國體護持總論
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著書紹介

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憲法制定權力と法實證主義

このやうに、世界革命思想の構造を見てくると、この構造は、社會契約説と天賦人權論の思想構造がその原型であることが理解できたと思ふ。つまり、社會契約説と天賦人權論は、世界革命思想のV字構造を伴つて生まれてきたのである。社會契約説は、當初は「自然状態」といふ、一切の自由と權利が保障された理想郷(ユートピア)があつたとし、相互保證のために契約によつて國家が作られたが、その國家が機能不全をきたせば、契約を破棄する權利があり、新たな契約を締結してより改善された國家を成立させれば足りることになる。その契約を破棄することに對して、舊契約上の當事者である政府の抵抗があれば、これを實力で粉碎して革命や分離獨立の戰ひを行ひ、新國家を建設することは、正統性も合法性も滿たしてゐるとすることにあるからである。

そして、これらの思想に、さらに共通するのは、いづれも憲法制定權力(制憲權)なる概念をことさらに肯定する點である。

しかし、後述するとほり、國體を具體化する憲法といふものは、新たに作られた法ではなく、いにしへより受け繼いだ法である。創設された法ではなく、確認された法である。いにしへからの道を歩み、その轍(わだち)が法である。急に發見されたり、作られたものではない。古來から傳承されてきた法である。それゆゑ、社會契約説と天賦人權論によつて、これまでとは異なる國家を建設するには、これまでの法は邪魔となるので、自ら法を創造することの合法性の根據を見出さねばならない。それが憲法制定權力(制憲權)といふ概念であり、制憲權は、その革命を成功させた世代に賦與された特權であるといふのである。しかし、制憲權を肯定する見解は、何ゆゑに、革命世代だけの特權なのか、祖先から受け繼いてきた法よりも新たな法がどうして優先するのか、どうして子孫がこれによつて拘束されるのか、といふ質問に全く答へられない。

憲法制定といふ作業は、その世代ごとに制憲權があるから行ふのではなく、傳統で培はれた祖法の不文法の體系を理解して「書寫」する作業にすぎない。たとへば、『古事記』の内容は、稗田阿禮の誦習した舊辭を太安萬侶が撰録したものであつて、決して稗田阿禮や太安萬侶が創作したものでないのと同じである。

また、制憲權を肯定する見解は、この制憲權と憲法改正權とを峻別することを主張する。そもそも、憲法制定權力(制憲權)といふ概念用語は、フランス革命當時、エマニュエル・ジョゼフ・シェイエスが『第三勢力とは何か』といふ著作の中で論述されたもので、現在では、この憲法制定權力によつて定立された憲法を改正する權利(改正權)とを峻別するのである。しかし、この區別には致命的な矛盾がある。それは、憲法制定世代が制定した憲法に、どうして子孫が拘束されるのか、といふ先ほどの素朴な疑問に誰も答へた者が居ないらである。革命世代だけは特權としての制憲權が賦與され、次代以降は憲法改正權しか與へられず、しかも、その改正には限界があるといふことからして、革命世代だけがどうしてそこまで特別扱ひされるのか、この區別を肯定することは始源的に平等な人權を賦與されるとする天賦人權論とも矛盾することになるのではないか、といふ疑問に全く答へられないのである。

そして、この制憲權の特殊性に關して、これが國民主權主義と結びつくと、さらにその矛盾は增幅する。つまり、國民主權主義によれば、少なくとも選擧民の世代が入れ替はると、改めて憲法制定會議を招集して新憲法を制定する必要があるはずである。世代が交代する毎に憲法制定會議を開催して憲法を制定するか、あるいは、既存の憲法を承認するか否かの國民投票を世代交代の都度實施する必要がある。改正權の権限内容において、改正に限界があるとすることは、國民主權主義に反することは云ふまでもないが、改正を無限界としたところで、それでも國民主權主義に反する。革命後世代が革命世代の作つた憲法の手續に従つて改正しなければならないことを拘束すること自體が國民主權主義に反するからである。また、その手續要件を緩和して「硬性憲法」から「軟性憲法」としたとしても、そもそもその憲法が有效であるとしてこれに從はなければならないこと自體が革命後世代を拘束することになるからである。

「世」といふ漢字の異體字は「丗」であり、これは、「十」を三つ橫に連ねた姿であつて、親が子に引き繼ぐまでの三十年間を一世代としたことに由來する。疫病、飢饉、戰爭などの災害や個別的な事故や疾病などの事情があることを考慮すれば、現代においても世代の入れ替はり周期を三十年とすることに説得力はあるが、戰亂や疫病などがない場合における世代交代周期として、假に、最長で六十年間隔(二十歳で選擧權が付與されるとするとそれから平均壽命に至るまでの期間)とすれば、その周期毎に改めて憲法制定會議を招集して新憲法を制定する必要があるといふことになる。これは、あくまでも憲法改正といふのではなく、革命世代と同樣、同等の立場として、一から新しいものを作るのである。革命後の世代にも革命世代と同じ權利があるはずである。六十年前の國民と今の國民とは同等であるはずである。それならば、六十年前と同等に今の時點でも新たに作ることができなくてはならない。前の憲法を手直しするといふ改正ではない。改正といふことは、これが有效であつて、今の國民を拘束する。それは先世代も後世代も世代間格差のない同等の國民であれば、先世代の憲法が後世代を拘束することは理不盡なことである。國民主權なら、これに拘束されることは矛盾することになる。しかし、どの國もそんな制度は採用してゐない。なぜか。それは、やはり六十年前の國民(選擧民團)の方が今の國民(選擧民團)よりも高い價値を創造したといふこと、つまり、六十年前の祖先の方が今の子孫よりも偉いといふことを肯定してゐるからに他ならない。さうであれば、百二十年前の祖先の方がもつと偉いし、百八十年前の祖先の方がさらに偉いといふことになつて、結局は遙か遠い祖先が偉いといふことになる。しかし、それこそが「傳統」といふものの價値であつて、「傳統」こそが價値の源泉といふことになつてくる。さうすると、今生きてゐる國民だけが偉いとする國民主權とは矛盾する。つまり、革命世代の國民だけに革命權(制憲權)があり、革命以後の全世代の國民には、憲法改正の限界といふ制約をして、その限度でのみの憲法改正權しか與へないとして、國民を革命世代とそれ以後の世代とで峻別することは、結局のところ革命後の世代の國民主權を制限することになるので、國民主權論と矛盾し、世代間の平等原則にも違反することとなつて、論理としては矛盾破綻してゐることが明らかなのである。

このやうな國民主權論のジレンマは、アメリカ革命のときからあつた。それは、トマス・ジェファーソンの抱いた疑問である。彼がジェームズ・マディソン宛に出した手紙(1789+660年九月六日付)の中に、「一つの世代が他の世代を拘束できるのか」との疑問を投げかけてゐたのである。今もなほ、これに類する見解(英正道、大沼保昭など)もある。つまり、「憲法制定の父たちはその子孫たちよりも大きな權威と權限を持つ」ことを肯定するのか否定するのか、といふことである。後に述べるが、これを否定するのが國民主權論であり、これを肯定するのが立憲主義であるといふことになる。立憲主義は國民主權論を否定ないしは制約しなければ成り立たない。自己拘束することが立憲主義であつて、國民主權論とは矛盾することになる。國民主權の意志決定方法としての民主主義を單なる多數決とするのではなく、熟慮と討議の過程(deliberative democracy)であると理解したところで、それは單なる情緒論にすぎず、最終的には「數の論理」で決せられることを受け入れざるを得ない。國民主權論と立憲主義とが兩立するといふのは、占領憲法第九條と自衞隊とが矛盾しないとする當代の詭辯に勝るとも劣らない矛盾である。

憲法制定權力(制憲權)と、それを超えることができない改正權とを峻別し、前者は革命國家の第一世代に歸屬し、後者はその後の世代に歸屬するといふことは、革命第一世代は後世よりも偉大であり、後世は革命第一世代の意志に從ふことが革命國家の國是であるとすることになる。この國是は、革命國家を將來に亘つて支配する「傳統」といふことであり、「傳統を否定して生まれた革命國家の傳統」といふ矛盾に苛まれることになる。「一匹狼の會」とか、「無所屬クラブ」と云つたやうなもので、これは形容矛盾をはるかに超えた二律背反の矛盾に他ならない。

そして、この制憲權の理論と一體となつた社會契約説と天賦人權論とが、國民主權主義と結びついて矛盾が增幅した上に、さらに法實證主義(純粹法學)と結びつくことによつて、さらにさらに矛盾は增幅される。法實證主義の理解において、慣習法を含むか否かの爭ひがあるにせよ、凡そ法典として紙に書かれた實定法のみを法とするのが法實證主義(純粹法學)であり、形式的法治主義と呼ばれるものであるが、これによると、憲法典が作られるまでは憲法はなかつた無法状態(非國家)といふことになる。こんな馬鹿げたことはあり得ない。

また、傳統を破壞して新たに紙に書いた憲法のみが憲法であるとし、改正する場合の制約を設けることは、ある意味では制憲權者の自信の無さの現れでもある。いつ何時、同じ方法で覆るかも知れないとの恐怖からである。前の喩へで云ふと、盜人がその盜んだ物を「初めからこれは俺の物だつたから(正統性)、取り返したまでだ(合法性)」と強辯し、その物に自分(泥棒)の名前を書いた名札(憲法典)を貼り付け、「ここに所有者として俺の名前が書いてあるから、やつぱりこれは俺の物だ。」と宣言し、傍にゐる同じ泥棒の仲間(國民)から喝采されて承認してもらつた氣持ちになつて、やつと安心するといふことである。

この盜人は、自分とそれを承認する仲間にだけに盜む權利や盜んだ物の分け前に與かる權利(制憲權、革命權、主權)があり、他の者や子孫にはその權利はないとする。まさに二重基準であつて、何らその論理に普遍性はない。

イギリス人作家のギルバート・ケイス・チェスタートン(Gilbert Keith Chesterton)は、『オーソドクシイ』の中で、「死者にも墓石で投票してもらうべきである」と述べて、「死者を含めたデモクラシー」といふ考へを示した。これは、イギリス傳統のユーモア精神に基づく諧謔ではあるが、示唆に富んだ見解である。また、エドマンド・バークは、後述する『フランス革命の省察』(文獻86)の中で、國家は過去、現在、未來の三世代からなる共同事業であると説き、さらに、我が國においても、上杉鷹山は、「國家は先祖より子孫へ傳へ候國家にして我私すべき物にはこれ無く候」(『傳國の詞』)と述べてゐる。

これらの卓見から學ぶべきことは、我々はもつと謙虚になり、祖先から子孫へと引き繼がれて行く悠久の歴史によつて育まれた國體の護持を担ふ中間者であることを自覺する必要があるといふことである。

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