普及させようとすることの表れなのかも知れません。


ところが、政府は、接種した者と接種しない者との二分法で、ワクチンパスポート(接種証明書)を発行する予定ですが、そのやうなことは、ワクチン拒絶者や未接種者を不合理に差別し、集会等への入場禁止、入出国制限などを行はうと目論んでゐるからであつて、努力義務を実質的には「接種義務」があるとことど同じやうに運用してゐるのです。


以上のことからして、いま、私たちが、刻下の急務としして行ふべきことは、第一に、感染症法2類相当の指定を5類に変更させることと、第二に、努力義務規定の削除を求める運動をすることなのです。

南出喜久治(令和3年5月1日記す)


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