國體護持總論
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無效理由その一 改正限界超越による無效

典憲には改正ができないものがあることは、第一章で國體論について述べたとほりである。最高規範・根本規範である規範國體に牴觸する改正が認められないのは當然のことである。

そして、この論理は、國體論からして當然のことではあるが、憲法論においてもこの論理は肯定される。すなはち、當時の憲法學界の支配的見解は、國體を破壞する典憲の改正はできないとする典憲の「改正限界説」であつた。それゆゑ、この支配的見解からすれば、占領憲法が帝國憲法の改正といふ形式をとり、また、占領典範が明治典範を廢止した後に規範形式を異にする新たな法律として制定したといふ形態をとつてはゐるが、これは實質的には改正である。それゆゑ、いづれも改正によつては變更し得ない典憲の根本規範(規範國體)の領域にまで踏み込んで、その改正權の限界を超えてなされたものであるから絶對無效であることになる。

帝國憲法下では、國體と政體の二分論を肯定する見解もこれを否定する見解も、概ね帝國憲法第一條ないし第四條は國體規定であるとして、國體の變更はできないとしてゐた。そして、その他政體の基本的な制度についても根本規範であつて改正を許さないとの見解が支配的であつて、占領憲法は、この改正の限界を超えて變更しようとしたものであるから、改正法としては無效といふことになる。このことは、明治典範を實質的に「改正」した占領典範についても同樣である。

ところが、占領典憲が典憲として有效であるとした當時の政府とこれを支へた支配勢力は、それまでは典憲改正に限界があるとそのすべてが國是として主張してゐたにもかかはらず、保身のために變節して節操を賣つてGHQの占領政策に迎合し、その暴力的強制を民主化などと禮贊した「敗戰利得者」であり「暴力信奉者」であつた。そして、今もなほ「暴力の切れ端」(井上孚麿)である占領典憲を典憲として有效であるとする輩は、その無責任な敗戰利得者の後繼者であり、その地位を保身するため、改正限界説を放擲し、あるいは詭辯を弄して有效であると強辯してゐるだけである。嘘を百回、千回も大合唱したからといつて、嘘が眞實になることはないし、國内系において、他國の暴力を國家正義の實現として承認することなどは到底あり得ないことである。

そもそも、憲法改正に限界があるとするのは、帝國憲法下において「立憲主義」が定着してゐたことの歸結でもあつた。つまり、立憲主義とは、第一章で述べたとほり、現在では樣々な解釋がなされてゐるものの、『人および市民の權利宣言』(フランス人權宣言)第十六條に、「權利の保障が確保されず、權力の分立が規定されないすべての社會は、憲法をもつものではない。」とする規定に依據したもので、この定義からしても、當時の憲法學界や帝國議會で、帝國憲法が「立憲主義的意味での憲法」であるとすることに異議を唱へたものは誰も居なかつた。そのことから、國體と政體との理念的區別を踏まへて、憲法改正の限界を肯定するのが通説となつてゐたのであつて、立憲主義は、憲法改正限界説と一體のものと理解されてきた。そのことは、立憲主義の意味が多義的となつた今日においても受け繼がれた。そして、占領憲法有效論によれば、占領憲法の掲げる基本原則(國民主權主義、民主主義、恒久平和主義、權力分立制、基本的人權尊重主義など)については改正ができないとする見解が主流であり、とりわけ、國民主權主義、恒久平和主義、基本的人權尊重主義の三原則が唱へられてゐる。

極東委員會が昭和二十一年十月十七日に發令した占領憲法の「再檢討」指示に則り、その走狗となつて占領憲法の更なる改惡を企てた團體の改正案は多く、中でも『公法研究會』が發表した「憲法改正意見」(昭和二十四年三月)や『東京大學憲法研究會』の「憲法改正の諸問題」(同年六月)などがあるが、この三原則は、東京大學憲法研究會の「憲法改正の諸問題」に登場してくる。田中二郎(行政法)がその「總説」の中で、占領憲法の根本的改正を提案した際に主張したのが嚆矢とされる。その提案は、第一章を「總則」又は「日本國」と題し、そこに、憲法の基本原理を明示し、國民、領土、國旗等に關する規定、戰爭放棄條項を入れ、第二章を「國民の基本的人權に關する規定」、第三章を「天皇」とする、占領憲法以上に破壞的な改惡を提案したものであるが、そこでこの三原則を主張したものであり、占領憲法の解釋から當然に導かれるものではない。

そして、この三原則の改正が不可能であることの根據の一つとして必ず掲げるのが、「占領憲法は立憲主義的意味の憲法である」といふ點である。やはり、占領憲法の解釋においても、立憲主義を採るのであれば、典憲の改正限界説とは不可分一體のものになるはずである。そして、この立憲主義と典憲の改正限界説は、戰後になつて初めて定着したものでないことは前述のとほりであるから、帝國憲法の改正時においても、立憲主義と典憲の改正限界説に基づいて占領典範と占領憲法の效力について論ずるべきである。決して、御都合主義の二重基準をとることは許されない。帝國憲法と占領憲法が共に立憲主義的意味での憲法であるとするならば、占領憲法の改正に限界があるとする見解は、帝國憲法の改正に限界があることを當然に認めなければならない。さうであれば、論理必然的に、占領憲法は無效といふことになるのである。また、この論理が、そのまま占領典範についても同樣に適用されることは自明のことである。

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