國體護持總論
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著書紹介

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昭和二十年七月

十日、アメリカは、「日本における民間檢閲基本計畫」(Basic Plan for Civil Censorship in Japan)第一次改訂版を策定。

十六日、アメリカのトルーマン大統領は、ポツダム會談に臨む前日のこの日、ニューメキシコにおいてプルトニウム型の原爆實驗に成功したことの報告を受けた。それまで、ソ連の參戰がなければ、對日戰爭の早期完全勝利は望めないと考へてゐたルーズベルト大統領は、ソ連に日ソ中立條約を破棄させて對日參戰をさせるためにソ連とヤルタ密約を交はしてゐた。だが、ルーズベルト大統領急死をうけて、その後任となつたトルーマンは、原爆實驗の成功を踏まへて、原爆があれば、アメリカだけで對日戰爭の早期完全勝利ができるとの自信を深め、ソ連外しの占領政策に變更したのだつた。

二十五日、トルーマンは、日本への原爆投下を指令した。

二十六日、トルーマンは、ソ連を外して『ポツダム宣言』を發表した。このうち、占領統治に關連する點は後に觸れるが、領土問題に關しては、同第八項に、「カイロ宣言の條項は、履行せらるべく、又日本國の主權は、本州、北海道、九州及四國竝に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし。」とあつた。ここには、千島列島と南樺太には言及がなく、無效であるカイロ宣言でも南樺太と千島列島には言及されてゐない。勿論、千島列島と南樺太をソ連に割讓するとされてゐるものでもなかつた。

二十八日、鈴木貫太郎首相は、「ポツダム宣言」について、「政府はこれを黙殺し、あくまで戰爭完遂に邁進する。」と聲明した。

本來ならば、これを「靜觀する」(no comment)とすべきところを、それが弱氣であると捉へられることを避けて「黙殺する」といふことに決定した。連合國は、この黙殺(ignore)を拒否(reject)と受け止め、九日後に原爆投下といふ「迅速且完全なる壞滅」行爲に着手する(文獻262)。

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