國體護持總論
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著書紹介

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蚤の曲藝とハーメルンの笛吹き男

このやうな敗戰利得者の有效論者は、占領統治の歴史的事實を捏造してまで占領憲法を有效であるとする「確信犯」であり、憲法學者(憲法業者)や法曹界、政界、官界、經濟界などは、ほぼこれらの輩で占められてゐる。しかし、それ以外の有效論者の多くは、洗腦されて曲藝を仕込まれた「蚤」と、御爲ごかしの「ハーメルンの笛吹き男」に譬へられる。

まづ、「蚤」についてであるが、これは、第二章で述べたとほり、尾崎一雄が昭和二十三年一月の『新潮』で發表した『蟲のいろいろ』の中で、「蚤の曲藝」のことである。

これを再述すると、次の一節のことである。


「蚤の曲藝という見世物、あの大夫の仕込み方を、昔何かで讀んだことがある。蚤をつかまえて、小さな丸い硝子玉に入れる。彼は得意の脚で跳ね回る。だが、周圍は鐵壁だ。散々跳ねた末、若しかしたら跳ねるということは間違っていたのじゃないかと思いつく。試しにまた一つ跳ねて見る。やっぱり駄目だ、彼は諦めておとなしくなる。すると、仕込手である人間が、外から彼を脅かす。本能的に彼は跳ねる。駄目だ、逃げられない。人間がまた脅かす、跳ねる、無駄だという蚤の自覺。この繰り返しで、蚤は、どんなことがあっても跳躍をせぬようになるという。そこで初めて藝を習い、舞臺に立たされる。このことを、私は随分無慘な話と思ったので覺えている。持って生まれたものを、手輕に變えてしまう。蚤にしてみれば、意識以前の、したがって疑問以前の行動を、一朝にして、われ誤てり、と痛感しなくてはならぬ、これほど無慘な理不盡さは少なかろう、と思った。」(文獻240)。


ここで、藝を習つた蚤とは、屬國意識、敗北意識に毒されて似非改憲論(改正贊成護憲論)とか似非護憲論(改正反對護憲論)とかを騷いでゐる日本人、硝子玉とは、マスメディアなどで喧傳される戰後體制、仕込手とは、連合國主導の國連體制の喩へであることはお解りいただけるであらう。

また、「ハーメルンの笛吹き男」といふのは、實際に起こつた子供たちの失踪事件に由來すると云はれてゐるが、ドイツの有名な傳説に登場する人物である。ハーメルンの町に餘りにも鼠が增えて住民が頭を抱へてゐたところ、笛吹きの得意なこの男が町を訪れる。鼠捕りを得意とするこの男に住民は、もし、鼠を一掃してくれたら報酬を拂ふと男に約束し、男はそれを實行した。男は笛を鳴らし、その音に誘はれた多くの鼠を町の外れにある川に誘ひ込んで溺死させて一掃した。しかし、住民は男に報酬を拂はない。すると、男は、その復讐として、町の百三十人の子供たちを同じ方法で町の外に連れ去つて誘拐してしまつたといふトリックスターの話である。

これは、本來は歴史と傳統を守り國體護持を望む傳統保守層を無效論に導くべき氣持ちはあつたものの、敗戰利得者の乘るバスに乘り遲れたことで、敗戰後の利益を得られなかつたことの無念さを抱へながら流れ歩いた末、屈辱的ではあるが敗戰利得者からのお零れを求めて有效論に與したが、それでも滿足できる地位と利益が得られなかつた不滿から、御爲ごかしにも傳統保守層に聞こえの良いよい話をしながら、この傳統保守層と將來を託すべき子供たちを、傳統保守の根幹を打ち碎く有效論(似非改憲論)に導き、傳統保守層と子供たちを我が國から一掃することに努力してゐる「似非保守」(戰後保守、占領保守)の勢力ことを寓意してゐる。

しかし、我々は、藝を習ふ蚤にならないし、たとへ仕込手に捻り潰されやうとも、それでも飛び跳ねる蚤にならうとして正氣を回復し、そして、ハーメルンの笛吹き男の謀略を暴き、連れ去られた傳統保守層とそれを承繼する子供たちを取り戻すことに盡力しなければならないのである。

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