國體護持總論
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著書紹介

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昭和十八年

十月二日、「在學徴集延期臨時特例に關する敕令」により、文科系高等教育諸學校在學生の兵役徴集延期が廢止される(いはゆる學徒出陣)。

十月五日、ルーズベルトは、クルクスにおける對ソ戰車戰でのドイツ軍敗北、ガダルカナルにおける皇軍守備隊の玉碎といふ戰況を踏まへ、スターリンが千島列島の領有を希望してゐるとの極祕情報に基づいて、國務省スタッフとの會談で、千島列島はソ連に引き渡されるべきである、との見解を示した。

十月十九日、米英ソ三國外相會談(モスクワ會談)が始まる(同月三十日まで)。この席上、ハル米國務長官は、ソ連外相モロトフに對し、千島列島と南樺太をソ連領とする見返りに、日本との戰爭に參戰することを求める。モロトフは即答を保留したが、會談最終日の十月三十日の晩餐會の席上で、スターリンは、ハル米國務長官に、ドイツに勝利した後に日本との戰爭に參加することを傳へる。

十一月五日、東京で「大東亞戰爭同盟國會議」(大東亞會議)が開催される。これは、東亞全域を歐米列強の植民地支配から脱却させ、アメリカなどからの石油輸入に依存しない東亞獨自の貿易經濟圈を平和裡に建設することを目指す「大東亞共榮圈構想」に基づく。參加國は、我が國と、同盟國タイ、獨立フィリピン、ビルマ、中國南京政府(汪兆銘政權)、滿洲國。シンガポールで樹立した自由インド假政府(インド國民軍)もオブザーバーとして參加。

十一月六日、大東亞會議において、「正義の實現」、「相互の獨立」、「主權と傳統の尊重に基く共存共榮の新秩序」、「互惠の精神をもつての經濟開發」、「すべての人種差別の撤廢」を要求する『大東亞共同宣言』を滿場一致で採擇。

十一月二十二日、米(ルーズベルト)、英(チャーチル)、中(蒋介石)による「カイロ會談」が始まる(同月二十七日まで)。對日戰の軍事的協力と將來の領土について協議し、最終日の二十七日に『カイロ宣言』として發表される。

この内容には、領土に關しては、「同盟國は、自國のためには利得も求めず、また、領土擴張の念も有しない。」といふ部分、「同盟國の目的は、千九百十四年の第一次世界戰爭の開始以後に日本國が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本國から剥奪すること、竝びに滿洲、臺灣及び澎湖島のやうな日本國が清國人から盜取したすべての地域を中華民國に返還することにある。」との部分、「日本國は、また、暴力及び強慾により日本國が略取した他のすべての地域から驅逐される。」との部分及び「朝鮮を自由獨立のものにする」との部分があり、千島列島と南樺太については言及されてゐない。また、講和に關しては、歴史上初めての「日本國の無條件降伏」を求めてゐた。ただし、『カイロ宣言』は、各國代表の署名もなく、原本自體も存在しないので、外交文書としての有效性は認められない。それゆゑ、『ポツダム宣言』が『カイロ宣言』を引用したとしても、その引用の效力はない。特に、桑港條約第二條第二項に「日本國は、臺灣及び澎湖諸島に對するすべての權利、權原及び請求權を放棄する。」とあるが、『カイロ宣言』が無效であるから、滿洲、臺灣及び澎湖諸島は中華民國の領有に歸屬しないことになり、これらの領域は未だにいづれの國にも歸屬してゐないことになる(歸屬未定地)。この點が韓半島の場合と異なる點である。なぜなら、韓半島の場合は、無效な『カイロ宣言』においても「やがて朝鮮を自由獨立のものにする」とし、最終的には桑港條約第二條で「日本國は、朝鮮の獨立を承認して、濟州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に對するすべての權利、權原及び請求權を放棄する。」として、明確に民族自決權による獨立を承認してゐたからである。しかし、滿洲、臺灣及び澎湖諸島はその明記はないとしても、逆にこれを否定する規定もない。それゆゑ、歸屬未定地については、やはり民族自決權によつて決せられるべきであり、滿洲、臺灣及び澎湖諸島の獨立を阻止することは國際的に認められないことになる。

十一月二十八日、「カイロ會談」に引き續き「テヘラン會談」が始まる(十二月一日まで)。米(ルーズベルト)、英(チャーチル)、ソ(スターリン)が會談し、この中で、スターリンは、ルーズベルトの求めに應じて、ドイツ降伏後に日本との戰爭に參戰することを確約した。ルーズベルトが對日戰のソ連參戰を希望したのは、對獨戰との雙方向作戰による米軍の消耗を少しでも回避したいためであつた。

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