國體護持總論
トップページ > 著書紹介 > 國體護持總論 目次 > 【第二巻】第二章 大東亞戰爭と占領統治 > 第一節:大東亞戰爭の合法性

著書紹介

前頁へ

ロシアの宿痾

ロシア(單に「ロシア」といふ場合は、「帝政ロシア」、「ソ連」、「共和制ロシア」を總稱)は、傳統的に南下政策による領土擴大の意圖がある。帝政ロシアがシベリア大陸を開發して東方に領土を廣げてオホーツク海に達すると、今度は宿願であつた不凍港(冬季でも凍結せずに使用できる港)を求めて南下政策に轉じた。そして、支那の清の領土である遼東半島を支配し、難攻不落といはれた旅順の軍港と要塞を築いた。さらに、文久元年(1861+660)には對馬に上陸してそこに海軍基地を建設しようとしたが、帝政ロシアの南下政策を警戒した英國が軍艦を派遣して帝政ロシア軍を對馬から排除した。また、明治三十二年(1899+660)に起きた義和團事件を契機に、ロシア軍は全滿洲を占領したまま、さらに韓半島への進出を狙つたのである。

そして、ロシアは、西方においては、ポーランド、バルト三國(エストニア、ラトビア、リトアニア共和國)、スロベニア、ウクライナ、さらにフィンランドの一部を次々と侵略し、ソ連に併合してきたことからして、アメリカと同樣に領土擴大に血道を上げた。

ところで、このアメリカと同樣に、極東における南下政策といふ領土擴大主義の背景にも黄禍論(日禍論)がある。眞つ先にこれを現實的に抱いたのは日露戰爭の當事國として、白人として初めて有色人種に破れた帝政ロシアであるが、帝政ロシアはロシア革命によつて滅亡したものの、黄禍論(日禍論)だけは革命國家にそのまま引き繼がれた。つまり、ソ連は、帝政ロシアを打倒した革命國家であり、帝政ロシアと隔絶した國家であつたものの、その對外政策においては、不凍港を求めて南下するといふ領土擴張論(南下政策)をそのまま承繼したといふことである。帝政ロシアの受けたロシア人の屈辱をソ連が報復戰爭をして勝利することこそが、帝政ロシアを打倒した革命國家としての矜恃なのであつた。

ウラジオストックは、ロシア語ではヴラジ・ヴォストークと發音し、ヴォストークとは「東方」、ヴラジは「支配(進撃、征服)する」を意味するので、「東方を征服せよ」といふ意味の軍港であり、帝政ロシアが清から沿岸州一帶を獲得して建設されたものである。ロシア人は、この名前を聞くたびに「東方を征服せよ」と自らを鼓舞して東方征服を誓ふのである。これがソ連にも共和制ロシアにも引き繼がれ、思想的にも軍事的にも我が國への侵略をあからさまに宣言する。

しかも、ソ連は、その建國思想が共産主義であり、これが我が國體を破壞する危險があつて、しかも、軍事的にも最大の脅威であつたことから、我が國が國體護持のため治安維持法その他樣々な防共政策と立法を行つたのは當然のことであつた。

つまり、我が國におけるソ連の脅威といふのは、思想と軍事との複合的なものであり、それが支那と韓半島を不安定にする大きな原因の一つであり、さらに、對米關係も注視しなければならないといふ三方向の對應を我が國は餘儀なくされたのである。

続きを読む