國體護持總論
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宗教團體と宗教法人

ところで、一般にこれまでは「國家」の實相といふものを「統治」の面だけで捉へられてきたが、實は「統治」以外に、それ以上に別の重要な側面があることがあまり認識されてゐない。それは「祭祀」の側面である。つまり、國家には「祭祀」と「統治」といふ二つの側面がある。ここでは、この區別とその説明をすることを本題とするが、その前に、迂遠ではあるが、これと雛形構造的な關係にある「宗教團體」と「宗教法人」との區別、さらに、これと「營利法人」との比較についての説明から始めることとする。この「補助線」を引いて説明することが、本題の理解に資するからである。

「宗教團體」の設立は自由である。教義と組織の内容やその手續などを國に制約されることはない。それは、信教の自由(帝國憲法第二十八條、占領憲法第二十條第一項)が保障されてゐるからである。しかし、「宗教法人」を設立するには、『宗教法人法』(昭和二十六年法律第百二十六號)に定める設立手續を經て所轄廳の認證を受けなければならない(第十二條)。そして、同法第一條には、「この法律は、宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他の目的達成のための業務及び事業を運営することに資するため、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とする。」として、宗教團體に法人格を與へる目的を規定し、「宗教團體」と「宗教法人」との關係を示してゐる。つまり、宗教團體が宗教法人となつたとしても、宗教團體自體が消滅するのではなく、その宗教法人とは不可分な存在として併存する。

宗教團體は、その本質的な祭祀(教義、儀式、行事など)とそれを支へる財務(財産の取得、處分、管理など)の各部門が一體となつて存在するものであり、宗教法人は、このうち、財務部門を擔ふものであるから、宗教團體が宗教法人格を取得したとしても、宗教法人の名義で不動産を取得できるなどの地位を得るだけであつて、宗教團體の本質に何らの變化も生じない。

宗教團體は、宮司、住職、教主、法主など、その呼稱はまちまちではあるが「祭祀主宰者」が存在し、その組織的性質は、專制君主制に類似した形態が多い。そして、その財務部門の關係を中心として設立された宗教法人には、その「財務主宰者」である「代表役員」といふ代表機關やその他の機關が設置され、宗教法人の組織や運營については、所轄廳の認證を受けた「規則」に基づくことなる。この「規則」は、宗教團體の祭祀部門について規定するものではなく、あくまでも財務部門の運營に關するものに限られ、「聖俗分離の原則」が貫かれてゐる。そして、同法では、「憲法で保障された信教の自由は、すべての国政において尊重されなければならない。従って、この法律のいかなる規定も、個人、集団又は団体が、その保障された自由に基いて、教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行うことを制限するものと解釈してはならない。」(第一條第二項)とし、さらに、「この法律のいかなる規定も、文部科学大臣、都道府県知事及び裁判所に対し、宗教団体における信仰、規律、慣習等宗教上の事項についていかなる形においても調停し、若しくは干渉する権限を与え、又は宗教上の役職員の任免その他の進退を勧告し、誘導し、若しくはこれに干渉する権限を与えるものと解釈してはならない。」(第八十五條)とされてゐることからしても、「規則」のうちで認證される部分には、これらの事項を含まないのである。

ここにおいて、宗教法人化した宗教團體には、宗教團體の祭祀主宰者と宗教法人の財務主宰者といふ二つの地位が生まれる。兩者が兼務されることが多いが、さうでないこともある。しかし、その場合でも、祭祀を主とし、財務を從とする關係から、二つの地位の序列は明らかである。

このやうな宗教法人の性質は、株式會社などの營利法人の場合と決定的に異なる。たとへば、個人事業の全部が「法人成り」して株式會社が設立される場合、個人事業のすべてが法人事業へと移行するので、個人事業は消滅して、それがそのまま株式會社の法人事業へと移行する。いはば個人事業が法人事業として生まれ變はる。個人事業では明確でなかつた事業經營と組織運營における規範が、「定款」といふ明文化された規範として認識されるのである。これは、營利事業には、當然のことながら祭祀部門がなく、專ら財務部門で構成されてゐるためである。家族ぐるみや一族総掛かりの同族事業の場合、創業の精神とか、家訓なるものが法人化後も事實上影響することはあるが、それは法的には會社の定款の埒外に置かれ、その法人事業における規範とはなりえない。この點が宗教法人の場合と決定的に異なるのである。

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