國體護持總論
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著書紹介

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家族主義と個人主義

本能を司る中樞は、腦幹と脊髄、小腦などの部分である。本能の基礎となる自律神經は生來的に備はつてゐるが、五感の作用に基づいてなされる行動の樣式と能力である本能は、成長に伴ひ、學習と經驗を積み重ねることによつて強化される。「修理固成」に至るのである。群れをなし社會を形成して生きる人類には、自己保存本能、種族保存本能、集團秩序維持本能などがあり、それは、個體と種族集團を守るためのプログラムとして組み込まれてゐる。たとへば、身の危險を避けようとするのは自己保存本能であり、子孫を殘し、身を捨てでも家族や社會、國家を守らうとするのは種族保存本能によるものである。

草食動物の親子が肉食猛獣に襲はれたとき、親が子を守らうとして、自らが猛獣の囮となる行動は、理性論では到底説明がつかない。人の親子についても、同じやうな危機的状況に置かれた場合、これと同樣の行動をとる。このことは、理性論から生まれる個人主義と人權論からすると、「命の大切さ」を教へ、自己の命は何にも代へ難いから、親が子のために自己の生命と身體を犧牲することなどはあり得ないことになる。しかし、この行動は、種族保存本能に根ざしたものであり、理性によるものではない。これは、種族保存本能(種族防衞本能)が自己保存本能(自己防衞本能)を凌駕する指令體系であることを意味する。

自己の利益を追求する活動よりも、世のため人のために見返りを求めずに奉仕する活動をするときに、人は精神の高揚を感じる。自利よりも利他に快感を得ることは理性では説明が着かない。これも本能のなせる業である。

以上によれば、本能の序列(本能體系)は、

自己保存(維持)本能 < 家族保存(維持)及び秩序維持本能 < 種族保存(維持)及び秩序維持本能 < 社會秩序維持本能 < 國家防衞本能

といふことになる。

また、自己保存本能についても、これが單に危險を回避することだけの行動性向であると理解することはできない。なぜならば、子供には、親が制止しても、木を登り巖を這ひ上がり、海や川に飛び込むなどして、その達成感を味はふといふ冒險心や好奇心を備へてゐるからである。もし、自己保存本能が單純な危險回避性向であるとすれば、この子供の行動は自己保存本能と矛盾することになる。しかし、これが矛盾するのであれば、このやうな矛盾を抱へた缺陷プログラムの人類は、既に生存の適性を缺いて絶滅してゐたはずである。それゆゑ、この子供の冒險心と好奇心こそが本能の表徴であると氣づく。これは、他の動物の子供も同じことである。つまり、これは、人の本能として組み込まれた自己學習による「本能強化プログラム」なのである。子供は、この好奇心と冒險心によつて、本能を強化する學習を經て勇氣を養ふ。これが種族保存本能へと昇華する契機となるのである。それゆゑ、さほど危險ではない水邊にも轉落防止の安全柵を取り付け、構造上の缺陷がないのに公園の兒童用遊具ですら使用を禁止するなど、子供が事故死する危險を防ぐために安全性の配慮をすることは必要であつても、それが過度になりすぎると、逆に、子供が危險に立ち向かふトレーニングの機會を奪ふこととなり、その結果、本能が強化されず、却つて事故死を增發させるといふ惡循環を生む。そして、このことは本能の「劣化」を招き、本能が劣化した子供が增加して、他の動物ではあり得ないやうな非行や異常行動、犯罪性向を示すに至る。さらに、本能の劣化した子供がそのまま大人となり、さらに犯罪性の高い社會へと轉落する。現代社會の矛盾の根源はここにある。「獅子の子落とし」とか「可愛い子には旅をさせよ」との諺は、本能を強化するための本能の原則に他ならないのである。

このやうに考察してくると、本能とは快樂を求めて不快を避けるといつたやうな單純な「欲望」ではなく、むしろそれを押し殺してまで種族と集團を守らうとするもので、「志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁(志士仁人は、生を求めて以て害することなく、身を殺して仁を成すことあり)」(論語)に連なる高い德性の源泉となる本能の指令であることが解る。すめらみことは、世界のすめらみことであるが故に、歐米から抑壓されてきた人類全體の解放のため、「身を殺して仁を成す」を大東亞戰爭で實行したことも人類の本能の發現であつて、それゆゑに「聖戰」なのである。

もとより、群れを爲して家族を形成し共同生活によつて生存しうる人類は、個人だけでは生存できない。それゆゑ、個人の意義と價値を重視してその權利と自由に至上價値を見いだす個人主義は、理性論の産物である。

個體(人體)と家族、部族、種族、民族、國家へと段階的に連なる雛形構造が動的平衡を保つために「本能」といふ指令が存在するのであるから、その指令に適合する方向こそが、あたかも胎兒が母の胎盤の中の羊水に浮かぶが如く、安全、安定、安心を與へる。それゆゑ、秩序を維持し、集團を防衞するなどの、前に圖示した「本能體系」に適合すること、つまり「本能體系適合性」(本能適合性)を滿たさなければ、國家、社會、家族など全ての領域において規範とはなりえないのである。從つて、個人主義は、個人を優先させ集團を劣後させる點において、この「本能適合性」を缺く。人は個人として自立しうる時期は極めて短い。幼いときは家族に養育され、老いても家族に扶養される。成人に達しても、疾病と障害があれば、やはり家族の保護と介護を受ける。これほどまでに個人の自立可能な時期が短いのに、この短期の状態を永遠であるかの如く普遍化して個人主義を打ち立てることに本質的な無理がある。本能適合性があるのは、刹那的な個人を重視した「個人主義」ではなく、連綿と繼続する家族を重視した「家族主義」であり、ここに普遍性が見いだされる。

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