國體護持總論
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著書紹介

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國體の規範的根據

ともあれ、これまでの論述からして、國家の性質が君主制か共和制かを問はず、それぞれの國家特有の國體の具體的内容がどのやうなものであつたとしても、その共通した規範的根據としては、國家の本能に根ざした「法の支配(國體の支配)の法理」及び「世襲(相續)の法理」が存在することになる。

このうち、法の支配(國體の支配)の法理については前に詳述したが、ここでは、「法の支配」と「法治主義」との相違について述べたい。「法の支配」の概念用語は英國から生まれたが、この法理は、言擧げしない我が國の古來から傳はる美意識の原理でもある。これに對し、ドイツで生まれた「法治主義」の概念は、法律によつて行政、司法の權力の行使を限定し支配する原理であつて、立法を制限し支配する原理でない點において「法の支配」と本質的に異なる。「法治主義」においては、「惡法もまた法なり。」であり、「法の支配」においては、「惡法は無效なり。」である。

次に、世襲(相續)の法理について少し敷衍すると、これは、およそ全世界のあらゆる地域において、歴史的にも確立された公理であることは誰も否定できないものである。

世界の一地方で、その限定された一時期だけ私有財産制を否定する手段として世襲(相續)を否定したり、私有財産制を長期に亘り否定し續けたりする事例は僅少あつて、しかも、それには全く普遍性がない。私有財産制を否定したロシア革命、中共革命なども然りである。これに普遍性がないのは、私有財産制の否定が輕薄な「合理主義」に基づくからである。文豪トルストイは、後にロシア革命で銃殺處刑されたロシア皇帝ニコライ二世に、土地所有制度の禁止を強く求めた。これは、トルストイの抱く宗教觀に基づくものとされるが、さらに彼は、自己の作品も含め世界の文學作品を全面的に否定して著作權の放棄を主張し、「私有財産こそこの世の最大の惡の源泉」とまで言ひ放つた。これにより妻ソフィアとの不仲が生まれて家庭が崩壞し、自らも家出して寒村で病死する。これは、富裕な貴族として生まれ、文學才能にも惠まれた者の持つ傲慢さの現れに他ならず、自己にできることは他人にもできるとする錯覺と、それを家族や他人に、社會や國家に強要することが當然であるとする傲慢さによるものである。これを受け繼いだのがロシア革命であり、世襲(相續)の法理を否定するこの合理主義の破綻は火を見るより明らかであつた。

そして、さらに、この世襲(相續)の法理に勝るとも劣らない國體の規範的根據がある。それは、「時效の法理」である。バークは言ふ。「英國憲法は時效の憲法である。その唯一の權威は、それが時代を超えて長年にわたって繼續してきた、という點に盡きる。」「英國の政府のような時效的存在は、絶對に、ある特定の立法者が制定したものでもないし、既成の理論に基づいてつくられたものでもない。」と。

この「時效の法理」といふのは、その具體的な内容については多樣性があるものの、ローマ法以來すべての成文立法例に認められてきたものである。一般的に「時效」とは、一定の事實状態が一定の期間繼續したことにより、法律上一定の效果、すなはち權利の取得、權利又は義務の消滅を生ぜしめる法律要件ないしは證據方法であるとされてゐる。ただし、時效によつて不利益を受ける者が、時效を中斷してその權利の回復を求めることを不可能ならしめるやうな天災その他避けることのできない事變などの障害があるときは、その障害が消滅した後から相當期間が經過するまでは時效は停止したままで完成しないのである(時效の停止。民法第百五十八条ないし第百六十一條參照)。

この時效制度の存在理由としては、社會秩序の維持、權利不行使の懲罰性、擧證の困難さの救濟、眞實合致性の推定など樣々なものが指摘されてゐるが、このやうに多彩な理由が擧げられるのも、この法理が歴史的、傳統的な公理であることの證左でもある。そして、この時效の規定の適用については、當事者の意思にかかはらず適用される強行法規とされてゐるのであつて、その制度は強固なものとなつてゐるのである。

なほ、本書では、「意思」と「意志」の雙方の用語が出てくるが、同じ意味に理解すればよい。「意思」の場合は私法的なもの、「意志」の場合は公法的なものや政治的なものを指す傾向はあるが、明確に區別して使ひ分けてはゐない。

閑話休題。この「時效の法理」が適用される範圍としては、公法關係から私法關係など全ての法領域に適用がある。そして、私法の領域においては、時效による法律効果を生じさせるために必要な期間(時效期間)は比較的短期でもよいのに對し、公法の領域における時效期間は長期でなければならない。たとへば、所有權などの私權の時效期間が二十年以下であるのは、私權の性質からして、人の一生の期間と比較してそれよりも短期でなければ、時效による効果を享受できないからである。これに對し、公法、特に國憲に關しては、人の一生と比較して、それよりも短期である必要はない。否、むしろ、この場合の時效といふのは歴史や傳統といふ言葉と同義であつて、歴史・傳統と看做されるために必要な時間は、百年單位で計算した期間が必要となつてくるのである。

そして、この時效の法理を國體に關して適用すれば、いにしへより歴史的、傳統的に運用されてきた諸制度は時效の法理によつて國體として確定されるために、その諸制度を事後的に改革又は廢止することは、この「時效」を理由に禁止されるといふことになる。このことが「時效の法理」の核心理論である。また、この「時效の法理」もまた歴史的、傳統的に確立して運用されてきた制度であるから、これもまた「時效」を理由に事後的改革又は廢止が禁止されるといふことである。

これにより、世襲(相續)の法理、法の支配(國體の支配)の法理、時效の法理は、それぞれが獨自に「公理」としての規範性を有するのみならず、これらすべてについて時效の法理によつてもさらに規範性は強化される。ここでいふ「公理」とは、數學、論理學、自然科學、社會科學などの科學分野において、證明不可能であるとしても、證明を必要とせず直接に自明の眞理として承認され、他の公式、原理、法理などの命題の前提となる根本命題とされてゐるものである。つまり、世襲(相續)の法理、法の支配(國體の支配)の法理、時效の法理がいづれも國家の本能に根ざした歸納的な「公理」であるといふことは、それぞれこれらが眞實であることの證明責任が免除され證明不要とされてをり、その意味からしても眞實であることが確定したことになる。まさに、これらは、國家本能の高次體系である規範國體に屬するといふことなのである。

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