國體護持總論
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占領政策の要諦

ともあれ、桑港條約の發效に至るまでの非獨立の占領時代において、連合軍の軍事支配により、我が國の政治、法制、經濟、教育及び文化などすべての事象において變革を強要された。

そして、GHQの軍事占領その強制的變革の最たるものは、帝國憲法を全面改正したものとされる『日本國憲法』(昭和二十一年十一月三日公布、同二十二年五月三日施行。資料三十二)といふ名の「占領憲法」の制定である。

占領統治下においては、占領政策に迎合する「御用民主勢力」以外の意見は全て黙殺された。即ち、出版物、手紙その他の文章を檢閲し、占領政策の妨げとなる一切の言論を禁止し、これに違反する新聞等については、その批判記事の削除又は發行禁止處分の制裁を科すなど、およそ臣民の政治的意志形成に必要な情報を一切提供させないとする『日本プレスコード指令』による檢閲等による強力な言論・報道・出版の統制が斷行された。

この『日本プレスコード指令』といふのは、連合國軍最高司令官總司令部の最高司令官(GHQ/SCAP)であるマッカーサーが發令した、昭和二十年九月十日『言論及新聞の自由に關する覺書』(SCAPIN16)、同月十九日『日本に與ふる新聞遵則』(SCAPIN33)及び同月二十二日『日本に與ふる放送遵則』(SCAPIN43)などによる一連の言論、新聞、報道の規制と檢閲制度の全體を指稱するものであつて、その具體的な内容については、江藤淳『落葉の掃き寄せ 一九四六年憲法-その拘束』(文藝春秋)に詳しい。これによると、削除又は發行禁止處分の對象となる項目は、「①SCAP批判(SCAPに對するいかなる一般的批判、及び以下に特記されてゐないSCAP指揮下のいかなる部署に對する批判もこの範疇に屬する。)、②極東軍事裁判批判(極東軍事裁判に對する一切の一般的批判、または軍事裁判に關係のある人物もしくは事柄に關する特定の批判がこれに相當する。)、③SCAPが憲法を起草したことに對する批判(日本の新憲法起草に當つてSCAPが果した役割についての一切の言及、あるいは憲法起草に當つてSCAPが果した役割に對する一切の批判。)、④檢閲制度への言及(出版、映畫、新聞、雜誌の檢閲が行はれてゐることに關する直接間接の言及がこれに相當する。)、⑤合衆國、ロシア(ソ連邦)、英國、朝鮮人、中國、他の連合國に對する批判(これらに對する直接間接の一切の批判がこれに相當する。)」など三十項目に及んでゐたとされてゐる。

さらに、戰爭犯罪人であるとか、軍國主義者であるとの一方的理由で多くの官僚、代議士などの政治家が公職から追放された。具體的には、昭和二十一年一月四日に發令されたGHQによる公職追放令によつて、衆議院議員四百六十六名のうち、八割以上に該當する三百八十一名が追放されたとされる(增田弘『公職追放論』岩波書店)。

しかも、その對日檢閲計畫は、昭和十六年十二月八日の大東亞戰爭開戰の翌日に、J・エドガー・フーヴァーFBI長官が檢閲局長官臨時代理に任命されたときから用意周到に行はれてきたものであり、占領直後から、連合國軍最高司令官總司令部(GHQ/SCAP)の民間諜報局(CIS)に屬する民間檢閲支隊(CCD。Civil Censorship Detachment)などによつて徹底した檢閲がなされてきた。その檢閲の態樣と規模の程度は、第二次近衞内閣において「擧國的世論の形成」を圖る目的で昭和十五年十二月六日に設置された情報局などのやうな戰時體制下における情報統制とは全く比べものにならないほど峻烈で完璧なものであつた。

そのため、憲法改正案を審議した第九十回帝國議會(昭和二十一年六月二十日開會)を構成する議員を選出した同年四月十日の總選擧においても、その前月の三月六日に發表されたのは『帝國憲法改正草案要綱』に過ぎず、改正案の全文は選擧前には公表されなかつた。改正案全文の『内閣憲法改正草案』が發表されたのは、選擧から十日後の四月十七日である。憲法改正政府案その他憲法改正に關する問題については、公職追放の危險による萎縮效果もあつて、選擧での爭點には全くならなかつたのである(『日本國憲法制定の由來 憲法調査會小委員會報告書』時事通信社)。

これらの措置は、その後に占領下で制定された占領憲法第十四條の「法の下の平等」、同第十九條の「思想及び良心の自由」及び同第二十一條の「表現の自由」や「檢閲の禁止」などに明らかに牴觸するものであり、勿論、帝國憲法第二十九條(言論・著作・印行・集會・結社の自由)に違反する違憲措置であつて、現行の公職選擧法の規定によれば、選擧の無效事由となることは明白である。これに關するものとして、議員定數配分の不平等を理由とする選擧の違法を認定した昭和六十年七月十七日最高裁判所大法廷判決の基準からすれば、一票の格差といふ形式的理由でも選擧の違法が認定されるのであるから、選擧權行使の實質的障碍である「知る權利」の侵害の場合は、當然に違憲無效となるはずである。同判決は、公職選擧法第二百十九條第一項が事情判決の制度(行政事件訴訟法第三十一條)を排除してゐるにもかかはらず、「事情判決の制度の基礎に存する一般的な法の基本原則に從い」として、實質的には事情判決の法理を用ゐた「救濟判決」であつた。つまり、選擧の違法を宣言するだけで、選擧自體は無效とはしなかつたのであるが、代議制民主主義の根幹を否定する「知る權利」の侵害の事案であれば、この論理による事情判決の法理が適用されないのは當然であるが、これを曲げて救濟したといふことである。

いづれにせよ、このやうなGHQによる公職追放などに加へて、キリスト教の異端審問による「魔女狩り」にも似た「公開リンチ」の極め付きは、極東國際軍事裁判(東京裁判)である。

これは、昭和二十年九月四日戰犯容疑者逮捕命令の發令、同二十一年四月起訴、同年五月三日開廷、同二十三年十一月四日から二十三日までの間の判決言渡といふ經過を辿つた。東條英機元首相ら二十八名が共同謀議によつて侵略戰爭を指導したとして起訴され、二十五名全員(途中死亡者二名、發狂による免訴一名を除く全員)が有罪判決(東條元首相ら七名が絞首刑、十六名が終身禁固刑、一名が二十年の禁固刑、一名が七年の禁固刑)となつたが、前にも述べたとほり、この判決において、日本無罪論を主張して全被告人を無罪とするインドのラダ・ビノード・パール判事の反對意見があつたのは前にも述べたとほりである。

この他にも、マニラその他の東亞・太平洋地域において、適正な手續や法的根據に基づかずに「裁判」といふ名のリンチによつて處刑等が數多くなされた。ちなみに、戰犯として死刑となつた者は、總計九百九十四人に及んだのである。

この東京裁判が裁判としては當時の國際法に照らして違法であり、そこで裁かれた南京虐殺などの事實が全くの虚構であることは既に述べた。

ところが、日本のマスメディアは、このやうな矛盾を批判するどころか、發賣禁止處分を怖れて言論統制や檢閲に何ら抵抗することなく、ジャーナリストの良心と魂を賣り飛ばして御用新聞・御用放送に成り果て、軍事占領化の憲法改正作業や極東國際軍事裁判の實施など、連合軍の行ふ一連の措置が正當であるかのような大衆世論操作に加擔協力した。

その言論統制と檢閲を擔つたのが、GHQの軍事占領下であつた昭和二十一年七月二十三日、GHQの言論統制と檢閲を容認することと引き換へに存續を許されたマスメディア各社で設立された「社團法人日本新聞協會」である。これは、現在も存續してをり、表向きは「民主主義的新聞社」の團體であると標榜するものの、その實質は、GHQの檢閲とプレスコードを受容して命を存へたマスメディアの集團である。新聞各社のみらなず、NHKや民放などのテレビ各社も加入し、「新聞倫理綱領」なるものを定めて、恰かも「民主主義」の旗手のやうに僞裝するが、同社團に所屬しない中小メディアを閉め出した「記者クラブ」といふギルド制によつて特權を固守し、GHQなき後も、忠實にその指導方針(東京裁判史觀)を堅持してゐるのである。

このやうに、社團法人日本新聞協會に所屬するマスメディアは、占領當初から與へられた敗戰利得者としての利權を固守し、連合軍の占領政策を支持することによつて眞の自由と民主主義が生まれるとの「世論」を形成させ、衆愚政治における「大衆の喝采」を得ることに成功した。換言すれば、當時の日本共産黨ですら、マッカーサーを「解放軍」の總帥であると絶贊評價したやうに、極めて效率的な軍事占領統治が社會全體に集團催眠效果を與へ、民主主義の基本であるべき正しい政治的情報を知る權利が全く與へられない愚民政治が出現したのである。これらの思想・言論統制の方法は、ナチストの採用した大衆世論操作の手法を全面的に取り入れて、さらに一段と巧妙に組み立てられたものである

本來ならば、ナチス・ドイツによるユダヤ人やジプシー等の大量殺戮に勝るとも劣らない廣島及び長崎の原爆投下による無差別大量殺戮(ホロコースト)が非難されるべきであり、今日に至るもその意義は風化してゐない。ところが、當時、原爆投下の理由について、「日本がいつまでも降伏せずに戰爭を續けたために落とされたのであり、早く降伏して戰爭をやめていれば落されずに濟んだのであるから、原爆投下の責任は日本にある。」との占領軍が流したデマのやうな奇妙な説明にすつかり納得してしまふ日本人が出てくる始末であり、今もその洗腦から解かれてゐない有樣である。そして、そのやうな風潮が、廣島の『原爆碑文』にまで受け繼がれ、「過ちは繰り返しませぬから」と、主體(主語)が日本人を含んだ表現になつてしまつたのである。これは、世界平和を願ふ崇高な理念としての美辭麗句であるとして理解しえても、決して無差別殺戮によつて命を奪はれた多くの英靈や被爆者の情念の叫びではない。

これまでのことからして、GHQの占領政策の要諦は、東京裁判の斷行と占領憲法の制定といふ二大政策を中核として實施することにあつた。戰勝國である連合國は、報復のため、聖戰の「思想」と、それを育んだ「國體」を熾烈に斷罪し、その兩足に大きな足かせをはめたのである。思想への足かせは、「東京裁判の斷行」と「東京裁判史觀の定着」であり、國體への足かせは、「帝國憲法の否定」と「占領憲法の制定・施行」であつた。

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