國體護持總論
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追認

「追認」とは、「破棄」のところで述べたとほり、私法の領域でいふ「取消」の對極にある概念である。つまり、GHQの強迫により國家の自由意志を抑壓してなされた立法行爲(占領憲法の制定)に瑕疵があり、「不確定的な有效」と評價されるものについて、それを將來に向かつて「確定的に有效」であることを承認する行爲のことである。つまり、二度と取消をすることができないといふ意味では「取消權の放棄」である。

また、前述したとほり、その瑕疵の程度がさらに著しいときは、「取消しうべき行爲」ではなく「無效」であるが、この場合にも一般的には「追認」ができるとされてゐる。つまり、「無效行爲の追認」である。

ただし、「取消しうべき行爲の追認」の場合は、行爲時(立法時)に遡つて確定的に有效となるのに對し、「無效行爲の追認」の場合は、追認時から有效となつて遡及效がないといふ違ひはある。

ところで、無效とされる行爲(無效行爲)には、追認可能な無效行爲と追認不可能な無效行爲との區別があることに留意しなければならない。單なる手續の不備などがあつた場合のやうに、法の效力要件要素たる妥當性を缺かない場合に限られるのであつて、他國の武力による占領中に改正を強制するなど、國際法の求める正義(妥當性)に反して制定された占領憲法の場合は、追認しえない無效行爲に該當することは明らかである。

民法においても、たとへば、殺人依賴の見返りとしての報酬約束などは公序良俗に違反することを理由に當然に無效であるが、このやうな公序良俗違反の無效行爲については追認はできない。なぜならば、その追認を認めると、その公序良俗違反行爲を結果的に許容することになり、それ自體が公序良俗に違反するからである。これと同樣に、占領憲法を暴力と強制で制定させたことの違法性は、公序良俗違反以上ものものであり、法の妥當性を缺く。これを追認することは、暴力の容認、暴力の禮贊に他ならず、その後の國際社會においても、軍事力によつて他國を制壓占領して憲法を改正させるといふ行爲の反復と繼續を容認することでもあるから、追認できない無效行爲である。

次に、「追認」がなしうるとしても、その時期については制約がある。「追認は、取消しの原因となっていた状況が消滅した後にしなければ、その効力を生じない(追認ハ取消ノ原因タル情況ノ止ミタル後之ヲ爲スニ非サレハ其效ナシ)。」(民法第百二十四條第一項)とあるやうに、「原因タル情況(状況)」が終了した後でなければ追認することができないといふことである。詐欺であれば、騙されたことを知り、強迫であればその強迫状態から解放されて、自由な意思を以て判斷できる情況になつて初めて追認できるのである。

後に詳しく述べることになるが、占領憲法の場合は、そもそも追認できる無效行爲ではないのではないか(追認の適格性)、はたして誰が追認できるのか(追認權の歸屬、追認機關)、追認しうる時期は到來したのか(追認時期)、追認の手續はどのやうなものか(追認手續)、現在において追認したと判斷できるのか(追認の有無)、もし、追認したとすればそれは有效なのか(追認の效力の有無)などについて問題がある。

結論を言へば、占領憲法は追認によつてその違法を治癒できる性質のものではなく(追認不適格=追認不可能な無效行為)、しかも追認の外形的事實もなく(追認不成立)、假にあつたとしてもその追認自體が無效であり(追認無效)、さらに、追認の時期も到來してゐない(追認時期の不到來)ので、追認があつたといふことはできない。

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