國體護持總論
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米英支蘇の條約違反

そして、さらに、東亞その他の地域における權益を窺ふアメリカは、その企圖を實現するために、我が國の最大の弱點を突き、昭和十六年七月二十八日、我が國が日佛協定により南部佛印に進駐したことなどを口實に、同年八月一日、突如として對日石油輸出禁止を敢行した。これにより、國内では「ジリ貧論」などが叫ばれて危機意識は頂點に達した。さらに、我が國は、同年十一月二十六日、アメリカ國務長官ハルから、從來までの日米交渉經緯から完全に斷絶した最後通牒ともいふべき對日強硬提案(ハル・ノート)を突きつけられ、これによつて一方的に實質的な宣戰通告を受けた。

しかも、アメリカは、蒋介石政權に對しては、食料や、ガソリン、鐵材、トラック、工作機械、戰闘機、戰闘機裝備、武器、彈藥、火藥などの軍事物資の物的援助のみならず、軍事顧問團を派遣して軍事指導を行ひ、空軍パイロットの派遣など二千名を越えるアメリカ正規軍も戰闘に參加させて人的支援をも行つてゐた。これは、アメリカが蒋介石政權との軍事同盟に基づいて「共同謀議」により支那事變に參戰してゐたことになる。つまり、アメリカは、このとき、「宣戰通告なき日米戰爭」を開始したのであつて、アメリカこそ開戰に關する條約違反の戰爭を行つたのである。それゆゑ、大東亞戰爭の宣戰通告が外務省官僚の背信と怠慢によつて眞珠灣攻撃直後になされたことをアメリカから批判される謂はれは全くない。

交戰國の一方に對する軍事援助は、國際法からすれば、中立國の立場を放棄し、戰爭當事國となつたものと看做される。要するに、宣戰通告なしに眞珠灣攻撃をすることも合法であつて、アメリカはその懸念があるために、蒋介石政權に對する軍事援助の事實とその内容を祕匿し密約としてきたのである。

つまり、アメリカからしても、支那事變が「國際法上の戰爭」となれば、アメリカ中立法によつて戰爭當事者である日支雙方に戰略物資の輸出ができなくなつてしまふ。だから、「死の商人」としては一日でも長く「事變」のままの方がよい。さうすれば、日支雙方から軍需利益をより多く得ることができるからである。我が國は「自存自衞」のために「事變」とし、アメリカは「戰爭ビジネス」のために「事變」としたといふ奇妙な一致を見たのである。

そして、さらに、ソ連について附言すれば、我が國が昭和十六年四月十三日にソ連と締結した『日ソ中立條約』では、相互不可侵と、いづれか一方が第三國の軍事行動の對象になつた場合の他方の中立などを定め、有效期間は五年とし、その滿了一年前までに兩國のいづれかから廢棄を通告しない場合には、さらに五年間の自動延長となるものとされてゐた。ソ連は、同條約が殘期一年餘となつた昭和二十年四月五日に延長拒否通告をしたことから、この有效期間は昭和二十一年四月十三日までとなつたが、突如として昭和二十年八月八日に日ソ中立條約の破棄通告をして宣戰通告し、ほぼ同時に攻撃を開始した。このことは、日ソ中立條約違反であることは勿論、開戰に關する條約にも違反する。つまり、一般には、宣戰通告と同時に攻撃すること(通告同時攻撃)については、それまで友好關係が繼續してゐた場合は不意打ち攻撃であり、パリ不戰條約の「攻撃戰爭(侵略戰爭)」(war of aggression)に該當するが、友好關係が破綻してゐる場合には、必ずしもこれに該當しない。從つて、眞珠灣攻撃は、それをなすについて宣戰通告が不要であることは前に述べとほりであつて、日米間では援蒋ルートによる軍事援助などの事實、石油輸出禁止措置やハル・ノートによる通告などからして、日米の友好關係は完全に破綻してゐたのであるから、不意打ち攻撃には該當せず國際法上當然に合法である。これとの比較からすれば、ソ連は、日ソ中立條約について、昭和二十年四月五日に不延長通告をしたことから、我が國としては、延長されないことを認識しつつも、むしろ、殘期一年の期間には同條約が遵守されるといふことについての信賴をすることになる。不延長通告といふのは、いはば殘期一年の效力期間を遵守することの通告でもあり、これによつて我が國が殘期一年の效力期間があるとする信賴は國際法上も保護に値する。不延長通告は決して宣戰通告ではなく、友好關係の決裂の通告でもない。にもかかはらず、その約四箇月後に突然破棄し、さらに宣戰通告をしてほぼ同時に攻撃したことなどを考慮すれば、開戰に關する條約が禁止した違法な不意打ち攻撃に該當することは明らかである。

かくして、ポツダム宣言を我が國に突き付けた米・英・支・蘇の四國は、いづれも無法國家であり、この四國の行動は、少なくとも開戰に關する條約に違反する國際法違反行爲であり、我が國の行つた一連の戰爭行動は、國際法上は全て合法であつたことになる。

このことは、東京裁判における東條英機閣下らの一致した認識であり、しかも、連合國軍最高司令官總司令部の最高司令官であつたダグラス・マッカーサー(以下「マッカーサー」といふ。)が、歸國後の昭和二十六年五月三日、アメリカ上院の軍事外交合同委員會で「日本が第二次世界大戰に突入した理由は、そのほとんどが日本の安全保障(Security)のためであつた。」と證言し、我が國が大東亞戰爭に至る一連の軍事行動が生存自衞のためであつたことを認めた。これにより、日米兩國の首腦の戰爭認識が結果的に一致し、我が國がパリ不戰條約の自己解釋權により自衞戰爭であるとしたことが補強されたのである。

このやうに、大東亞戰爭が「自存自衞」の戰爭であり、これまでの歩みが自衞のためであつたことを示す樣々な根據があるにもかかはらず、我が國は、これらの歴史的事實の法的評價を效率よく情報戰略として發信できないまま、未だに情報戰に敗北し續け、「戰局必スシモ好轉セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス」(大東亞戰爭終結ノ証書、資料二十四)といふ状態に今もなほ置かれてゐる。

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