國體護持總論
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獨立喪失條約

我が國は、『ポツダム宣言』を受諾し(昭和二十年八月十四日)、『降伏文書』に調印した(同年九月二日)。これらは、「天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス」と規定された帝國憲法第十三條に基づく講和條約であり、ここからGHQによる完全かつ直接に等しい軍事占領が開始し、我が國は獨立を奪はれたのであるから、「獨立喪失條約」である。

戰爭とは、當事國が相互に武力を行使し、いづれかが戰勝國と敗戰國といふ立場となり、あるいはそのいづれの立場にもならずして、講和による最終解決を圖る外交の一種である。つまり、宣戰と講和が一對となつた廣義の外交であつて、講和條約を武力の行使や威嚇の繼續によつて成立させることも當時の國際法において當然に認められてきたものである。その講和もまた廣い意味での戰爭であり、講和條約に武力の威嚇を用ゐることを否定することは、そもそも戰爭自體が當時の國際慣習法上容認されてゐることと矛盾することになる。

ポツダム宣言においては、我が國の獨立までも奪ふ内容ではなかつたが、その確認文書とされる降伏文書については、その内容比較において疑義がある。つまり、ポツダム宣言では、我が國の降伏條件として、①皇軍の無條件降伏、②皇軍の完全武裝解除、③連合國による部分的な保障占領などを要求してゐた。特に、この部分的保障占領については、第七項(右の如き新秩序が建設せられ、且日本國の戰爭遂行能力が破碎せられたることの確證あるに至る迄は、聯合國の指定すべき日本國領域内の諸地點は、吾等の茲に指示する基本的目的の達成を確保する爲占領せらるべし。)と第十二項(前記諸目的が達成せられ、且日本國國民の自由に表明せる意思に從ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては、聯合國の占領軍は、直に日本國より撤收せらるべし。)とに明記され、占領軍の目的を間接的に強制し、それが實現するまでは我が國の一部を軍事占領するといふものであつた。

ところが、降伏文書では、「天皇及日本國政府ノ國家統治ノ權限ハ、本降伏條項ヲ實施スル爲適當ト認ムル措置ヲ執ル聯合國最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス。」とあり、我が政府はポツダム宣言の趣旨と同樣にこれをGHQによる「間接統治」を意味するものと捉へたが、GHQ側はこれを「直接統治」も可能なものとし、さらに、「全地域軍事占領」として實施した。これにより「日本軍の無條件降伏」から「日本の無條件降伏」にすり替へられ、我が國は獨立を喪失したのである。

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