國體護持總論
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著書紹介

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社會契約説と天賦人權論

前にも述べたが、國體を維持回復し復古する「維新」の場合であれば、國體防衞權(祖國防衞權)には明確な合法性と妥當性の根據が存在する。これは、本能適合性を滿たすからである。しかし、暴力によつて國體を破壞して新たな革命や獨立を實現し、あるいは暴力による他國の占領征服を認めることの合法性はなく、これは違法かつ犯罪である。それゆゑ、犯罪者の側からすれば、犯罪ではないことを根據付けるものがなければならない。「盜人にも三分の理」があるといふ程度ではダメであつて「十分の理」を見出さなければならないことになる。

そこで、直近まで續いてきた傳統とは異なる、もつと古い「傳統」なるものを「空想」し、その「假裝傳統」への回歸であるとして、合法性の根據を見つけ出す。それは、「社會契約説」の「自然状態」とか、天が人に對して生まれながらにして平等に「人權」を賦與したとする「天賦人權論」と云つた「假説」である。つまり、社會契約説によれば、人類は、それぞれ原始においては自然状態の中で、法律も政府もなしに平和に生活してゐたが、自己の生命、身體、自由、財産の安全を保持する利益のため、自己と同樣に他人もまた同樣の利益があることから、他人と共同してお互ひの利益を相互に認め合ふことが社會全體の利益となるとの認識により、當初から天賦として附與されてゐた自己の生命、身體、自由、財産に對する權利(自然状態での自然權)を抑制して社會全體の利益を守るために主權者を立てることに自發的に合意して國家を成立させるといふ「契約」を結んだといふ。

しかし、この社會契約説と天賦人權論は、いづれも虚構(フィクション)である。なぜこれが虚構であるかといふと、人には、初めに兩親を含む家族があり、家族がなければ生長しない。誕生の段階で他人との「契約」はありえなし、家族との「契約」も存在しない。そもそも人は誕生の最初は自立した個人の「自然状態」にはなく、自意識が未發達で人格の完成もしてゐないので、それを前提とした權利や自由も持ち合はせてゐない。親は、子を育兒し、扶養し、教育する。その中で意志が確立し人格が完成して、そこで初めて自由と權利を得る。しかし、子を育兒、扶養、教育することについて親子間で契約したことはない。ましてや、子は生まれたばかりのときには契約の意味も理解できない。任意で自由な意思に基づかなければ契約は無效であるとする意思主義からして無效である。また、契約説であれば、親は子を育兒し扶養し教育する義務(養育義務)はないことになる。子を生んだことや血のつながりといふ非契約の事實をこの養育義務の根據とすることは、この契約説では説明できない。もし、契約もなく初めから人が親になればその子を育兒、扶養、教育すべき養育義務を人に課するのであれば、天から初めにして義務が賦課されるのであつて人權が賦與されるのではなくなる。それは天賦「義務」説とでも云ふべきことになつてしまふ。

そもそも、親が子を守り育て、家長が家族を守るのは人の本能に基づくものであつて、そこから人は搖るぎない傳統と文化、數々の德目などの道德を築いてきたのであり、決してこれらは合意に基づいてできたものではない。内省的な「禮」に基づくものである。人は、家族の一員として生まれ、自己の生命、身體、精神の向上などは主として兩親と家族に守られ育まれてきた。そして、成人すれば、今度は逆に兩親を助けて孝養を盡くし、家族を扶養し、それがまた次代へと永遠に引き繼がれていく。個人の一生は短いが、家族は世代を繋いで永續する。社會契約説から生まれる「個人主義」の前提となる「個人」には普遍性、永續性、完結性はないが、「家族主義」の前提となる世襲される「家族」にこそ普遍性、永續性、完結性があり、それが本能なのである。強いて云ふならば、「天賦本能論」なのである。本能は命の維持のために必要な先天的なものであり、人權は後天的なものである。

このやうに、人は、當初において自然状態にあり人權が賦與されてゐたとするのは虚構であり、社會契約説や天賦人權論は論理的にも崩壞してゐる。個人主義は、個人に全人としての普遍性、永續性、完結性が備はつてゐるとするのであるが、そのやうなことは空想の世界であつて現實にはあり得ない。もし、個人主義を謳歌できる人が居るとすれば、それは幼いときから全人となりうる養育と教育を充分に受けられた、目を見張るやうな富裕層に屬する人だけに限られる。貧困層や身障者は、そのやうな機會や境遇がない。といふことは、個人主義とは、富裕層のみが謳歌できる思想であり、究極の「差別思想」である。つまり、社會契約説と天賦人權論、そしてその系譜に屬する現代人權論は、その根底に拭ひきれない差別思想があり、富裕層にしかできないことを貧困層も平等にできるとする傲慢さがある。貧者や身障者に對し法律的な機會さへ與へれば、現實的にはその機會や境遇が全く保障されてゐなくても、すべての人々の人權は保障されたとし、これを平等に規制すれば、自由と人權が平等に保障されたと言ひ張るのである。「富者も貧者も橋の下で物乞ひをしてはならない。」といふ法律は、極めて平等であり、自由と人權の制約が極力少ない法律であると自畫自贊するのである。富者が橋の下で物乞ひする必要が全くなくても、富者にも橋の下で物乞ひをする「權利」があり、それを貧者と平等に制約する法律であるから平等であるとするのである。

このやうないかがはしい差別思想が社會契約説と天賦人權論であり、そしてその系譜に屬する現代人權論なのであるが、このやうな自由と人權の平等に關する批判に對して、これらの見解は、「形式的平等」から「實質的平等」(公平)への修正主義を試みる。しかし、平等概念が形式的なものから実質的なものに變化すれば、これと連動として自由と人權の概念も形式的なものから實質的なものに變化することを餘儀なくされる。天賦の自由も人權も、萬人に等しく形式的平等に附與されたものでなくなり、實質的平等(公平)の自由と人權が附與されたといふことになる。つまり、附與された自由と人權には個人差があつて、それ自體において既に平等ではないといふことである。しかも、出生時から生育時、さらに死亡時に至るまで、その自由と人權の實質的な内容や態樣は、生活環境等によつて刻々と變化することになる。そのやうな不確定、不明確な自由と人權が出生時に「平等」に天賦されたとするのは詭辯にも程がある。

そして、さらに、このやうな詭辯で構築された差別思想の社會契約説と天賦人權論は、過去における社會契約と天賦の人權の存在が、革命と獨立についての合法性と正統性の根據であるとし、破壞しようとする國體よりも以前にこれらが存在したとするのである。あたかもそれは、盜人がその盜んだ物を「初めからこれは俺の物だつたから(正統性)、取り返したまでだ(合法性)」と強辯する屁理屈そのものであるが、それでも今日まで曲がりながらも世界を席卷してきたのである。その理由は、これらの理論構造が、後に述べるとほり、「世界革命思想」の原型的な構造に便乘し、その擬態としてこれらの理論が作られたことから、それなりの影響力を維持してきたためである。

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