國體護持總論
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事變と戰爭

名稱についてであるが、支那事變は、なぜ「事變」と呼稱し、「戰爭」と呼ばないのか。この點を精緻に解明して行くと、國際法上の日米間の鬩ぎ合ひが浮かんでくるのである。

昭和十二年七月七日、北平(北京)西南方の盧溝橋で、我が支那駐屯軍に對して、國民黨軍の仕業に見せかけた共産軍(八路軍)の違法射撃がなされた盧溝橋事件が支那事變の發端となつた。これを一旦終息させたものの、同月二十九日に、北平の東方にあつた通州に居留する邦人らに對して支那人武裝部隊が襲撃し、約二百三十人の邦人を語るもおぞましきやうに虐殺した事件(通州事件)など、我が國が不擴大方針を貫かうとすることを嘲笑ふかのやうな謀略的で殘忍な戰術によつて戰禍が擴大し、その掃討行動を擴大展開することを餘儀なくされた。我が國がやむを得ず陸軍增派を決定するについては、國際法上の觀點から大きな逡巡があつた。

それは、まづ、我が國が主要な戰略物資である鐵鋼類、石油及び工作機械類などの七割以上をアメリカから輸入してゐたことから、支那事變において我が軍が增派することは、その戰略物資の供給確保が大前提となる。しかし、アメリカには、戰爭當事國への戰略物資の輸出を禁止したアメリカ中立法があり、我が國が正式に宣戰通告した戰爭に突入すれば、アメリカがこの法律を發動して、我が國向けのこれらの戰略物資の輸出を禁止することは必至であつた。

その一方で、清朝が崩壞した後の支那は、概ね軍閥が割據する状況であつて、國民黨軍が率ゐる中華民國といへども、その實態は有力な軍閥政權の一つに過ぎず、近代國家としての國家の實體をなしてゐるとは到底言へなかつた。そもそも、宣戰通告は、帝國憲法第十三條の天皇の宣戰大權に基づくものであるが、「宣戰トハ國家カ武力ヲ行使セントスル時對手國ニ對シテ之ヲ宣言スルコトヲ謂フ」(清水澄)のであつて、これは、戰爭終結後に同條の講和大權に基づき行はれる講和條約の當事國能力(獨立した國家として認められない場合であつても講和條約を締結すれば獨立國家としてその條約を履行しうる政府機關などが備はつた國家の實體を有してゐること)のある「國家」ないしは「準國家」に對してでなければならない。このやうな理由もあつて、對手(國)に對して「宣戰通告」し、中立國及び臣民に對して「宣戰布告」して「國際法上の戰爭」とする必要がなかつたといふ法律解釋上の理由もあつた。

『開戰に關する條約』(明治四十五年條約第三號)第一條には、「締約國は、理由を附したる開戰宣言の形式又は條件附開戰宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且事前の通告なくして、其の相互間に、戰爭を開始すべからざることを承認す。」とあり、第二條には、「戰爭状態は遲滯なく中立國に通告すべく、通告受領の後に非ざれば、該國に對し其の效果を生せざるものとす。該通告は、電報を以て之を爲すことを得。但し、中立國が實際戰爭状態を知りたること確實なるときは、該中立國は、通告の決缺を主張することを得ず。」と規定し、相手國に宣戰通告をせずに戰闘を開始することを原則として禁ずるのである。これは、不意打ち攻撃を禁止する趣旨であり、戰爭當事國が宣戰通告することなく戰爭状態であることを認識してゐる場合は、これを不要と解釋されてをり、それが國際慣習法として通用してゐたのである。

それゆゑ、支那側の不意打ち攻撃に對して皇軍が應射して火ぶたを切つた盧溝橋事件から、さらに戰禍が擴大した支那事變は、假に、對手(國)に當事國能力があつたとしても、不意打ち攻撃を食らつたのが我が國であつて、これに應戰して擴大したことについて宣戰通告をしなければならない義務は全くない。從つて、支那事變を「宣戰布告(通告)なき日中戰爭」といふ表現をするのは意圖的なものであり、明確な誤りである。

つまり、「宣戰布告(通告)なき」との點は、そのとほりではあるが、前述のとほり、當事國能力がないこと、さらに、不意打ち攻撃にはならないこと(むしろ、不意打ち攻撃を受けたこと)の二つの理由からして、支那事變は宣戰通告が不要なものであつて、それがなかつたことは何ら問題とはならない。

米英と中華民國政府(重慶政府)は、我が國が米英に對し大東亞戰爭の宣戰通告をした後に、我が國に對して宣戰通告してゐることからしても、不意打ち攻撃後の宣戰通告であつて、これこそが國際法上の違法行爲である。

また、支那事變については、大東亞戰爭の宣戰通告時に、支那事變も含めて大東亞戰爭と呼稱することを閣議決定して「戰爭」となつた。つまり、大東亞戰爭の廣範な戰場のうち、その戰場の特定のために、支那事變といふ名稱は有用である。それゆゑ、事後に戰爭となつた支那事變について、初めから戰爭であつたかのやうに「日中戰爭」といふのは正確ではなく、この呼稱は專ら政治的・思想的意圖によるものである。しかも、我が國は「日中戰爭」なる名稱を正式に使用したことは一度もないので、この呼稱を用ゐるべきではない。

このことは、滿洲事變についても同樣である。そして、滿洲事變と支那事變とは、時期も原因も全く異にし、關連性もないにもかかはらず、滿洲事變から支那事變を通して「日中戰爭」と呼稱することについても拒絶すべきである。

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