國體護持總論
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無效理由その七 根本規範堅持の宣明

ポツダム宣言受諾日の昭和二十年八月十四日の詔書によれば、「非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾」せんがためにポツダム宣言を「受諾」したものであり、敗戰後も「國體ヲ護持」すること、即ち、正統憲法と正統典範の上位に存在する根本規範である規範國體を堅持することを國家の要諦として宣明してゐた。

また、昭和二十年六月八日の御前會議における國體護持などの國策決定、同年八月十日の御前會議における國體護持などを條件としたポツダム宣言受諾の決定、同日の下村宏情報局總裁の國體護持の談話發表、同月十四日における國體護持の内閣告諭、同月十五日の國體護持の文部大臣訓令、同月十七日の陸海軍人に對する國體護持の敕語、同月二十八日の東久邇總理大臣の國體護持聲明、同年九月四日の貴族院における國體護持の決議、同月十五日の國體護持を内容とする文部省發表の「新日本建設の教育方針」などにおいて、一貫して「國體護持」が國是として表明されてゐた。ここでいふ「國體」とは、文化國體をも含まれるが、少なくとも國法學、國體學においては、その規範的性質である「規範國體」(根本規範)を意味するものであることは云ふまでもない。

昭和天皇も昭和二十年八月に、「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」と、さらに、「國がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり」と詠まれ、翌二十一年の新年歌會始めには、「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」と詠まれてゐる。

そして、政府は、その後においてこの「國體護持」の基本方針を撤回する宣明をした事實が全くない。それゆゑ、規範國體を護持するといふ國家基本方針は、占領の前後において一貫して堅持されてきたことになる。從つて、これを否定する宣明をすることもなく密かにこれを放棄することは許されず、あへてこれを否定する宣明をすることもなく、規範國體を否定する内容の占領典憲を制定することは、禁反言(エストッペル)の法理に違反して無效である。

そもそも、假に、詔書において「國體護持」の宣明がなされてゐなかつたとしても、規範國體に違反する規範は、いかなる形式のものであつても無效である。このことは、前に述べた「占領典憲共通の無效理由の分類」の五つの類型のうち、第一の類型である「國體論」による理由付けである。しかし、ここでの理由付けは、第三の「成立要件論」と第四の「效力要件論」によるものである。つまり、ここで指摘する無效理由とは、綸言汗の如しといふ詔書不變更の原則もまた規範國體を構成するものであることから、後行する帝國憲法の改正が先行的に宣明された國體護持の詔書に反するものであれば、その改正自體が無效であることを意味するものである。そして、このことから、帝國憲法の改正が先行の詔書に反することから無效であるといふことになる。

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