國體護持總論
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改正無限界説

占領憲法が制定當初から有效であつたとする始源的有效論には、改正無限界説、革命有效説、條約優位説、正當性説、承詔必謹説などがある。以下、これらについて順次檢討することとする。

まづ、初めは憲法改正には全く限界がないとする改正無限界説である(佐々木惣一、大石義雄、小森義峯など)。

改正無限界説は、次のやうに主張する。「国民主権主義を採る現行憲法が天皇主権主義を採る明治憲法の改正手続によって成立したことは、何人も疑うことのできない厳然たる法的事実であるが、この法的事実は、法理論的に『憲法改正に限界を認めない』われわれの立場からすれば、少なくとも理論的には何ら異とするに足らぬことである。・・・われわれが、日本国憲法は占領軍によって押しつけられたという社会的事実を認めながらも、明治憲法七十三条の定める手続を踏んで成立したという法的事実に着眼して、現行憲法成立の合法性を認める所以である。」「現行憲法は、民定憲法でもなく、欽定憲法でもなく、協定憲法であると思う。」(小森義峯、文獻70)と。

つまり、後述する革命有效説とは異なり、占領憲法の有效性を矛盾なく説明できるとして、革命有效説よりも占領憲法の有效性を説くにおいて優位に立つてゐると自畫自贊する見解である。

そして、この見解は、無限界改正をなすことは、法的(憲法的)に許容されてゐることは勿論、さらに、無限界改正をなすに至つた政治的契機をポツダム宣言の受諾に求める。つまり、ポツダム宣言第十項の「日本國政府は、日本國國民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に對する一切の障礙を除去すべし」の條の「民主主義」の意味を強引に「國民主權」と解釋し、同第十二項の「日本國國民の自由に表明せる意思に從ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立」の條の「日本國民の自由に表明せる意思」を、これまた強引に「國民主權」と解釋する見解なのである。

しかし、この見解は以下の理由によつて否定される。

まづ、憲法改正に限界はあるか。これについては、戰前戰後を通じて、これに限界があるとするのが通説である。帝國憲法下では、改正限界説が當時の有權解釋として運用されてきたものであり、改正無限界説は全く無力であつた。それがGHQ占領下の時期に、火事場泥棒的に有力説に伸し上がつたといふことは憲法學會においてあり得ないことである。

そもそも、憲法改正に限界があるとする根源には、「國體論」があるからである。ところが、この限界を認めない改正無限界説は、實は「主權論」であり、「國體論」を否定する見解である。改正無限界説の論者らは、天皇主權説を採つてゐなかつたのであるから、天皇機關説であることになる。ところが、天皇機關説であれば、帝國憲法は主權概念を否定してゐると解釋してをり、現に、天皇は統治權を總攬するにすぎないのであるから、主權者であるはずはない。にもかかはらず、改正は無限界であるとなると、天皇の改正發議權(改正大權)は「主權」の性質を有することになる。「主權者でない者の主權の行使」といふジレンマを改正無限界説は克服できないのである。

このことは、改正無限界説が「議會主權論」を採つたとしても同樣である。天皇に主權がなく、帝國議會に主權があるとする帝國憲法の解釋が、そもそも成り立つはずがないからである。これが成り立つとすれば、この見解は、まさしく「國民主權論」と近似する。

そして、もし、憲法改正には限界がないとすると、國體の破壞も許されるとすることになり、假に、改正無限界説が主權論ではなくても、少なくとも反國體論である。このことを自覺的に議論されたことがこれまで一度もなかつた。これはこれまでの憲法學の貧困さを物語るものである。

ともあれ、改正無限界説の根底には、第一章でも述べた、「憲法制定の父たちはその子孫たちよりも大きな權威と權限を持つ」といふことに對する疑問と不信が橫たはつてゐる。改正に限界を認めることは、そのことについて子孫を拘束することになり、「憲法制定の父たちはその子孫たちよりも大きな權威と權限を持つ」ことになつてしまふからである。もし、この疑問と不信をさらに突き進むならば、硬性憲法(一般の法律よりも改正の手續及び要件が加重されてゐる憲法)についても同樣の疑問と不信を投げかけねばならない。憲法制定の父たちが通常の多數決で憲法を制定したのであれば、その子孫たちもそれと同じ手續で憲法の改正ができなくてはならないはずである。しかし、殆どの國家の憲法は、硬性憲法であり、改正のための手續と要件が加重されてゐる。そして、この改正の手續と要件の加重は、改正内容の制限を推認させることになるが、どうして硬性憲法が存在するのかについて改正無限界説では説得力ある説明ができない。

この點について、帝國憲法と占領憲法とを比較すれば、次のやうなことが云へる。帝國憲法第七十三条第二項は、「此ノ場合ニ於テ兩議院ハ各々其ノ總員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多數ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ爲スコトヲ得ス」として、定足數三分の二、議決數三分の二の「九分の四」基準を採つてゐる。これに対し、占領憲法第九十六条第二項は、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」として、定足數を定めず專ら議決數を總議員の三分の二とする「三分の二」基準及び「国民過半数」基準を採る。

しかし、帝國議會で憲法改正が「九分の四」基準によつて成立したとすれば、そのさらなる改正をするについても同樣の基準でなければならない。ところが、占領憲法改正贊成派議員が總議員の「九分の四」を超え、さらに「過半數」を超えたとしても、「三分の二」に屆かないときは、改正することができなくなる。これは、國民主權による多數決原理と矛盾した事態が起こる。さうであれば、やはり、「憲法制定の父たちはその子孫たちよりも大きな權威と權限を持つ」ことになり、改正無限界説の破綻を招くことになるのである。

また、言語、文化など暮らしと營みの根幹を形成するもの(國體)を廢止し變更することは、祖先が代々守り續けてきたものを一時期の子孫が不可逆的に變更することを認めることとなつて、逆に、「憲法を改正する子孫たちはその父たちよりも大きな權威と權限を持つ」ことになり、これについての疑問と不信に對して、改正無限界説では何ら回答できないといふ矛盾がある。

それどころか、未だにこの改正無限界説を放棄することなく國體護持を叫び、しかも、國體と政體とを分離して、國體規定とされる帝國憲法第一條ないし第四條前段と政體の基本原則規定とされる同第四條後段の改正を否定して改正には限界があるとする自家撞着の言説(小森義峯)も殘存するが、これらは既に論理的には破綻を來たしてゐる。

そもそも、改正無限界説が學説として認められるとしても、それは、國家に自律性が存在する平時の場合に限定して適用されることになる。無限界の改正が認められるのは自律性を保つた平時に限られ、戰時ないしは他國による被占領時には適用されないとするのが當然の歸結である。それを、あへて戦時ないしは被占領時であるにもかかはらず、火事場泥棒的にこの時期にも改正無限界を強調することは國家の自律性を否定する亡國理論に他ならない。

また、前述のとほり、無限界の改正をするに至つた政治的契機とされるポツダム宣言の條項解釋なるものは、牽強附會の一語に盡きる。ポツダム宣言第十項の「民主主義的傾向の復活強化」とは、過去に存在した民主主義的傾向を「復活」させさらに「強化」させるといふことであつて、ここには「國民主權」なるものが出てくる餘地はない。「民主主義」を「國民主權」に讀み替へるといふ藝當は、法の科学においてはあり得ないことである。

そして、假に、ポツダム宣言の解釋がそのやうなものであつたとしても、それはあくまでも國際系のポツダム宣言が我が國に要求した事項であつて、國内系の憲法體系が直接に拘束されるものではない。また、無限界改正が法的に許容されること(可能性)と、無限界改正をなすべき必要があること(必要性)とは別個のものである。それゆゑ、改正無限界説は、可能性と必要性とを意圖的にすり替へた「火事場泥棒改正説」といふ名稱が相應しいことになる。

さらに、前掲の「現行憲法は、民定憲法でもなく、欽定憲法でもなく、協定憲法であると思う。」との點であるが、これにも大きな誤謬がある。この「協定憲法説」の主張するところは、帝國憲法に基づき、その改正條項に從つて、天皇と臣民との間で、主權が臣民(國民)に存することを認めた憲法が占領憲法であるといふことになる。しかし、帝國憲法には「主權」概念はなかつた。むしろ、先帝陛下も「天皇主權」を否定しておられたことはこれまで述べたとほりである。從つて、帝國憲法に存在しない「主權」を臣民(國民)が取得することはあり得ない。「無から有は生じない」「山より大きな猪は出ない」のである。「天皇」に「主權」がないにもかかはらず、「天皇」から「國民」へ「主權委讓」されたとするのは完全なフィクションであり、それこそ「立憲主義」に反して無效といふことになる。

また、協定憲法説は、帝國憲法は「君民協治」の憲法であるから、占領憲法も君民の協定憲法として成立したと主張するのであらうが、帝國憲法は君民協治の憲法ではない。天皇は統治權の總攬者であり、臣民との協治はありえないし、帝國憲法の「憲法發布敕語」においても、「朕カ祖宗ニ承クルノ大權ニ依リ現在及將來ノ臣民ニ對シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス」とあり、論者もまた帝國憲法を欽定憲法であることを認めてゐるのであるから、それ自體が矛盾である。

そして、この「君民協治」を「主權の君民共有」の意味であるとすれば、矛盾がさらに增幅する。主權は、君主と國民のいづれかに排他的に歸屬するもので、君民がこれを共有することは主權概念の破綻となるからである。

そして、何よりも不可解なのは、改正無限界説は、まるでGHQの占領がなかつたかの如く立論してゐる點である。獨立を奪はれてゐた時期であることも、帝國憲法の改正作業がGHQの強制によるものであつたことも無視してゐる。國内手續のみを微視的に注視し、占領下であることの國際的な視點を忘却してゐる。共に拉致された君民間の協定を持ち出す前に、武力を背景とする連合國と敗戰國の我が國との「協定(講和條約)」の存在を認識すべきであるが、全くこれを無視してゐる。

何故そのやうにするかと云へば、これらの視點を注視すれば、改正無限界説は根底から否定されることになるのを恐れてのことである。つまり、改正無限界説に立つたとしても、連合國軍による占領状態といふのは、法的には、天皇及び帝國議會その他全ての國家機關に對する暴行又は脅迫の状態を意味する。保障占領といふのはさういふものなのである。個々の暴行脅迫行為等の有無を議論するまでもなく、占領状態とは、繼續的な暴行脅迫状態なのである。それゆゑ、帝國憲法の改正は改正無限界説でも違憲であり、連合國の徹底した檢閲と洗腦による状態下での帝國議會の形式的手續は、「抗拒不能の状態にて行はれた瑕疵ある意思表示」であつて絶對無效である。從つて、改正無限界説は、牽強附會に占領憲法の有效性に固執する「火事場泥棒改正説」であり、賣國學説である正體が露見することを恐れてのことである。

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