國體護持總論
トップページ > 著書紹介 > 國體護持總論 目次 > 【第四巻】第四章 國内系と國際系 > 第二節:分斷國家の憲法論

著書紹介

前頁へ

新憲法制定

沖繩返還協定は、日米間においては沖繩の本土復歸の條約であるが、その本土政府の國内的效果としては、占領憲法下における領土の擴大と國家構成員の擴大をもたらした。

そして、歴史的に見ても、分斷國家状態にある我が國において、その重要な部分の解消の一つである(全面的解消ではない。)。

これとの關係で參考にすべきはドイツの例である。

ドイツにおいては、昭和二十四年に『西獨基本法』が成立し、西獨と東獨が成立。昭和三十年に『パリ條約』が發效し、西獨は主權を取得してNATOに加盟。同時に、東獨はワルシャワ條約機構に加盟。翌昭和三十六年に「ベルリンの壁」が構築。昭和四十七年に東西兩獨が基本條約を締結して關係正常化。翌昭和四十八年に東西兩獨が國連に加盟。平成元年十一月に「ベルリンの壁」開放。翌平成二年七月に兩獨通貨・經濟・社會同盟發足。同年九月に兩獨間の『統一條約』發效。同年十月三日統一といふ經過を辿つた。

ドイツ統一の過程において、西ドイツの基本法(『ドイツ連邦共和國基本法』。俗に『ボン基本法』)第百四十六條に基づき新憲法の制定を行つて統一する方法(併合方式)と、統一ヨーロッパを實現するためにヨーロッパ連合の設立に關する同基本法第二十三條に基づいて同基本法を改正して西の諸州に東の五州が編入される形をとるといふ方法(連邦編入方式)が存在したが、實際には後者の方法による統一がなされた。

いづれにせよ、これは基本法の改正を伴ふものであり、ドイツがこれを「憲法」(Verfassung)と呼ばないのは、分斷國家には眞正な憲法といふものはありえず、統一までの「さしあたり」(zunachst)のものであるとの認識によるものである。そのことは、ボン基本法第百四十六條に、「この基本法は、ドイツ國民が自由な決斷で議決した憲法が施行される日に、その效力を失ふ。」と規定してゐたことからも明らかである。

このドイツの例と比較すれば、我が國の地方自治は連邦制ではないので、沖繩縣の復歸は併合方式といふことになり、新憲法を制定しなければならなかつたはずである。

そもそも沖繩縣民と本土の都道府縣民とをその人數や面積の差異を以て優劣を論ずることはできない。ましてや、主權論によれば、琉球政府と本土政府といふ分斷國家の統合であるから、本土政府の下で制定した占領憲法をそのまま復歸後の沖繩縣及び沖繩縣民に適用させることはできない。前述の地方自治特別法(占領憲法第九十五條)の場合ですら、住民投票で可決することが要件であつて、ましてや主權者の擴大的變動があつた場合であるから、憲法については、その變動後の新たな主權者によつて新たに制定されなければならないのである。

しかも、それは、沖繩縣民だけの追認決議だけでは足りない。國民主權は、個々の國民に分有するのではなく、全體として一個の主權であるから、本土において占領憲法について贊意を表してゐる個々の國民であつても、改めて參政權を行使して新たな憲法の制定を求めることができる。つまり、參政權は、個々の利益を追求する「自益權」ではなく、全體の利益を求める「共益權」だからである。このやうに、國民主權主義によれば、沖繩の本土復歸は國民主權を否定する事態であつたことになる。

ここに占領憲法の國民主權論が抱へる第六の矛盾がある。

続きを読む