國體護持總論
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著書紹介

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昭和二十年十二月

一日、第一復員省(舊陸軍省)、第二復員省(舊海軍省)が發足。

同日、日本共産黨が第四回(再建)黨大會を開催し、GHQ占領軍を「解放軍」と規定。

二日、GHQは、戰犯容疑で平沼騏一郎、廣田弘毅ら五十九人の逮捕を命令する。

六日、GHQは、戰犯容疑で近衞文磨、木戸幸一ら九人の逮捕を命令する。

同日、ラウエルの『日本の憲法についての準備的研究と提案のレポート』が發表される。

七日、GHQが、いはゆる農地解放を指示(農地の小作人への分配)。

同日、マニラの戰犯裁判で山下奉文大將に死刑判決。

八日、松本烝治憲法問題調査委員會委員長は、衆議院豫算委で『憲法改正四原則(松本四原則)』を發表する。

この松本四原則の内容は、①天皇が統治權を總覽するといふ基本原則は不變であること、②議會の議決決定權を擴充するために天皇大權事項をある程度削減すること、③國務大臣の責任を國務全般にわたるものとし、同時に議會に對して責任を負はせること、④臣民の自由および權利保護を擴大し、これらへの侵害に對する救濟を完全なものとすること、であつた。

同日、連合國軍總司令部(GHQ/SCAP)において、WGIP(戰爭罪惡感を日本人の心に植ゑつけるための宣傳計畫)の實施を擔當した部署である民間情報教育局(CI&EまたはCIEと略稱、Civil Information and Education Section)が作成した『太平洋戰爭史』の新聞連載が開始される。

九日、CI&Eは、前日の『太平洋戰爭史』の新聞連載と連動して、ラジオ番組『眞相はかうだ』の放送を開始させる(週一回、十週間放送)。同時に『質問箱』も始まる。これが昭和二十一年二月十日まで放送され、以降は『眞相箱』となり同年十二月四日まで放送される。

同日、GHQは、『農地改革に關する覺書』を提示し、いはゆる「農地改革」始まる。この覺書により、政府に對し、農地改革計畫を翌昭和二十一年三月十五日までに提出することを嚴命する。

十日、GHQは、捕虜虐待容疑で五十七名に逮捕命令。

十一日、GHQは、『日本放送協會の再組織に關する覺書』を公布。

十三日、GHQは、失業者援護計畫の立案を指令。

十五日、GHQは、『國家神道、神社神道ニ對スル政府ノ保證、支援、保全、監督竝ニ弘布ノ廢止ニ關スル件』といふ覺書(いはゆる「神道指令」)を發令。これにより、「大東亞戰爭」「八紘一宇」などの用語を公文書に使用することが禁止される。

十六日、近衞文磨が自宅で服毒自殺(享年五十五歳)。

同日、モスクワで米、英、ソ三か國の外相會談開催(同月二十六日まで)。ここで、占領統治、講和問題、極東問題を協議し、極東委員會(FEC)と對日理事會(ACJ)の設置を決定。

十七日、衆議院議員選擧法改正が公布され、婦人參政權が實現する。

同日、我が國では最初の戰犯裁判(BC級)が橫濱地方裁判所で開廷。BC級とは捕虜や住民を虐待したとされる容疑であり、昭和二十四年十月十九日の閉廷までに千三十七人が起訴され、五十一人が死刑となつた。

十八日、幣原内閣が衆議院を解散する。

同日、日本協同黨結成(委員長・山本實彦)。

十九日、閣議で、總選擧の施行日を翌昭和二十一年一月二十二日とする方針を決定したが、GHQは、この閣議決定の發表を差し止める命令を出し、同時に、釋放政治犯人に對する選擧權付與の覺書を交付する。

同日、内務省警保局内に「公安課」新設。

同日、マッカーサーは、管下部隊に出した『連合國の日本占領の基本的目的と連合國によるその達成の方法に關するマックアーサー元帥の管下部隊に對する訓令』を新聞發表させることにより、我が國政府に次のとほり命令した。

すなはち、連合國の政策に從ふべき日本の究極の目的が、「日本が再び世界の平和及び安全に對する脅威とならないことを確實」にするためにあるとし、「日本政府及び國民は、最高司令官の指令を強制されることなく實行するあらゆる機會を與へられるべきであるが、自發的な行動が執られない場合には、遵守を要求するために適當な管下部隊に命令があたへられるであらう。占領軍は、主として最高司令官の指令の遵守を監視する機關として又必要があれば最高司令官が遵守を確實にするために用ゐる機關として行動する。」として、占領政策は、我が政府の自發性を假裝した強制であることを明らかにした。

二十日、GHQは、我が政府へ總選擧期日の暫時延期を指令する。

同日、『國家總動員法・戰時緊急措置法各廢止の件』を公布(施行は翌昭和二十一年四月一日)。

二十一日、『毎日新聞』が近衞文麿の「憲法改正草案要綱」なるものを掲載。

二十二日、史上初となる昭和天皇の記者會見。

同日、『勞働組合法』を公布(施行は翌昭和二十一年三月一日)。これにより團結權と團體交渉權が保障される。

二十四日、憲法問題調査委員會の第一回小委員會が開催され、以後、この小委員會は昭和二十一年一月二十三日まで全八回開催された。

二十六日、憲法問題調査委員會の第六回總會が開催され、改正に向けての檢討を決定。

同日、GHQ、東京の全新聞社、通信社の事前檢閲を開始。

二十七日、米英ソ外相會議によるモスクワ宣言が發表。極東委員會(FEC)と對日理事會(ACJ)の設置で合意する。戰後の國際經濟秩序を支配するブレトン・ウッズ協定が發效し、國際通貨基金(IMF)と國際復興開發銀行(世界銀行・IBRD)の設置が決定される。

同日、帝國憲法改正私案としての『憲法研究會案』(憲法草案要綱)發表。憲法研究會の主要メンバーは、高野岩三郎、馬場恆吾、杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵達雄、室伏高信、鈴木安蔵などであり、この草案による改正法の性質を暫定法とし、「この憲法公布後、遅くとも十年以内に國民投票による新憲法の制定を行はなければならない。」とするもの。

二十八日、帝國憲法改正私案としての『稲田正次案』、『清瀬一郎案』、『布施辰治案』發表。

二十九日、『農地調整法』改正法が公布(第一次農地改革はじまる)。

同日、『政治犯人等の資格回復に關する件』が公布。

三十一日、GHQ(CI&E)は、『修身、日本歴史及ビ地理停止ニ關スル件』といふ覺書(いはゆる「教育指令」)を提示。

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