國體護持總論
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著書紹介

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デュープロセス論によるジレンマ

前に述べた法の支配の原則は、一部ではあるが占領憲法にも取り入れられてゐる。そして、この法の支配の内容には、法による正義の實現を目的とする側面をも有してゐることも認識されてゐる。

この「法の正義」といふものは、「實質的正義」と「形式的正義」に分類されるといふ。そして、實質的正義とは、本來、價値が絶對視、絶對化されるといふ保障がなければ成り立ちうるものではなく、現代社會における價値の多樣化に伴つて一義的に定まらない事象が擴大し、今後もさらに相對化することは必至である。しかし、その中でも比較的爭ひのない歴史的かつ傳統的な普遍性のある規範と内容を抽出して、實質的正義の概念は現在も維持されてゐる。

このやうに、實質的正義が重要であることは今更言ふまでもないが、形式的正義の役割もまた近年益々重要となつてきてゐる。この形式的正義といふのは、「自己の權利は主張しながら、他者の權利を尊重しない者」を「惡」とする法理であり、他者を差別的に扱ふ「エゴイスト(二重基準の者)」を惡とするものであるとされ、「等しきものは等しく扱へ」「各人に各人の權利を分配せよ(Ius suum unicuique tribuit)」といふローマ時代から言ひ傳へられてきた人類の知惠であつて、現代においては「クリーンハンズの原則(汚れた手で法廷に入ることは出來ない)(自ら法を守る者だけが法の尊重を求めることができる)」や「禁反言(エストッペル)の原則(自己の行爲に矛盾した態度をとることは許されない)」などとして、英米法のデュー・プロセス・オブ・ロー(due process of law 適正手續の保障)として結實し、占領憲法第三十一條もこれに準據したものと説明されてゐる。

これは世界的に共通した普遍的法理であつて、勿論、我が國においても、「手前味噌」、「我田引水」、「身贔屓」及び「二足の草鞋」を不正義とする歴史と傳統があり、喧嘩兩成敗として、公私、自他、彼此でそれぞれ判斷基準を異にするとの典型的な二重基準(ダブルスタンダード double standard)の主張を排除してきたのは、この形式的正義の理念によるものである。

この實質的正義と形式的正義との關係は、法の正義の理念を車に喩へればその兩輪、飛行機に喩へればその兩翼であつて、いづれが缺けても「法の正義」は實現しえない。そして、この「法の正義」が實現することによつて、「法の支配(國體の支配)」が維持されるのである。この法の正義とは、法の支配の構成要素として「法治主義」に對峙する概念と云へるのである。

ところで、始源的有效論の主流は、占領憲法の基礎となつてゐる英米法の諸原則の理念を信奉してゐる者が壓倒的である。ところが、彼らは、そのお得意のデュープロセスの保障の觀點からしても、占領憲法の制定手續が適正でなかつたことは概ね認めつつも、これを理由として占領憲法無效論を展開する見解には至らないのが全く不思議である。

このことは、正當性説の問題點と連なることであるが、デュープロセスの保障は、占領憲法下では喧しく議論しても、その制定過程については全く議論しないといふ露骨な二重基準(ダブル・スタンダード)に立つてゐるのである。デュープロセスの保障は、あくまでも人權保障に關するものに限定し、人權規定を含む憲法總體の改正についてはこれを除外するという奇妙な考へ方すらある。帝國憲法よりも占領憲法の方が人權保障が強化されてゐるから全く問題にならないといふことであらう。結果がよければどんな手段を使つても許されるといふことである。鼠小僧次郎吉の行爲は、「生活調整」のための所得と所有の再配分行爲として、また、極惡非道の死刑囚を死刑執行の前に勝手に慘殺する行爲は、社會正義の實現として、いづれも無條件で絶贊することになるのであらう。しかし、結果がよければ手段を選ばないといふ考へ方を最も批判して否定するのが、他でもなく、このデュープロセスの保障の心髄であることを忘却してしまつてゐるのである。彼らは、このジレンマに氣付きつつも、無視し續けてゐる。それは、憲法學者を名乘る大學教授などは、占領憲法の「業界」に生きてその「解釋業」營んでゐるために、オマンマの種になる解釋對象である占領憲法自體を否定することは自殺行爲になるので、それが出來ないからにすぎない。

附言すると、デュープロセスの保障では、新たに義務を課し、あるいは權利を剥奪する場合には、特に嚴格で適正な手續を求められることになる。ところが、占領憲法には、帝國憲法にはなかつた教育に關する義務(第二十六條)や勤勞の義務(第二十七條)が規定され、さらには、憲法尊重擁護義務(第九十九條)まである。例へ一部といへども人權條項の義務規定を追加するといふ不利益變更がなされる場合には、やはり嚴格かつ適正な手續によらなければならないのである。にもかかはらず、デュープロセスの保障に違反した占領憲法の制定行爲を全く問題にしないのは、やはり曲學阿世の徒であることの證左に他ならない。

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