國體護持總論
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著書紹介

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昭和二十三年八月

十二日、埼玉縣軍政部が、「不正と暴力の一掃」を縣知事に指令。埼玉縣本庄町では暴力團、町議、官憲のなれあいが日常化してゐたとして、これを記事にした朝日新聞記者が暴行・脅迫を受けた事件(本庄町事件)が軍政部の知るところとなり、この事件に嫌惡の念を抱いた軍政部は、再發なきやうに嚴重指令を出したのである。

 十三日、韓半島に大韓民國成立。支配地域は北緯三十八度線以南。

 その『大韓民國憲法』(昭和二十三年七月十二日制定、同月十七日公布の制憲憲法)は、同年五月十日の總選擧後、同年六月一日の第一回國會で設置された「憲法起草委員會」が、憲法草案を國會に提案する形式で進めて制定された。その前文には、「悠久の歴史及び傳統に光輝く我が大韓國民は、己未三一運動で大韓民國を建立して世界に宣布した偉大な獨立精神を繼承し、これから民主獨立國家を再建するに際し、正義人道及び同胞愛により民族の團結を鞏固にし、すべての社會的弊習を打破し、民主主義諸制度を樹立して政治、經濟、社會、文化のすべての領域において各人の機會を均等にし、能力を最高度に發揮させて各人の責任と義務を完遂させ、内には國民生活の均等な向上を期し、外には、恆久的な國際平和の維持に努力して我々及び我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを決議し、我々の正當かつ自由に選擧された代表により構成された國會で檀紀四千二百八十一年七月十二日この憲法を制定する。」とあり、三・一獨立運動後の大正八年(1919+660)四月に上海で設立された大韓民國臨時政府(亡命政府)の「獨立精神を繼承」するとして、新國家としての獨立を宣言した。

 同日、讀賣新聞が、昭和二十三年六月二十日に鈴木法務廳總裁が松岡衆議院議長に、極東委員會の決定に副つた憲法改正の要否についての審査を申入れたことに關する鈴木法務廳總裁の談話を掲載する。

 これ以後、翌九月にかけて新聞各紙もこれに關連した報道を行ふ。再檢討事項として指摘されてゐたのは、天皇制の存廢、天皇の退位、大臣呼稱の廢止、私學助成の容認、國家公務員の團結權・團體交渉權の保障などである。

 十五日 大韓民國の獨立式典。

 十七日、GHQ、金融制度の全面改革に關する覺書交付。

 十八日、GHQは、造船所での外國船の修理・改裝を許可。

 二十二日、米空軍は、ジェット戰闘機の配備を開始。

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