國體護持總論
トップページ > 著書紹介 > 國體護持總論 目次 > 【第三巻】第三章 皇室典範と憲法 > 第五節:占領憲法の無效性

著書紹介

前頁へ

無效理由その十二 政治的意志形成の瑕疵

占領憲法については、その改正過程において、プレスコード指令や神道指令などによる完全な言論統制と嚴格な檢閲がなされてゐたことは嚴然たる歴史的事實であり、その詳細は第二章で述べたとほりである。これは、臣民の政治的意志形成に瑕疵があり、表現の自由等を保障した帝國憲法第二十九條等に違反する。

表現の自由(知る權利)は、民主社會を維持し育成する上で極めて重要な機能を有し、實質的には政治參加の機能を持つてゐる。いはば、參政權行使の前提となる權利であつて、この行使が妨げられることは實質的に參政權の行使が妨げられたと同視されるから、言論統制下での改正行爲自體が違憲無效なのである。

前述のとほり、バーンズ回答によれば、我が國の最終的政治形態は「日本國民の自由意志」に委ねるとしてゐたのであつた。このことは、憲法改正を義務づけず、連合國の占領統治下においても「陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約」を遵守し、國内手續においても憲法改正發議權を侵害せずに、かつ、我が臣民の自由意志によるとの意味である。しかし、連合國は、これらを悉く踏みにじつたのである。

ただし、帝國憲法の改正審議において必要な「日本國民の自由意志」とは、あくまでも帝國憲法下の法制で顯出されるものであつて、決して剥き出しの國民主權を意味するものではない。それは、あくまでも憲法改正手續における一つの審議機關としての帝國議會、しかも、民選の衆議院を經由して汲み取られた「日本國民の自由意志」を意味するのである。

ところが、改正手續の過程において、GHQは、プレスコード指令などにより全面的な檢閲と情報操作による完全な言論統制を行つてゐた。GHQが占領憲法を起草したことに對する批判や、その起草に當たつてGHQが果たした役割についての言及やその批判などは一切報道してはならないし、これを行へば發行禁止處分になるといふことは、國民には全く知らされてゐなかつたのである。また、憲法改正の是非を問ふための選擧もなされず、帝國議會での審理は、實質的には祕密會で全てが行はれて全く公開されなかつた。昭和二十一年三月六日に發表された『帝國憲法改正草案要綱』(いはゆる「三月六日案」)は、あくまでも要綱であつて、改正案全文ではない。この要綱案しか發表されないままで、僅か約一か月後の同年四月十日に衆議院議員總選擧がなされたが、この選擧では立候補者の選擧広報所載の政見内容でこの要綱に觸れてゐないものが八十二・六パーセントであつて、殆ど選擧の爭點とはされてゐなかつたのである(憲法調査會「憲法制定經過に關する小委員會第二十五回議事録」)。この選擧の唯一最大の爭點は、食糧問題であり、「憲法よりもメシだ!」といふ感覺が世情を完全に支配してゐたのである。

このやうな臣民の生活状況で憲法改正について關心を向けることは不可能に近かつたが、さらにその上に追ひ打ちをかけるやうに、GHQの情報操作と思想検閲は猖獗を極めた。特に、アメリカの對日檢閲計畫は、用意周到なもので凄まじいものがあつた。昭和十六年十二月八日の大東亞戰爭開戰の翌日に、J・エドガー・フーヴァーFBI長官が檢閲局長官臨時代理に任命されたときから用意周到に行はれてきたものであり、占領直後から、連合國軍最高司令官總司令部(GHQ、SCAP)の民間諜報局(CIS)に屬する民間檢閲支隊(CCD。Civil Censorship Detachment)などによつて徹底した檢閲がなされてきたのは周知の事實である。昭和二十年八月三十日に、マッカーサーが厚木飛行場に到着し、橫濱に入つた二日後の同年九月一日には、連合國軍最高司令官總司令部(GHQ、SCAP)の太平洋陸軍總司令部參謀第二部(G2)民間諜報局(CIS)に屬する民間檢閲支隊(CCD)の先遣隊の一部が橫濱に到着してゐる。これは降伏文書調印の前日のことである。

このやうに、國民の政治的意志を決定するために不可缺な「知る權利」は全く否定されて徹底した檢閲がなされた情況での帝國憲法の改正が有效として肯定されるはずはない。國民の眞摯な政治的意志が決定されるためには、正確で必要不可缺な情報を國民が知ることのできる權利が保障されてゐなければならない。この論理は、占領憲法を有效とする見解の壓倒的多數が當然の如く肯定してゐるものである。さうであれば、論理必然的に占領憲法は無效であるとしなければ自家撞着を來すことになる。參政權と不可分の關係にある「知る權利」は、表現の自由の保障にとつて根幹をなす權利であり、帝國憲法第二十九條も「日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス」として表現の自由は保障されてゐた。ましてや、ポツダム宣言第十項は、「日本國政府は、日本國國民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に對する一切の障礙を除去すべし。言論、宗教及思想の自由竝に基本的人權の尊重は、確立せらるべし。」として、この知る權利の保障を占領統治の條件としてゐたのであるから、檢閲、情報操作、言論統制などは論外なことである。このことからしても、GHQの占領政策の目的が「民主化」であるとする主張は成り立たない。單に、「日本弱體化」の目的のために都合のよい方向だけの「民主化」の僞裝を、非民主的かつ暴力的な強迫に屈して推進してゐたものに過ぎないのである。

この強迫の主體は、何もGHQだけではない。GHQの傀儡となつた我が政府首腦も、帝國議會や臣民に對し、GHQの手先となつて占領憲法の制定について非民主的に問答無用の態度で推進してきたのである。しかも、GHQの虚僞の情報操作による詐術によつて、GHQが極東委員會の我が國に對する無理難題の要求的壓力の盾となつて我が國を守つてくれてゐるといふ倒錯した認識すら政府首腦が抱いた感がある。つまり、GHQによる強迫に馴致しつつ、さらに、GHQの詐術によつてまんまと騙され、占領憲法の制定は天皇の地位を安泰ならしめるために不可缺なものであると信じて、この強迫と詐術の二頭立ての馬車に乘つて占領憲法の制定の道を驅け抜けたといふことである。

具體的に云へば、たとへば、昭和二十一年三月二十日、幣原首相が樞密院會議において、帝國憲法改正草案要綱を發表するに至つたこれまでの經緯について、「極東委員會ト云フノハ極東問題處理ニ關シテハ其ノ方針政策ヲ決定スル一種ノ立法機關デアツテ、其第一回ノ會議ハ二月二十六日ワシントンニ開催サレ其ノ際日本憲法改正問題ニ關スル論議ガアリ、日本皇室ヲ護持セムトスルマ司令官ノ方針ニ對シ容喙ノ形勢ガ見エタノデハナイカト想像セラル。マ司令官ハ之ニ先ンジテ既成ノ事實ヲ作リ上ゲムガ爲ニ急ニ憲法草案ノ發表ヲ急グコトニナツタモノノ如ク、マ司令官ハ極メテ秘密裡ニ此ノ草案ノ取纏メガ進行シ全ク外部ニ洩レルコトナク成案ヲ發表シ得ルニ至ツタコトヲ非常ニ喜ンデ居ル旨ヲ聞イタ。此等ノ状勢ヲ考ヘルト今日此ノ如キ草案ガ成立ヲ見タコトハ日本ノ爲ニ喜ブベキコトデ、若シ時期ヲ失シタ場合ニハ我ガ皇室ノ御安泰ノ上カラモ極メテ懼ルベキモノガアツタヤウニ思ハレ危機一髪トモ云フベキモノデアツタト思フノデアル」と報告したことや、同年六月二十三日には、吉田首相が、憲法改正案の立案に關し、貴族院での施政方針演説への質問に對して、「唯茲ニ一言御注意ヲ喚起シタイト思ヒマスノハ、單ニ憲法國法ダケノ觀點カラ此ノ憲法改正案ナルモノヲ立案致シタ次第デハナクテ、敗戰ノ今日ニ於キマシテ、如何ニシテ國家ヲ救ヒ如何ニシテ皇室ノ御安泰ヲ圖ルカト言フ觀點ヲモ十分考慮致シマシテ立案シマシタ次第デアリマス。」と答辯したやうに、マッカーサーの配慮によつて御皇室の護持安泰ができたことに感謝し、その取引条件として占領憲法を制定するのであると本氣で信じてゐたのである。つまり、マッカーサーが天皇を人質にした強迫と詐術によつて、幣原と吉田の各首相がこれを眞實であると信じ、かつ、その強迫に屈服して、樞密院を騙し、貴族院を騙し、そして臣民を騙してきたといふことである。

ところで、國民の政治的意思決定に關しては、前章で述べたとほり、極東委員會(FEC)の方針について言及する必要がある。それは次のとほりであつた。まづ、極東委員會(FEC)は、昭和二十一年三月二十日、『日本憲法に關する政策』を採擇し、マッカーサーに通告した。その骨子は、日本憲法問題に關して、①極東委員會は草案に對する最終的な審査權を持つてゐること、②最高司令官は草案の推移について絶へず極東委員會に報告すべきこと、③草案の内容はポツダム宣言に適合するものであるべきこと、④しかもそれは日本國民の自由な意思の表明の保障の下に採擇されるものであること、などであつた。そして、同年四月十日、極東委員會(FEC)は、日本憲法採擇について極東委員會(FEC)が關與することを希望するものであることを米國を含め全委員一致で決議(いはゆる「四月十日決議」)したが、同月十三日、マッカーサーは、極東委員會(FEC)の「四月十日決議」を拒否する旨米政府に通知した。しかし、極東委員會は、同年五月十三日に、『日本新憲法採擇に關する基準』を全會一致で決定した。この『日本新憲法採擇に關する基準』とは、「新憲法の採擇に關する基準は、憲法が最終的に採擇されたときに、事實上、日本國民の意思の自由な表現であることを確保するやうなものでなければならない。」とし、「新憲法の條項を十分に論議し、考究するための、適當な時間と機會が與へられなければならない。」などといふものであつた。そして、同年七月二日には、極東委員會(FEC)特別總會が開催され、『新日本憲法の基本諸原則』を全會一致で採擇した。その主な内容としては、①主權は國民に存することを認めなければならないこと、②日本國民の自由に表明された意思をはたらかすやうな方法で憲法の改正を採擇すること、③日本國民は、天皇制を廢止すべく、もしくはそれをより民主的な線にそつて改革すべく、勸告されなければならないこと、もし、日本國民が天皇制を保持すべく決定するならば、天皇は新憲法で與へられる權能以外、いかなる權能も有せず、全ての場合について内閣の助言に從つて(in accordance with)行動すること、④天皇は帝國憲法第十一條、第十二條、第條十三條及び第十四條に規定された軍事上の權能をすべて剥奪されること、⑤すべての皇室財産は國の財産と宣言されること、⑥樞密院と貴族院を現在の形で保持することはできないこと、⑦内閣總理大臣その他の国務大臣は全て文民でなければならないこと(文民條項)、などであつた。そして、これらを踏まへて、同年十月十七日の極東委員會(FEC)は、『日本の新憲法の再檢討に關する規定』といふ政策決定を行ひ、三月二十日の『日本憲法に關する政策』としての「極東委員會は草案に對する最終的な審査權を持つてゐること」を前提とすると、既に成立したとする新憲法について事前審査がなされてをらず、それが果たして七月二日の『新日本憲法の基本諸原則』における「日本國民の自由に表明された意思をはたらかすやうな方法で憲法の改正を採擇すること」の要件からして、帝國議會の承認がこれに該當するのかについて、極東委員會が最終審査權による新憲法の承認又は不承認を判斷するためにも、日本國民に對し、その再檢討の機會を與へるべきであるとの見解を示した。つまり、アメリカは、帝國議會の承認が「自由に表明された意思」であるので、極東委員會において最終審査として承認されるべきとし、ソ連はこれに不承認として反對したことから、承認か不承認かを棚上げにする案として「再檢討」といふことになり、占領憲法は、極東委員會の最終審査を經ずに實施されることになつたのである。

つまり、これらの經緯が意味する結論としては、占領憲法が帝國議會で承認されたことだけでは不十分であり、極東委員會の一連の決定にある「日本國民の意思の自由」と「論議・考究するための適當な時間と機會」の確保のために、少なくとも憲法改正のための特別議會及び國民投票を必要とするといふことである。

続きを読む