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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第二百一回 祭祀の民 その十

おこたらず あまつくにつを つねいはひ まつりてはげむ くにからのみち
(怠らず天津國津(の神々)を常祭祀して励む國幹の道)


武漢ウイルス騒動が、3年も続いてゐますが、ウイルスにもいろいろあつて、レトロウイルス(Retro virus)などのやうに、人類の起源と進化に密接な関係があり、切つても切れない共存関係にあるとされてゐるものもあります。


騒動の始まりは、反ウイルスといふ異常な敵対心と恐怖心からゼロ・コロナ政策(コロナ撲滅政策)によるものでした。いつの間にか少し余裕ができたのか、ウイズ・コロナと言ひ出しましたが、人類は初めからウイズ・コロナだつたのです。


いまでも中共ではゼロ・コロナを信奉して撲滅のために都市封鎖(ロックダウン)を基本とした政策がとられてゐますが、これは生活上の大きな支障をもたらすものの、ある意味で、これまでの分業体制にブレーキをかけ、自給自足の契機となる要素を含んでゐるのです。

別の視点で捉へると、都市封鎖は、実体経済の重要性を見直して、それを強化する契機となります。


人類の歴史において、ウイルスとの戦ひは今に始まつたものではありません。欧州でも、感染症が広がると、感染拡大を防ぐために、村を閉鎖して外との交流を断つことがありました。


たとへば、数年で欧州全域に大流行し、人口の60%が死亡したとされる黒死病について、英国中部のイーム(Eyam)村では、これ以上他所に拡散させないために、村全体を自ら隔離孤立して、黒死病の終息を実現したと喧伝されてゐる事例がありました。


「村からは誰も出さず、誰も入れない」といふ自発的隔離によつて、近隣の村への感染を抑へる目的を実践したとするものです。


それは、基督教暦1665年9月から翌年12月に終息するまで、総数350人の村民が、80人に激減したとあります。しかし、この人口減がすべてが感染症で死亡したとする記録はありません。老衰や他の病気で死亡した人数もあるはずですが、最後には4分の1の人口となつたといふことです。その後は復興して現在では約千人弱の人口の村となつてゐます。


これをキリスト教的な犠牲の精神であると喧伝されることが多いのですが、治療方法も予防方法も全く解らない時代にあつて、村を閉鎖してもしなくても被害の程度は変はらない筈でした。

むしろ、村を閉鎖せずに解放すれば、村民の大半が村を逃げ出し、村には誰も居なくなり、村も教会も崩壊します。閉鎖することによつて、村と教会の崩壊を防いだといふべきなのです。

村民が逃げ出すことによつて、周囲に黒死病を拡散させることになり、村の不名誉となつて、誰も村に戻つて来ないし、復興もできなくなるとして、教会が村の存続といふよりは教会の存続のために村の閉鎖を決めたのです。


また、イーム村で黒死病が終息したために近隣が終息したのではなく、イギリス全域において、人々の免疫力が高まり、防疫の効果が上がつたために同時的に終息したのです。


いつの時代も、感染症は、感染拡大→免疫力の獲得→発病率の低下→終息といふプロセスを辿ります。感染者が増加した後、しばらくして減少に転じ、そのやうな「波」が繰り返されて最後には終息します。これは、感染症の性質であり特徴です。


もし、ワクチンの効果があるのであれば、接種後に「波」が起こることはありません。波が起こることは、ワクチンが効かないことを疫学的に証明してゐるのです。


衛生観念が浸透し、衛生環境が改善され、終息方向に向かつたころになつて、効くこともないワクチンが開発されたと喧伝されることによる安心感がプラシーボ効果となつて、免疫力を低下させる原因となるストレスを減少させて、免疫力が高まるのです。


「彼は、ワクチンなるものを作り出し、誤つた安心感を与へ、何の利益ももたらさなかつた。そして、記録に残つてゐないワクチンを受けた多くの人々の多くの命が失はれたのである。」


この言葉は、細菌学者であるアリステイデス・アグラモンテの言葉です。昭和4年8月6日に、TIME誌にアグラモンテが投稿した論文の一節にある言葉です。


この「彼」とは、野口英世のことです。丁度、5年前の、ちくらのおきど「第八十回 中江藤樹」(平成29年8月1日)で述べましたが、他に先駆けてワクチンを開発して利益や名声を得やうとして大きな罪を犯したのです。これは野口英世個人だけでなく、製薬会社についても同じです。今の新型コロナワクチンも同じ過ちを繰り返してゐるのです。


野口英世が1000円札の肖像画になつてゐるのは、政府が野口英世といふ殺人犯人を褒め讃へてゐるためであつて、野口がこれまで行つてきたやうに、殺人ワクチンを普及させ、ワクチン禍を発生させ拡大させる意図が政府にあることを意味してゐるのです。


ともあれ、感染症は、食事、運動などによる生活改善などで自然免疫力を高め、重篤な感染者には、治療薬を投与することによるべきであつて、予防としてのワクチンは百害あつて無益です。


イーム村の黒死病の終息は、村人が衛生意識を高め、手洗ひを実行し、生活習慣を改善して自然免疫力を高めた結果なのです。


このやうに、感染症は、人の命と健康と暮らしに対する脅威として、周期的に繰り返されるのですが、そのやうな脅威は他にも多くあります。最も大きなものは、食料とエネルギーの危機です。


食料の基幹となる農業生産物は、天候の異変による凶作、害虫の大量発生などによつて大被害を受けます。

予測を超える大地震、津波、火山活動、豪雨、土砂崩れ、河川等の氾濫、水害、飛行機の墜落事故、隕石の墜落、内乱や戦争でのミサイル着弾や爆撃などによる破壊・損傷、内戦やゲリラ活動による破壊、原発管理者の故意又は過失による行為などの自然的要因や人為的要因などは予測の範囲内のものです。特に、災害の多い我が国ではこれらの危険を無視することは到底できません。


昭和47年には、ソ連の穀倉地帯が凶作となり、それが今後慢性化すると予測したアメリカは、急遽、これまでの政策を一変させ、余剰穀物を「戦略兵器」としてソ連に提供する構想に基づいてソ連へ緊急輸出し始めました。


敵国に対して食料を供給することは、敵国を救ふためではありません。これは人道支援ではないのです。

敵国が他国からの食料支援に依存し続ける状態になれば、敵国との戦争時にはその供給を停止することによつて、敵国の経済を混乱させ、敵国民を餓死に追ひ込むことができます。それが火器を用ゐた武器を使用する以上の強力な兵器となるからです。


強力な火器を使つても、穴蔵に逃げ込んだりして生き延びることができますが、食料を止められたら、穴蔵に逃げても絶対に助かりません。餓死して絶滅します。


食料を戦略兵器に使ふといふことは、絶滅させる威力があるのです。


ところが、皮肉なことに、翌48年4月、今度はアメリカが異常気象による凶作となり、トウモロコシ、大豆がアメリカでは絶対的に不足しました。その結果、食肉物価の高騰を招き、同年6月27日、アメリカは、大豆の我が国向けの輸出を停止したのです。


この事件は丁度、第一次オイルショックの時期と重なり、この輸出禁止が長期化すれば、我が国の豆腐や醤油や納豆などは高騰し、最後には我が国の食料文化が完全に消えてなくなる運命にありました。


このやうな根本的な危機感のないわが国では、トイレットペーパーの買付騒ぎしか話題になりませんでした。釜中の魚が危機を感ずることなく、別の些末なことで騒いだだけでした。ところが、同年9月には、幸ひにも輸出停止が解除となり、わが国は難を逃れたのです。


この時、アメリカがソ連に大量の穀物を緊急輸出したときに関与したのが穀物メジャーであり、その後、国際金融資本での地位を確立して、実体経済を金融経済に取り込んで、賭博経済を推進させ、世界の経済を恣意的にコントロールされることになつたのです。


前回も言ひましたが、アメリカのブッシュ元大統領(パパ・ブッシュ)は、「食料自給は国家安全保障の問題であり、それが常に保証されてゐるアメリカは有り難い」、「食料自給できない国を想像できるか、それは国際的圧力と危険にさらされてゐる国だ」と繰り返し発言し、食料を自給してゐない国は独立国とは言へないといふ趣旨のことを言ひ続けてゐました。


それと同じことを、ロシアのプーチン大統領も言つてゐます。

食料とエネルギーが自給自足できてゐるロシアは「主権国家」であり、それ以外の国は「植民地」であつて、植民地は、主権国家に従属せねば生きて行けないといふ趣旨の発言を繰り返してゐます。


我が国は、巨大な香港島、油上の楼閣と看做され、アメリカからもロシアからも、そして中共からも、アメリカの植民地ないしは非独立国と認識されてゐるのです。

南出喜久治(令和4年8月1日記す)


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