國體護持總論
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國體の固有性

ところで、以上のやうな國家に關する基礎的な檢討は、後に觸れるとほり、GHQ占領期から獨立に至るまでの我が國の基本問題を考察するについて必要なものであるが、これは、あくまでも國家に共通した屬性を踏まへての唯物論的なものであつて、決して國家の本質論ではない。國家には、それぞれ建國の精神があり、その國民の民度から生まれた國家の體質がある。それが「國體」(くにから、國柄、國幹)である。我が國だけに國體があるのではなく、すべての國家には、それぞれ特徴のある固有の國體がある。各國の國體の内容は一律ではなく、その國家の成り立ちと性質、さらに民度によつてそれぞれ異なるものであつて、君主制國家のみに國體があるのではなく、共和制國家にもその成り立ちと性質と傳統に根ざした國體が存在するのである。

この國體の「固有性」について、その昔、長州藩の明倫館學頭の山縣太華と吉田松陰との往復書簡による論爭があつた(文獻9)。吉田松陰は、我が國の國體の固有性を説き、「道は天下公共の道にしていはゆる同なり。國體は一國の體にしていはゆる獨なり。君臣父子夫婦長幼朋友、五者天下の同なり。皇朝君臣の義、萬國に卓越する如きは一國の獨なり。」としたのに對し、山縣太華は、「道は天地の間、一理にして、その大原は天より出づ。我れと人との差なく、我が國と他の國の區別なし。」とし「世界萬國皆同じきなり。」などとしたのである。この論爭を「特殊主義」と「普遍主義」の對立であるとし、これが帝國憲法の起草において、伊藤博文(普遍主義)と金子堅太郎(特殊主義)の論爭につらなつたとする見解(橋川文三、鶴見俊輔など)があるが、この指摘は正鵠を得てゐない。吉田松陰は、「同」(普遍性)といふ基底理念の土臺の上に「獨」(固有性)の上層理念があるとする重層構造を説いたのであつて、朱子學から一歩も出られない山縣太華のやうに、全ての國家が均一で單純平坦な理念構造であるとはしてゐないのである。その意味からすれば、吉田松陰の弟子であつた伊藤博文においても、決して「世界萬國皆同じきなり」といふ山縣太華の見識ではなく、「萬世一系」(第一條)といふ表現の中に、その國體の固有的核心を見出してゐたのであつて、金子堅太郎との論爭は、帝國憲法の中に、その國體の固有的内容をどの程度取り入れて表記するかといふ表現方法に關する技術論爭の域を出ないのである。

このやうな檢討を踏まへれば、一般には、國家の種類と性質を分類するについて、君主制、貴族制、共和制などに分類する方法があるが、これは、主に統治態樣による分類であつて、このやうな分類だけでは、さほど有用なものとは思はれない。それよりも、國體の具體的な内容の視點から、古來からの國體の繼續及び存在を肯定する國家(傳統國家)とこれらを否定して建設された國家(革命國家)とに分類することの方が、國家の連續性の有無を判斷するについて有用である。そして、その基軸となるものが、前に述べた「祭祀」と後に述べる「世襲」であることはいふまでもない。

ところで、一般的に「革命」といふ言葉は、憲法次元において主權論による定義を用ゐるとすれば、憲法制定權力(制憲權、主權)の歸屬主體が變更された結果として憲法が變更される現象を意味するとされる。しかし、後述するとほり、この憲法制定權力(制憲權、主權)の概念自體に致命的な矛盾があるので、「革命」の概念としては、やはり、國體の全部又は一部を非合法的な暴力を以て解體する政治變革と定義することになる。

では、まづ、傳統國家といふのは、一般的にどんな特徴があるのか。それは、「世襲」である。世襲といふのは、「祭祀」の承繼のみならず、地位、財産、職業などの「分限」を嫡系傍系の後裔が代々受け繼ぐことであり、包括的に世襲されるので、先代の有した權利のみならず義務もまた引き繼がれるものである。嚴密に言へば、國家の基本的な制度構造である祭祀制度、家族制度、財産制度、産業制度、相續制度などの「制度」の包括的な世襲と、その制度に基づく個々の人民の祭祀、分限及び財産などの個別的な世襲といふ兩面がある。ただし、これらがどのやうな態樣においてなされるのかについては、それぞれの傳統國家によつて差異がある。

まづ、君主制國家や貴族制國家の場合は、統治權の主體としての君主の祭祀と分限の地位や貴族の祭祀と分限の地位が世襲される。君主制の場合の君主は、元首であると同時に祭祀主宰者かつ統治主宰者であり、その世襲は君主の家系に限られる。他方、貴族制の場合の貴族は、形式上元首を戴くことはあつても、統治權は少數の貴族集團が掌握する。そして、その少數の貴族の地位がそれぞれ世襲されるのである。つまり、元首としての地位や統治者(集團)としての地位と、その祭祀と分限とが一體となつた一種の財産(家産)として認識され、それが世襲されるといふことである。それ以外の被治者である人民が統治機關の地位(たとへば官吏としての地位)を得て、その地位が世襲される場合であれば、それも貴族ないしは貴族に準ずる地位を得ることになるが、通常は一代限りでその地位は世襲されない。しかし、人民の祭祀と分限は個別かつ固有に世襲される。このやうに、君主制と貴族制は、元首や統治者の地位と祭祀及び分限が世襲されるといふ國家であるといふことができる。

しかし、財産(家産)については、君主、貴族、人民のいづれであつても例外なく世襲が認められるのが傳統國家の特徴である。職業についても、それが財産の一種であることから、一子相傳のやうな世襲がなされる。

ところが、これ以外にも、世界的に見て、傳統國家においては、例外なく世襲されるものがある。それは、本能から導かれる父母に對する孝養、子孫の養育と教育、子孫への文化傳承の核となる「家族制度」である。

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