國體護持總論
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著書紹介

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國際法上の責任

まづ、法的責任の場合、初めに押さへておかなければならないことは、どの法規が適用されるのかといふ「準據法」の問題である。この準據法を度外視して議論することは論理性を失ひ、議論にはならないからである。これは、今までの多くの議論において缺落してゐた觀點である。

この前提に立つとき、そもそも、國家には、戰爭の對外的な法的責任といふことは原則として「國際法」上あり得ない。對外的責任は國際法及び講和條約に準據することになるからである。戰爭は武力を以て行ふ外交行爲であり、國家には戰爭をする權利(交戰權)が國際法上認められてゐる。パリ不戰條約においては、「自衞戰爭」を認め、正確には「攻撃戰爭」ないしは「積極戰爭」(war of aggression)とすべきところを「侵略戰爭」といふ譯語として定着させたのは反天皇主義學者の橫田喜三郎である。ともあれ、パリ不戰條約では、この「侵略戰爭」の禁止を謳ふが、自衞戰爭であるか侵略戰爭であるかは、相手國や第三國に認定權があるのではなく、その國に侵略戰爭であるか否かを判斷する自己解釋權があるとされる。そして、大東亞戰爭は、これを「自存自衞」の戰爭として行つたのであるから違法な戰爭ではあり得ない。國家が國際的に違法な行爲をしてゐない限り、その戰爭を決斷し、遂行してきた國家機關に屬する個人には何らの責任も問はれない。つまり、「國家は國家を裁けない」とする原則がある。それゆゑ、東京裁判においてA級戰犯として有罪としたのは、國家(連合國)が國家(我が國)を裁いた趣旨ではない。これに限りなく近づけた政治的演出であつて、これは「裁判」としての法的な意味での戰爭責任ではなく、講和の條件としての政治責任を意味する。

つまり、ポツダム宣言第十項において、「吾等は、日本人を民族として奴隷化せんとし、又は國民として滅亡せしめんとするの意圖を有するものに非ざるも、吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戰爭犯罪人に對しては、嚴重なる處罰を加へらるべし。・・・」とあつたが、これは極東國際軍事裁判(東京裁判)を正當化する根據とならない。しかし、これが桑港條約の條件(第十一條)となつて本土の獨立を回復したので、これを「裁判」とすれば違法であるが、講和の條件(敗戰による不利益の受容)としては有效である。そして、天皇はこれに含まれず不訴追と決定したことから、いかなる意味においても天皇に講和の條件としての法的責任はなかつたことになる。

附言するに、ソ連は早々と天皇不訴追方針を決めてをり、昭和二十一年四月三日には極東委員會は天皇の戰犯除外を決定した。それは、敗戰前に既に決められたもので、昭和十九年に延安にゐた野坂參三がアメリカ政府から延安に派遣された使節團(ディキシー・ミッション)と接觸し、「われわれは天皇打倒のスローガンを回避する」と申し入れ、これがアメリカ本國に傳達された。野坂がモスクワのコミンテルン勤務から延安に移動した後のことであり、この方針はソ連の方針であつて、野坂はそれを單に傳達したに過ぎない。なぜ、ソ連がその參戰前から、來るべき我が國の敗戰後に天皇不訴追方針を決めてゐたかといふと、それは野坂の意見が採用されたからである。野坂の意見は、根強い天皇崇拜意識下の我が國において、天皇の處罰(處刑)と天皇制の廢止を求める運動を展開することは大衆から完全に遊離してしまひ、革命が遠のく結果となつてしまふとの現状分析と、天皇個人の退位と天皇制の廢止とを區別し、天皇制廢止への第一歩として天皇の退位を求めていくといふ運動を展開するものであつた。イタリアでは、昭和十九年六月に、國王の退位、皇太子の即位、王制の廢止による共和制の樹立といふプロセスを經たことが野坂の主張のヒントとなつた。そして、野坂は、昭和二十一年一月十二日に歸國して、既に釋放されてゐた德田球一と志賀義雄らと日本共産黨の路線をめぐる協議をしたが、德田と志賀は、天皇個人と天皇制との區別は承認したものの、天皇退位論も運動論として時期尚早として日本共産黨の方針としては退けられたといふ經緯がある。野坂が延安で接觸したアメリカの使節團のメンバーの多くはいはゆる「中共派」で容共勢力であり、ルーズベルトとトルーマンが率ゐる民主黨政權が容共的體質であつたことの證左でもある。ちなみに、昭和二十年七月二十三日付でOWI(戰時情報局)日本部長のジョン・フィールズが野坂に感謝状を送つてゐることが公開文書から明らかになつてゐる。このことは、日本共産黨が主張するやうに、野坂が二重スパイであつたとする根據にもなり得るのであるが、むしろ、東西冷戰構造の始まりにおいて、米ソが天皇不訴追といふ共通した結論を同床異夢として抱いてゐたといへるのであり、「ヤルタ密約」に野坂が關與してゐたのではないかと推測させる事實と云へる。さうであればこそ、日本共産黨がマッカーサー率ゐるGHQを「解放軍萬歳」して占領を受け入れたことの説明がつく。謀略の限りを盡くす日本共産黨が輕率に「解放軍萬歳」と叫んだとは考へられないからである。これを「輕率」だとか「失言」だと評價して揶揄することだけで滿足することは、日本共産黨の陰謀の歴史を隱蔽することに手を貸す結果となる。これはまさに日本共産黨の本音であり、實相であつて、この點についてのさらなる解明が必要となる。

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