自立再生政策提言

トップページ > 自立再生論02目次 > R03.08.15 第百七十七回 飽和絶滅の危機 その二十一

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百七十七回 飽和絶滅の危機 その二十一

ほやのきが はげしくしげる そのはてに さくらほろびて ともにつひゆる
(ほやの木(宿り木)が激しく茂るその果てに桜(宿主)滅びて共に潰ゆる)


前回予告しましたとほり、平成25年製作のアメリカSF映画『エリジウム』(Elysium)でイメージされた世界リセット計画(人類5億人、選ばれたイルミナティ1000万人、その他は家畜と奴隷)に代はるべき世界を我々は描くことができるのかについて、今回以降において述べることにしますが、そのことを描くについての必要な条件整備をしておく必要があります。


それは、我々が国際オロチの描く世界と同じ社会構造を維持してゐる限り、国際オロチの世界に我々は早晩飲み込まれてしまふことになるからです。それは、どんな社会構造なのか、といふことについて説明する必要があります。


それは、皆さんが当然だと思つて馴れ親しんでゐる「分業体制」です。


分業体制が確立してゐない時代には、国際オロチは誕生してゐません。国際オロチは、世界の分業体制が生んだ怪物なのです。


ここで言ふ分業といふのは、「経済的分業」のことです。分業の概念には、他に「社会的分業」といふものがありますが、これは、社会関係における規範や慣習その他の権力関係などによつて、性別、長幼、身分などの地位によつて役割が分けられるといふもので、ここでは触れません。


そもそも、分業(経済的分業)といふのは、生産過程における効率性を高めるためにとられた役割分担のシステムです。財を生産するについて、その工程をすべて一人だけで行ふのは、非効率的であつて時間がかかり、生産量も限られます。


つまり、分業とは、生産の効率化と生産量の増大のためのものであり、大量生産と大量消費の経済の拡大のための前提となるのです。


このような分業のシステムは、アダム・スミスによつて理論的に定式化します。それは、『国富論』の第一編の「分業」で論じてゐます。

そして、その概念は、デヴィッド・リカードの国際分業理論(比較生産費説)やカール・マルクスによつて展開されます。そして、分業の拡大は、世界規模となつて、国際貿易によつてさらに拡大するのです。しかし、マルクスは、資本主義社会を批判しながら、それを拡大させる手段としての自由貿易に賛成するといふ自家撞着に陥りました。


このやうに、分業が際限なく拡大し、自由貿易を推進して、国際的な分業体制となり、大量生産、大量消費による資本主義を成長させ、財とサービスを商品とする実体経済が頭打ちとなつて限界に達すると、最終的には、通貨その他の金融商品をも商品化して、金融資本主義へと生み、GDP至上主義と一体となつて分業社会システムが作られて、益々国際オロチは肥大化して行くのです。


ともあれ、「分業」といふことについて、具体的な例によつて説明することにします。アダム・スミスは、分業の説明をするについて、ピンの製造を例にしましたが、洒落のやうですが、どうもこれではピンとこないので、以下では、机を製作することを例に挙げます。


ある人が勉学のための机が欲しかつたとします。しかし、その人は、机を作る知識や技術がありません。自ら勉学し工夫して作ろうと努力しますが、どうしてもできないことがあります。それは、原材料の調達は他人に頼まなければなりません。自分が所有したり管理したりする森や林がないのであれば、そこから切り出して乾燥させて製材することができません。さうすると、誰かに頼んで調達しなければならないからです。しかし、自分がそれをできなくても、家族や親戚、それに住んでゐる村などの共同体の社会に、それができる人が居れば、その人に頼むことになります。そして、机が完成してその人が使へることになります。


ここまでは、少なくとも共同社会内で解消できることです。そして、これも小さな範囲内での分業なのです。人は、一人では生きて行けないので、何もかも一人ですることは困難です。これは、共同社会内での分業であり、そもそもこの共同社会内分業ができることが共同社会の本来的な存在意義なのです。


ここでの共同体といふのは、家族、部族などの血縁的、地縁的な相互扶助による「村落共同体」であり、生活共同体であると同時に、祭祀共同体なのです。祭祀は、祖先祭祀、自然祭祀、英霊祭祀であり、家族、部族などの村落共同体の要となつてゐました。


ところが、これから切り離された経済生活分業体として様々な村落共同体から離脱した人々で人口が集中した都市が形成されます。

都市形成の目的は、経済的分業化です。ですから、都市は、祭祀共同体ではありません。しかし、現代都市は、昔の祭祀共同体(村落共同体)として存在してゐた「城下町」などの「町」に、明治時代以降に人口が集中したものが多くあります。

どうして「町」から「都市」になつたかと言ふと、それは、士農工商の身分制度が廃止され、経済活動を促進させるために、帝國憲法は、臣民の権利義務において、信教の自由(第28条)や表現の自由(第29条)よりも序列上は優先した権利として、住居及び移転の自由(第22条)を定めたことと大いに関係があります。


江戸時代の身分制度では、住居及び移転の自由は制限されてゐました。

織田政権時代の楽市楽座のやうに自由な経済活動が許されてゐた場合は、身分制度の固定化はなく、住居及び移転の自由も制限されてゐませんでしたが、これが豊臣政権、そして徳川政権になると、身分制度が固定化され、住居及び移転の自由が制約されることになりました。


明治政府は、この制限を撤廃しなければ、資本主義経済の発展が望めないことから、住居及び移転の自由(第22条)を臣民に認めなければならない最優先の権利としたのです。


これにより、町へ自由民が流入して都市になりました。

町の旧住民と流入した新住民とは、あるときは対立しつつも、次第に融合して、網の目状の分業体制の社会となり、町に古くから存在した「村落共同体」は徐々に崩壊し、都市といふ広域の「利益共同体」へと変質します。


つまり、農村などの村落共同体内での分業が、都市の利益共同体による分業へと移行することによつて、祭祀共同体は崩壊して行つたのです。


これは、「農村の都市化」といふ現象です。この行き過ぎた状況に対して、ポル・ポトのやうに、都市を解体して農村を再興させろと言ふつもりはありません。


それよりも、分業体制の集約化としてなされてきた都市の将来は、「都市の農村化」を志向してゐるのです。それは、具体的には、都市生活者の家庭における食糧自給率を向上させる方向なのです。今の都市生活者の食糧自給率は限りなく零(0)に近いのですが、これを100にしようとする試みです。


これが自立再生社会の構想の一つです。これにより、常にお話ししてゐる「本家祭國」へ向かふのです。

「理性、個人、宗教、主権」を糺し、「本能、家族、祭祀、國體」を自覚して実践することです。


そのための第一歩として、「福祉」の根本を糺す必要があります。


親孝行は分業できません。してはならないのです。


福祉の名の下に、年老ひた親や近親の心身障害者を施設に預けて、自分たちは金銭を支払つて介護を免れてゐます。

これは、税制のあり方とも関係するものです。本来は、核家族に重税を課して、大家族化する方向に誘導して、税制において大家族を優遇する政策転換を前提とすれば、大家族の中で福祉は吸収されるのです。


さうすれば、福祉事業に携はる職員の年老ひた親が他の福祉施設で世話になつてゐる虚しい社会でなくなります。


現実に支配してゐる社会構造において、少なくともこれを淘汰しなければ、国際オロチに対抗し、淘汰することは不可能です。これは、極めてハードルが高いもので、だからこそ国際オロチは自己の目的達成に自信満々なのです。


立身出世といふ言葉がありますが、これは、野口英世のやうな希代の親不孝者を正当化する言葉です。

福祉施設といふ現代の姥捨て山に、親や肉親を金を出して預ける(遺棄する)ことを平然と行ひ、さうすることについて自己正当化して開き直るやうな人生を送る者に、中江藤樹の爪の垢でも飲ませたいものです。


南出喜久治(令和3年8月15日記す)


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