國體護持總論
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著書紹介

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戰爭責任

戰前に共産黨から轉向した林房雄は、戰後に著した『大東亞戰爭肯定論』(昭和三十九年)の中で、「われわれは有罪である。天皇とともに有罪である!」とし、「天皇もまた天皇として戰つた。日本國民は天皇とともに戰い、天皇は國民とともに戰ったのだ。・・・日清・日露・日支戰爭を含む東亞百年戰爭を、明治・大正・昭和の三天皇は宣戰の詔敕に署名し、自ら大元帥の軍裝と資格において戰った。男系の皇族もすべて軍人として戰った。東京裁判用語とは全く別の意味で戰爭責任は天皇にも皇族にもある。これは辯護の餘地も辯護の必要もない事實だ。」とした。しかし、林がここで云ふ「責任」とか「有罪」といふのは、法的責任ではなく、「敗戰による不利益の受容」といふ意味での「敗戰責任」の意味であるはずであつて、思ひ込みが激しく言葉足らの表現であつたことは否めない。

また、左翼的な立場からは、天皇の戰爭責任を追及したものは頗る多く、近年においても、アメリカのハーバート・P・ビックスがその著書『昭和天皇』(邦譯・講談社)の中で、昭和天皇は單なるお飾りではなく、政治意思を持つた最高權力者であつたとしてその戰爭責任を肯定した。

マッカーサー回顧録によれば、昭和天皇は、「私は國民が戰爭遂行に當たって政治、軍事兩面で行ったすべての決定と行動に對する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸國の採決にゆだねるためにおたずねした。」も述べられたとある。そして、これに對しマッカーサーは、「私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り盡くしている諸事實に照らして、明らかに天皇に歸するべきではない責任を引き受けようとする、この勇氣に滿ちた態度は、私の骨の髄までもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとったのである。」と述懷してゐる。これは外務省公式記録などとの相違はあるが、ここでの「責任」といふのは「敗戰責任」のことである。

「戰爭責任」といふ概念は、その範疇においても、法的、政治的、社會的、教育的、人道的などの多岐に亘り、また、「戰爭」の概念も、開戰から講和に至るまでのどの時點を意味するのかといふことや、「責任」の概念も、行爲責任であつたり結果責任(無過失責任)であつたりして一義的ではなく、ここではそのすべてについて言及することはできない。私は、これらの戰爭責任といふ概念のうち、情念を拔きに考察できる領域として、前に「敗戰による不利益」といふ意味での「敗戰責任」(結果責任)について述べたので、ここでは開戰から講和に至るまでの戰爭の全事象における「法的責任」について述べることにする。

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