國體護持總論
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眞正護憲論の特徴その五

第五の特徴は、「占領統治下におけるポツダム緊急敕令及びこれに基づくポツダム命令の法的意義と效力に關して、眞正護憲論(新無效論)のみが最高裁判所の判例と整合性を有する唯一の見解であることを明らかにしたこと。」である。

前述のとほり、ポツダム緊急敕令及びこれに基づくポツダム命令(以下これを前例のとほり「緊急敕令等」といふ。)について、最高裁判所は、占領下の昭和二十三年六月二十三日の前掲大法廷判決において、新舊いづれの憲法においても有效であると判示した。さらに、獨立回復後の昭和二十八年四月八日大法廷判決において「日本國憲法にかかわりなく憲法外において法的效力を有するものと認めなければならない。」とし、さらに、「連合國最高司令官の意思表示が要求であるか又は單なる勸告又は示唆に止まるものであるかは、その意思表示が文書を以てなされたか口頭によつてなされたか、或は指令、覺書、書簡等如何なる名義を以てなされたかというような形式によつて判定さるべきではなく、意思表示の全體の趣旨を解釋して實質的に判斷されなければならない。」と判示した。また、占領憲法の無效確認を求めた訴訟について、最高裁判所昭和五十五年五月六日第三小法廷判決は、「裁判所の有する司法權は、憲法七十六條の規定によるものであるから、裁判所は、右規定を含む憲法全體の效力について裁判する權限を有しない。」と説示した。

結論を先述すれば、占領憲法によつて設置された機關である最高裁判所のこれらの判斷は、有效論や舊無效論の見解と整合性を有しないことになる。

緊急敕令等が「新舊いづれの憲法においても有效」であり、「日本國憲法にかかわりなく憲法外において法的效力を有する」といふことは、少なくとも帝國憲法は、占領憲法施行後も併存して法的效力があり、しかも、それは「(占領)憲法外(である帝國憲法)において法的效力を有する」ことになる。「新舊いづれの憲法においても有效」といふことは、帝國憲法と占領憲法との「同時存在」を肯定したことであり、かつ、緊急敕令等は、舊憲法第八條所定の要件を逸脱せず「まことに已むことを得ないところ」であつて、「連合國最高司令官の・・・意思表示の全體の趣旨を解釋して實質的に判斷」して有效であるとしたのであるから、緊急敕令等は帝國憲法のみがその存在根據を與へ、しかも占領憲法と併存するとしたことを意味する。

さうであれば、帝國憲法と占領憲法とが不倶戴天の二者擇一の關係にあり、占領憲法のみが最高規範としての憲法の效力を有するとする「有效論」も、これらの判例との整合性を缺くことになる。また、同樣に、最高裁判所が占領憲法の效力を認めてゐる限度においては、舊無效論とも整合性はない。それゆゑ、論理必然的に、「新舊いづれの憲法においても有效」として帝國憲法と占領憲法との「同時存在」を肯定する最高裁判所の確定判例と整合性を有する唯一の見解は眞正護憲論(新無效論)以外はありえないといふことに歸結するのである。

そもそも、占領下でなされたGHQの直接的な指令や緊急敕令等による間接的な指令によつてなされた一切の占領統治政策は、悉く占領憲法の規定からしても容認できないものばかりである。檢閲、公職追放、政治的意思形成の制限、言論統制、勞働運動の制約など枚擧に暇がない。中でも、農地改革や財閥解體などは、明らかに共産化政策による弱體化政策であることは多言を要しない。これらは、帝國憲法においては、講和の條件を履行し、早期に獨立回復を實現するためにやむを得ない措置として容認できても、占領憲法では、決してこれらは容認できず、過去に遡つて原状回復措置がなされるべきといふ結論に至るはずである。占領憲法の有效論者が誰一人として、農地改革や財閥解體などが占領憲法に違反することを主張して、その原状回復を求めないのは、明らかな矛盾である。占領憲法に違反する状態が放置されてゐること自體が、そもそも占領憲法には實效性がないことを自認したことの證明に他ならない。

すなはち、帝國憲法と占領憲法とは、私有財産制の制度保障を規定する點において共通するものの、その趣旨と規定内容を異にしてゐるからである。帝國憲法第二十七條第一項では「日本臣民ハ其ノ所有權ヲ侵サルヽコトナシ」とし、占領憲法第二十九條第一項では「財産權は、これを侵してはならない。」として、いづれも制度的保障を謳ふ點においては共通してゐる。しかし、帝國憲法では、第二十七條第二項で、「公益ノ爲必要ナル處分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」とするのに對し、占領憲法では、第二十九條第二項で「財産權の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」とし、同第三項で「私有財産は、正當な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」と定めてゐる點に重大な差異が生じてゐる。つまり、帝國憲法では有償か無償かを問はず「公益目的處分」が可能であり、その處分によつて取得された財産の利用と處分については制限がないのに對し、占領憲法では、法律によつても公益目的處分をすることができず、かつ、「有償」で收用することが義務付けられ、しかも、その利用と處分については、第八十九條と相俟つて「公共性」といふ制約があるからである。

これを踏まへて、農地解放と財閥解體を檢討すると、これらはいづれも帝國憲法においては、講和獨立の早期締結のために、過渡的な講和條件を履行するためのものとして有效であると解釋しえても、占領憲法では、農地解放も財閥解體も到底容認しえないものである。地主から農地を收奪して小作農に讓渡し、あるいは財閥を解體してその支配財産を没收し他に分與するなどは、政策上の「公益性」があるとしても、「公共性」は全くない。「公共利用」といふ制約からすれば、その收奪された財産權は國か自治體に歸屬させて國營、公營で運用されなければ占領憲法に明らかに違反することになる。それゆゑ、占領憲法が最高規範としての憲法として有效であるとする「有效論」では、この明白な違憲状態を直ちに原状回復させなければ、占領憲法の實效性がないことを認めることになるのである。

また、これと同樣に、第五章で述べるとほり、漁業權の設定は、占領憲法第二十九條第三項による「補償條項」により、將來において軍港を再設置することを困難ならしめ再軍備を阻止させる目的でなされたGHQ政策によるものであり、公の財産に漁業權を實質的に無償で設定して讓渡することは、公の財産の處分と利用を制限した占領憲法第八十九條に違反することになる。

つまり、「有效論」では、現在の農業と漁業の根幹的な法律状態を否定して原状回復を求めなければならないことになる。さうでなければ、最高規範としての實效性も整合性もなくなる。ところが、有效論は、これを黙認してゐる。このこともまた、占領憲法には最高規範としての實效性がなかつたことを認め續けてきたことになるのである。しかし、眞正護憲論(新無效論)によれば、農業者と漁業者の權利状態を始源的に承認し、決して原状回復を求めることはなく、法的安定性は維持されることになるのである。

このやうに、占領憲法が最高規範であることを前提とすれば、農業、漁業その他の基軸産業全體に大きな變更をもたらしたGHQ政策は違憲無效であつて、直ちに原状回復を求めなければ、占領憲法の最高規範性は保たれないことになる。つまり、憲法としての實效性を喪失してゐるとといふことは、憲法の最高規範性が消滅してゐることを意味するのである。しかし、これを回避して法的安定性を維持し、前掲の最高裁判所の判斷と整合性を保ちうる見解は、やはり眞正護憲論(新無效論)しかない。むしろ、有效論や舊無效論は、論理的歸結として、このやうな法的安定性を害する主張を孕む見解なのである。

後にも述べるが、「無效論は法的安定性を害する」との風説は、眞正護憲論(新無效論)には全く當てはまらない謬説であり、眞正護憲論(新無效論)はこの風評被害を受けてゐるのであつて、「有效論」と「舊無效論」こそが法的安定性を害する見解であることを再認識されなければならないのである。

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