國體護持總論
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自衞權

政府は、集團的自衞權について、「國際法上、國家は集團的自衞權すなわち自國と密接な關係にある外國に對する武力攻撃を、自國が直接攻撃をされていないのにもかかわらず、實力をもって阻止する權利を有しているものとされている。わが國が、國際法上このような集團的自衞權を有していることは、主權國家である以上當然であるが、憲法第九條の下において、許容される自衞權の行使はわが國を防衞するための必要最低限度の範圍にとどめるべきものであると解しており、集團的自衞權を行使することは、その範圍を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。」(昭和五十六年五月二十九日政府答辯書)とする。

要約すれば、集團的自衞權は、國連憲章第五十一條によつて認められる固有の權利であるが、占領憲法の制約により、それを行使することができないとするのである。つまり、占領憲法の解釋として、集團的自衞權は享有するが行使できないとするのである。

「權利はあるが使へない。」そんな權利は、はたして權利と云へるのか。やんぬるかな。物あれど使へずのインポテンツである。そもそも、占領憲法は、非獨立の占領状態で制定されたものであり、ポツダム宣言における「皇軍の完全武裝解除」(第九項)が占領憲法第九條第二項前段の「戰力の不所持」として規定され、同じくポツダム宣言における「皇軍の無條件降伏」(第十三項)が占領憲法第九條第二項後段の「交戰權の否定」として規定されたことは自明のことであつて、この政府の見解は、占領憲法が生まれた經緯を無視してゐる。占領軍が敵國である被占領地の國にその自衞權を認めることは、武裝蜂起による獨立運動を認めることになるから、占領憲法は「自衞權」をも完全に否定したものとして制定されたはずである。

占領憲法の前文にある「日本國民は、恆久の平和を念願し、人間相互の關係を支配する崇高な理想を深く自覺するのであつて、平和を愛する諸國民の公正と信義に信賴して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」といふのは、紛れもなく「非武裝宣言」であり、「自衞權放棄宣言」なのである。

そして、占領憲法第九條第一項は、「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と規定するが、自衞戰爭は、ここにいふ「國權の發動たる戰爭」に含まれるのであつて、自衞戰爭の放棄は、取りも直さず自衞權の放棄である。

ましてや、ポツダム宣言第十一項は、「日本國は、其の經濟を支持し、且公正なる實物賠償の取立を可能ならしむるが如き産業を維持することを許さるべし。但し、日本國をして戰爭の爲再軍備を爲すことを得しむるが如き産業は、此の限りに在らず。・・・」として、自衞のための軍隊どころか、再軍備に必要な産業まで禁止したのであつて、國際法上認められる自衞權ですら認めないといふ特別の講和條約を締結したのに、あたかも我が國が占領憲法制定時に普通の國であるかのごとく錯覺(曲解)してゐるのである。しかも、朝鮮戰爭の前後において、第九條の政府見解は大きく變遷したことも周知のとほりであり、いまでは、「自衞隊は軍隊である」と首相が答辯しても、それでは自衞隊の存在は憲法違反であるから解體せよとする聲すら出てこない。まことにもつて規範意識が完全に喪失してゐる。

集團的自衞權は各國が生まれながらにして備へてゐる權利(自然權)であるとするのが慣習國際法であり、これを根據付ける國際司法裁判所の判決もあると主張する見解もあるが、假に、國家の自然權なるものが認められるとしても、占領憲法は、その自然權をも明確に放棄したものである。

現に、事情の如何を問はず、「獨立國」のうち軍隊を持たない國は十三か國(コスタリカ共和國、モナコ公國、サンマリノ公國、リヒテンシュタイン公國など)あることからしても、自然權とは言ひ切れないものである。

そもそも、集團的自衞權なるものは、國家が生まれながらにして備へる自然權ではない。もし、集團的自衞權が自然權であれば、自國が建國される以前から、集團的自衞權を行使して防衞すべき他國が成立してゐることが前提となる。それゆゑ、我が國のやうに、他國が成立する以前に生まれた國家には集團的自衞權がないことになる。

そして、さらにもつと決定的な問題がある。それは、集團的自衞權は、條約の效果として發生するものだからである。集團的安全保障に關する條約を締結してゐない國家との關係では、集團的自衞權を行使し、あるいは行使される關係にはない。それゆゑ、集團的自衞權は、國家が生まれながらにして備へる自然權ではなく、條約締結の効果として生ずる權利であり義務に過ぎない。このことは、生命保險の保險金の場合と比較すれば明らかである。生命保險の保險金は、保險契約に定める保險事故(被保險者の死亡)が發生することを條件として支払はれるものであつて、保險契約を締結してゐなければ支払はれない。保險金請求權は、保險契約の效果であつて、死亡によつて生ずる相續といふ自然權の效果ではないからである。

このやうな集團的自衞權が注目されたのは、國際連盟規約(大正八年)の前文の冒頭に、「締約國ハ戰爭ニ訴ヘサルノ義務ヲ受諾」するとあり、この義務に違反する國家については、他の全ての連盟加盟國に対して戰爭に訴へたとみなし、連盟及び連盟加盟國が戰爭を含めた対抗手段をとると規定され(第十六條)、集團安全保障體制の原型を示唆したことに始まる。そして、時代は下つて、アメリカが全米を覇權下に置くことになつたチャプルテベック決議(昭和二十年三月)を契機として再び注目されることになつた。それは、國際連合憲章の原案では、集團的自衞權の行使は安全保障理事會の許可が必要となつてゐたことから、ソ連の拒否權発動を懸念して、國際連合憲章(資料二十二)の本文に集團的自衞權の条項を入れることになつたからである(第五十一條)。つまり、個別的及び集團的自衞權の行使については安保理に対する事後の報告事項とし、事前の承認事項ないしは許可事項としなかつたのである。このやうにして、集團的自衞權は、國際連合憲章(條約)の效果として誕生した條約上の權利であつて、決して自然權でないことが解るはずである。

このやうに、集團的自衞權は自然權ではないのであるが、さうではなく、假に、「集團的自衞權は、國家が生まれながらにして備へる自然權」であるとすれば、次のやうな自家撞着に陷るはずである。それは、集團的自衞權のみならず、個別的自衞權を含め、自衞權の全てについても同樣である。そもそも、自衞權には、武力を用ゐる場合と武力を用ゐない場合とがある。武力を用ゐない自衞權といふのは、敵國の侵略行爲を中止させる目的で行ふ平和的外交交渉、敵國による領土占領統治に對する非協力的抵抗運動など、およそ政治的には殆ど無力の行爲態樣ではあるが、概念としては一應存在することになる。そして、武力を用ゐる自衞權とは、「交戰權」の行使による行爲態樣であるから、占領憲法が「交戰權」を否定してゐることは、交戰權を行使して「自衞權」を發動することはできないのである。ところが、自然法に基づく國家の自然權としての自衛権が認められるとするのであれば、それは占領憲法よりも上位の規範に基づくことになる。その上位の規範が自然法といふことになり、その自然法によつて自衞權が認められるといふことになる。ここで、自然權としての自衞權というのは、勿論、武力を用ゐる自衞權を含むのである。占領憲法は國民主權によつて制定され、國民主權とは一切制約されない至高のものであり、一切の規範の源泉であるのに、それに優越する規範は存在しないはずである。ところが、その國民主權によつて制定されたとする占領憲法よりも優越する自然法といふ規範が存在するといふことは、國民主權の最高性と明らかに矛盾することになる。よつて、この自然法とは規範國體であり、占領憲法はこれに劣後する規範であることに歸結する。

尤も、前述のとほり、占領憲法は憲法ではなく講和條約であるとすれば、このやうな詭辯を弄することなく、個別的自衞權及び集團的自衞權の享有とその行使は認められ、自衞隊は違憲の存在ではなくなり、このやうなおぞましい詭辯と遵法性の缺如といふ恥ずべき事態から解放されるのである。

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