國體護持總論
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著書紹介

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最高規範と根本規範

ここで、これまで登場してきた最高規範と根本規範といふ概念について説明しておきたい。

これらの概念は、メルクルによつて提唱され、ケルゼンが完成したとする「法段階説」によるところが大きい。これは、法秩序の體系をどのやうに理解するのかについて最も大きな示唆を與へてくれるものである。

これ以外にも、法哲學的見地から法秩序の體系を理解する試みがあつた。それは、『法の概念』といふ著作のあるハーバート・L・A・ハートである。その見解を私見として理解すれば、ハートは、法とは「第一次ルール」と「第二次ルール」の結合であると認識するやうである。そして、第一次ルールとは、特定の行為を爲すことについて制裁(sanction)を伴ふ禁止規範であり、その性質は不確實であり、かつ硬直的、靜態的、非效率といふ特徴と限界があるものとする。これに對し、第二次ルールとは、そのやうな制裁を背景に持たずに、第一ルールを支へそれに權能や正統性を付與して、「承認のルール」、「変更のルール」及び「裁判のルール」の各類型に區分されるとするのである。些か難解ではあるが、つまるところ、比喩的に言へば、法秩序の体體に關して、ケルゼンの法段階説が模式的には「ピラミッド構造」の法體系であると認識するのに對し、ハートは、第一次ルールと第二次ルールが模式的には、あたかも縱糸と橫糸とで織り成す「ネットワーク構造」のやうな法體系の構造と認識してゐることになる。

しかし、ハートの見解は、同一領域を守備範囲とする規範の種別の説明には妥当しても、ある違反行爲に対して制裁を與へるとする第一次ルールについて、制裁を正当化し根據づける理由が何に由來するのかの疑問に對して沈黙せざるを得なくなる。それゆゑ、少なくとも國法學や憲法學の領域における授權關係の立體的構造として模式的に認識できる法段階説が基本的に正しいと考へる。

つまり、法段階説とは、およそ法秩序の構造は上位に位置する規範が下位に位置する規範を創造するための委任を與へるといふ段階的、階層的な授權關係の構造で成り立つてゐとの認識である。そして、その階層構造の頂點に位置するものが最高規範であるとするのが法段階説の説明である。

そして、この授權關係の根源には、上位規範に規範としての妥當性があるとして、その妥當性の究極的な根據を有する最上位の規範を最高規範としたのである。つまり、授權關係は妥當性の根據でもあり、最高規範とは全ての規範の根源であることから根本規範でもあるといふことになる。このやうに、最高規範ないしは根本規範は、規範の妥當性の究極的な根據であるため、その規範を廢止したり改正したりすることを許さず、改正に限界があることの根據を示したことに意義があつた。

ここでいふ根本規範の「妥當性」とは、前に述べた法の效力要件の要素としての「妥當性」と同じものであると理解してよいし、最高規範の授權關係は、同じく前に述べた法の成立要件の要素としての「合法性」のことであると理解してよいのである。

それゆゑ、この考へは、法實證主義だけに限らず、自然法學でも矛盾するものではない。しかし、規範としての究極的な妥當性の根據がどの規範にあるのかといふことは、法段階説だけでは結論に到達できない。

その上で、この最高規範かつ根本規範なるものが、憲法典(成文憲法)なのか、規範國體なのかといふことはさて置き、ケルゼンの法段階説のやうに、實定法秩序の階層的構造を認識するとすれば、合法性とは、その定立される規範が、その上位規範から授權がなされたものか否かといふことになる。

法律の場合であれば、その上位の法である憲法上の根據を有するか、その法律が合憲なものであるか、といふ問題である。また、憲法の場合であれば、それが從來の憲法を改正するときには憲法改正に關する條項や理念などに違反してゐないかといふことであり、新たな憲法の制定であるときにはそれを根據付ける權力(憲法制定權力)が存在したかといふことである。

しかし、フランス革命後の共和國憲法の場合は「革命權」を、また、アメリカ合衆國憲法の場合は、革命權の一種である英國からの「獨立權」なるものをその根據に掲げたが、これまでの傳統と規範を破壞し、これまでとは異なる全く新たな規範を創造することの「合法性」を根據付けることは困難である。これを「革命權」とか「獨立權」と命名することは簡單であるが、命名したこととそれを根據付けることは別である。醫療の世界で、未だ解明できてゐない病態を「○○症候群」と命名したからと云つて、それだけで原因や治療方法が解明されたことにならないことと同じである。解明の對象を特定したまでのことに過ぎないからである。「知るを知るとなし、知らざるを知らざるとなす。これ知るなり。」(論語)とする程度の解明であつて、「○○症候群」といふのは「原因や治療方法の解らない病氣」といふ意味であるのと同じことである。これと同樣に、「革命權」とか「獨立權」といふのも、革命や獨立の合法性の根據が定かではなく、これが假にあるとしても、その根據を暫定的に革命權とか獨立權を呼ぶとするとした「革命症候群」、「獨立症候群」と云つた程度のことである。

ましてや、「妥當性」に至つては、これまでの傳統とは異質かつ相反する「革命權」や「獨立權」といふ俄仕立ての概念に「妥當性」の根據があるとは到底考へられない。これは、傳統を破壞する「暴力」に妥當性があるとする「暴力禮贊論」に他ならないのである。

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