國體護持總論
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眞正護憲論の特徴その四(つづき)

次に、放棄したとする「國權の發動たる戰爭」といふのは、當然に「自衞戰爭」を含むものである。自衞とは、國權の發動の最たるものであつて、假に、第九條第一項でこれが放棄されてゐないとする牽強附會の見解に立つたとしても、占領憲法は、連合國に對する詫び證文(反省文)であり、その前文で大東亞戰爭が「侵略戰爭」であつたとして指彈するのであるから、侵略戰爭であるとされる大東亞戰爭の最終段階における交戰權の行使である講和ができるはずもない。「平和を愛する諸國民の公正と信義に信賴して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」(前文)のであるから、交戰権も自衞權も放棄したことになる。占領憲法が憲法として有效であるとの立場であれば、永久に講和はできず、そして獨立はできないことになるはずである。

このやうに、交戰權の意味について、政府や學者など多くの講釋師が登場してまことしやかな説明が試みられてゐるが、この用語は、昭和二十一年二月三日にマッカーサーがGHQ民政局(GS)へ『日本國憲法草案』(GHQ草案)の作成を指示した際に、その内容の骨子として示した『マッカーサー三原則(マッカーサー・ノート)』に初めて登場した「政治用語」であり、これまでの法律用語としては通用してゐなかつたことをひた隱しにしてゐる。

その部分に該當するマッカーサー・ノートの内容は、第二章で示したとほり、「War as a sovereign right of the nation is abolished.」(國家の主權的權利としての戰爭を放棄する。)、「Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security.」(日本は、紛爭解決の手段としての戰爭、および自國の安全を保持するための手段としての戰爭をも放棄する。)、「It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.」(日本は、その防衞と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。)、「No Japanese army, navy, or air force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.」(いかなる日本陸海空軍も決して保有することは、將來ともに許可されることがなく、日本軍には、いかなる交戰者の權利(交戰權)も決して與へられない。)といふものであり、ここに明確に「rights of belligerency(交戰權)」といふ用語が登場したのである。それが占領憲法の英語公文の表現(英文官報の表現)では、「The right of belligerency」となつたが、全く同じ意味である。これは、自衞戰爭も一切認めないといふ徹底したもので、狹義説とか廣義説といふやうな生やさしいものではない。「no rights」(いかなる交戰の諸權利も一切認めない)といふのであるから、そもそも戰へないし(宣戰權不保持)、これに違反して不法に戰つた國家に講和條約を締結できる權利が與へられるはずもないこと(講和權不保持)は當然のことなのである。

つまり、占領憲法は、これを受けて、戰爭を始め(宣戰權)、戰闘を遂行又は停止し(統帥權)、戰爭を終結して講和を締結すること(講和權)に至るまでの一連の行爲を「交戰權」と規定したことに他ならないのである。

そして、占領憲法では、戰爭を放棄し、この交戰權が認められてゐないにもかかはらず、その施行時には未だに「戰爭状態」が終はつてゐなかつたことになるので、これは占領憲法の致命的な矛盾であり、その施行當初から憲法としての實效性がなかつたことになる。つまり、大東亞戰爭を宣戰して戰闘を遂行し、ポツダム宣言を受諾し降伏文書に調印して停戰し、その結果獨立が奪はれて軍事占領に置かれ、その後に講和條約を締結して戰爭状態を消滅させ獨立を回復するまでの一連の行爲は、帝國憲法の宣戰大權(第十三條)、統帥大權(第十一條)、講和大權(第十三條)を根據とするものであつて、講和條約締結時においても、帝國憲法には憲法としての實效性があつたことになる。

ところで、國際法上、軍事占領下の非獨立國であつても例外的に獨立を回復するための講和條約を締結できるが、一般の條約は締結できない。もし、講和條約の締結についてのみ唯一この例外を認めないと、非獨立國は永久に獨立することができなくなる。非獨立國が締結する講和條約は常に無效(又は不成立)となり、桑港條約も無效となつて我が國は未だに獨立してゐないことになる。一般には、非獨立國は國家とは言へず、講和條約以外の一般條約を締結できる當事國能力がなく、條約を締結しうる主體とはなりえないからである。從つて、桑港條約の締結權を、獨立國であることを前提とするはずの占領憲法第七十三條第三號に求めることはできない。

ましてや、交戰權が否認された占領憲法では、獨立後と雖も交戰權行使の歸趨にかかる講和條約は締結できないのであるから、獨立前においては尚更のことである。占領憲法によつて内閣に附與された條約締結權は、國家がなしうる權限を越えて存在しえない。それゆゑ、交戰權の歸趨にかかる講和條約の締結を有效になしうるのは、帝國憲法第十三條以外にありえないのである。よつて、次章で述べるとほり、我が國は、帝國憲法下で獨立し、帝國憲法が最高規範たる憲法として今もなほ現存し、その下位法令として占領憲法といふ講和條約の性質を持つ國際系の法令に轉換し、さらにその國内系秩序への編入について時際法的處理がなされてゐないために、憲法的慣習法として存在しうるに過ぎないことが國法學的に證明されてゐることになる。

さらに、その他の戰爭當事國であつた中華民國とソ連についても考察すると、まづ、我が國は、中華民國政府(臺灣)との間で、昭和二十七年四月二十八日、我が國が桑港條約の發效により「戰爭状態」を終了させ獨立を回復させた七時間三十分前に、『日華平和條約』(資料三十八)を調印してゐる。これも、嚴密には獨立回復前になされた講和條約である。そして、この日華平和條約の第一條にも「日本國と中華民國との間の戰爭状態は、この條約が效力を生ずる日に終了する。」とあり、同年八月五日に發效して中華民國との戰爭状態は終了した。

また、最後の戰爭當事國であつたソ連との間でも、昭和三十一年十月十九日に『日ソ共同宣言(日本國とソヴィエト社會主義共和國連邦との共同宣言)』(資料三十九)を調印し、その第一條にも「日本國とソヴィエト社會主義共和國連邦との間の戰爭状態は、この宣言が效力を生ずる日に終了し、兩國の間に平和及び友好善隣關係が回復される。」とあり、同年十二月十二日の發效によりソ連との戰爭状態は終了した。

ところがである。日華平和條約は、昭和四十七年九月二十九日、田中角榮内閣による中共(中華人民共和國)との「日中復交」によつて破棄された。その破棄のための交渉や破棄の手續は一切なく、大平正芳外相の「日華平和條約はもはや存在しません」と言明だけで破棄したのである。日華間の「戰爭状態」を終了させた第一條のみを除外して破棄することなく、これを含めて全面的に破棄したのであるから、日華間の「戰爭状態」は復活することになる。戰爭状態の復活は、新たな宣戰通告であるから宣戰大權の行使によらなければならず、これは帝國憲法では可能であるが、占領憲法では到底不可能である。それどころか戰爭状態の復活は、交戰權の行使であるから、占領憲法が憲法であれば、その第九條に違反することになる。

なほ、日華平和條約の破棄の前提となつた同日の『日本國政府と中華人民共和國政府の共同聲明』(日中共同聲明)においても、その前文で「戰爭状態の終結」を謳ひ、第一條で「日本國と中華人民共和國との間のこれまでの不正常な状態は、この共同聲明が發出される日に終了する。」とした。中共は、ポツダム宣言受諾後である昭和二十四年の建國であるから、大東亞戰爭の戰爭當事國ではないとしても、支那事變で戰闘状態となつてゐた八路軍(中國共産黨軍)が建國中樞となつた國家であるから、それとの戰爭状態(戰闘状態)の終結も必要であつた。そして、この戰闘状態(不正常な状態)の終結を爲すことも、講和大權の發動であるから、交戰權のない占領憲法では不可能であり、これも帝國憲法に基づくことになる。

つまり、戰爭状態を終了させる講和條約を締結する行爲とその講和條約を破棄して戰爭状態を復活させる行爲は、いづれも帝國憲法の講和大權に基づくものであるから、帝國憲法の實效性は、日華平和條約の破棄と日中共同聲明がなされた昭和四十七年九月二十九日の時點でもその存在が客觀的に證明されてゐる。そして、その反射的效果として、その時點でも占領憲法には實效性がなかつたことが證明されてゐるのである。

さらに、最高裁判所は、一般論としても、戰前の領土割讓や併合に因つて日本國籍を取得した者は桑港條約發效によつて日本國籍を喪失する(昭和四十年六月四日判決)と判斷し、臺灣についても、大法廷判決(昭和三十七年十二月五日)は、日華平和條約第二條により日本が臺灣に對する權利を放棄したことにより、臺灣人は本條約の發效日に日本國籍を喪失したと判斷したが、この破棄によつてどうなるのかも未だ判斷が示されてゐない。少なくとも「臺灣關係法」を制定して、これらの諸問題を解決する義務が我が國にあるのに、その違法な不作爲状態がいまもなほ續いてゐるのである。

第二章で述べたとほり、占領憲法は施行當初から「戰爭状態」のまま成立し、しかも、昭和二十五年七月八日に、警察豫備隊七萬五千人の創設と海上保安員八千人增員を命じたマッカーサー指令に始まつて、同年十月十七日には朝鮮戰爭の戰闘地域に特別掃海隊を極秘のうちに派遣して日米共同軍事作戰に參加して參戰し、戰死者一名も出した上、警察豫備隊から保安隊、そして自衞隊へと改組された軍隊が存在する。なほ、占領憲法が憲法として有效ならば、自衞隊は違憲であるが、眞正護憲論(新無效論)では、帝國憲法に照らして合憲の存在である。

さらに、日ソ共同宣言が發效した昭和三十一年十二月十二日から、日華平和條約が破棄される昭和四十七年九月二十九日までの十六年餘の期間は、「大東亞戰爭」の戰爭状態は終了してゐたが、その後は中華民國(臺灣)との間では戰爭状態が復活するといふ事實關係からして、占領憲法には、當初から現在まで全くその實效性はなかつた。なほ、昭和四十七年九月二十九日の日中共同聲明により大東亞戰爭に含まれる支那事變の戰闘状態が終了して、完全に大東亞戰爭の全ての戰爭状態が終了したとする見解に立つとすれば、この直後である同日に日華平和條約が破棄されて、中華民國との間では戰爭状態が復活したことになつたので、大東亞戰爭の戰爭状態は、ほぼ間斷なく未だに終結してゐないことになる。つまり、いづれの見解に立つたとしても、現在でも戰爭状態は繼續してゐるのである。

そして、このことは、逆に、帝國憲法に實效性が現在も存續してゐることの證明がなされたことでもある。

さらに附言するに、桑港條約の締結について、一部講和か全面講和かが爭はれ、一部講和といふ選擇がなされた點は政治的には正しかつた。しかし、これを憲法學的にみれば、占領憲法が憲法として有效である立場からすると、桑港條約は一部講和であるので、桑港條約は明らかに違憲となる。なぜならば、一部の戰爭當事國と講和するといふことは、殘りの戰爭當事國とは講和しないといふ國家行爲であつて、その限度で戰爭状態を繼續するといふ不作爲の國家行爲(戰爭繼續行爲)がなされることであるから、「交戰權の行使」に該當し違憲となるからである。戰爭を終結させることは、その外交交渉も含めて交戰權の行使である。戰爭を終結するのはあくまでも結果論であつて、その外交交渉の過程は戰爭状態の繼續である。外交交渉が決裂すれば、戰爭状態が繼續したままである。それゆゑ、桑港條約によつて一部講和が實現したといふ結果論を以て、桑港條約の締結は「交戰權の行使」に該當しないといふのは詭辯以外の何ものでもない。假に、このやうな詭辯的見解に立つたとしても、一部講和の桑港條約を締結することは、これによつて講和しない交戰國(たとへばソ連など)と戰爭状態を繼續させる行爲となつて明らかに違憲であり、我が國は、「憲法に違反して獨立した」といふ忌まはしい國辱の歴史を刻んだといふことになつてしまふ。有效論者はそこまで言ひ切る覺悟があるのか。


また、これ以外にも、帝國憲法が現存してゐることの状況證據がある。それは、紀元節が復活したこと、退位がなく皇統が繼續したこと、元號(昭和)の變更がなかつたこと、それ以後も元號制度が繼續してゐることなど、國體の存續を示す事實が存在してゐることである。後述する革命有效説や正當性説などの有效説であれば、これらの事實は到底容認できないはずである。

もし、占領憲法が憲法として有效であれば、交戰權が否定されてゐることから、論理的には桑港條約が無效であり、今もなほ我が國は獨立してをらず、非獨立状態(占領状態)が存續してゐることになる。交戰權の否定こそが占領憲法の要諦であり、これが維持されなければ「護憲」の本願が達成できないとする原理主義的な占領憲法擁護論であれば、桑港條約の無效を主張をしなければ論理一貫性がなくなる。もし、桑港條約を認めれば、交戰權を肯定することになり、憲法破壞となるからである。桑港條約を認めるのであれば、滿洲事變において、昭和六年九月二十一日、宣戰大權(帝國憲法第十三條)を簒奪してその大命(宣戰の詔敕)を待たずに朝鮮駐屯軍を獨斷で越境させて滿洲に侵攻させた林銑十郎中將の軍事行動と、これを同日の内閣の閣議で「事變とみなす」として事後承認(追認)決議した行爲とを非難する資格は全くなくなる。つまり、占領憲法有效論であれば、「獨斷越境司令官」と揶揄された林銑十郎中將の軍事行動を事後承認した内閣の行爲は、交戰權のない占領憲法下の内閣が桑港條約を締結した占領憲法違反行爲と比肩されるべき行爲に他ならないからである。これは、將來においても、交戰權がないのに自衞隊が勝手に對外的に軍事行動を起こし、その有利な戰果を上げたことを踏まへて、その獨斷專行を追認するといふ御都合主義的な手法を將來において認める餘地を孕んでゐる。これでは、自衞隊が超法規的行動として行ふ軍事的暴走を阻止できない。むしろ、この見解は、その暴走を容認する論理となつてしまふのである。

このやうに、交戰權が否定されてゐる占領憲法によつては桑港條約の有效性、獨立の根據を肯定できないことが濳在意識として埋め込まれてゐるために、占領憲法を擁護するハーメルンの笛吹き男たちの多くは、強烈な對米從屬などの心理的かつ情緒的傾向が顯著であり、現象的には我が國が未だに獨立してゐない植民地ないしは屬國であることを暗黙の前提とした樣々な言説を撒き散らしてゐるのである。いづれにせよ、このやうな現象は、韓半島の宿痾と同樣の「屬國のノスタルジア」(屬國病)の情緒と感情であり論理の所産ではない。

法律學や政治學は、「論理」を基軸に構築されるものであつて、これを無視して「情緒」だけで左右されてはならない。このことは、占領憲法の有效論と無效論との論爭、舊無效論と眞正護憲論(新無效論)との論爭においても同樣である。つまり、占領憲法の根幹ともいふべき「交戰權」に關しても、桑港條約の締結權限が占領憲法に存在するのか否かといふ觀點が有效論や舊無效論にはなく、眞正護憲論(新無效論)が初めて明らかにしたのである。そのことを踏まへて考察すれば、やはり占領憲法には憲法としての實效性がなく、帝國憲法に實效性がいまもなほ存續してゐることが明らかになつてくるのである。

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