國體護持總論
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轉換適格性

まづ、第一に、占領憲法には、法の「妥當性」に對應する「轉換適格性」がある點である。法律行爲について「無效行爲の轉換」があるのと同樣に、規範についても「無效規範の轉換」があることは前にも述べた。法律行爲もまた、その法律效果によつて特定の當事者の間で一定の命令や禁止の當爲を發生させることからすれば、廣く一般人に當爲を發生させる法令等の規範と共通するからである。そして、これを一括して説明することにすると、まづ、轉換前の法律行爲又は規範(A)と轉換後の法律行爲又は規範(B)との關係は、法律行爲又は規範としての共通性を有するものの、兩者は擇一的關係にあることが前提要件となる。擇一的關係とは、兩立しない關係、つまり、AとBとは事項的に重なり合ふ部分がなく、BとAが相互に包含關係にあるといふこともない關係のことである。

具體的に言へばかうである。國内系の規範である憲法(A)は「單獨行爲」であり、國際系の規範である講和條約(B)は「契約」であることから、兩者は法形式において異なるが、ともに規範定立行爲であるといふ本質的性質において共通する。憲法(A)は、國内系の規範であり、國家機關内部の手續が必要であるとしても、その國家が他國とは無關係に單獨で形成する規範といふ意味では「單獨行爲(規範)」である。これに對して、講和條約(B)は、國際系の規範であり、戰爭當事國の合意によつて成立する「契約(規範)」であり、直接または間接に自國の國内系の規範として編入される性質も有してゐる。しかし、ある規範が國内系の憲法(A)であると同時に國際系の講和條約(B)でもあるといふことはあり得ない。つまり、憲法(A)と講和條約(B)とは擇一的關係にあるといふことである。

そして、さらに、無效な憲法(A)から有效な講和條約(B)への轉換が認められるための前提要件としては、無效な憲法(A)の内容に講和條約(B)としての國家間の合意がなされたと同視しうる實質的な事情とその合意事項が存在してゐなければならないといふことである。これがなければ凡そ講和條約(B)へと轉換しうる適格性がなく、その前提を缺くことになる。

そして、前章で述べたとほり、裁判所の裁判例によれば、このやうな前提要件を滿たせば、たとへば、無效の遺言(單獨行爲)が死因贈與(契約)に轉換することを認めてゐるのである。それゆゑ、このことと同樣に、憲法形式によつて單獨行爲(規範)として定立されたものが無效であるとしても、それがこのやうな前提要件を滿たすならば講和條約といふ契約(規範)へと轉換しうる可能性があるといふことになる。

本來ならば、純粹に國内法の領域に關する事項であれば、その適格性はないことになるが、占領憲法は、實質的にはGHQによる内政干渉的な要求を我が政府がこれを承諾してなされた合意であるから、その適格性があるといふことになる。つまり、字句の微細な相違はあつても、GHQ側の講和條約案である「GHQ草案」の要求項目と、最終的な占領憲法(東京條約、占領憲法條約)の規定事項とは、その後の交渉經緯からして概ね一致してゐるので、全體として占領憲法には講和條約としての轉換適格性が認められることになる。

ただし、轉換により異なる規範として「成立」することを意味するだけであつて、轉換がなされれば、當然に「有效」となるものではない。その意味では、轉換適格性とは、轉換の成立要件であつて、效力要件ではない。特に、講和條約(東京條約、占領憲法條約)へと轉換して效力を得るためには(發效するためには)、時際法的處理がなされることが要件となることは前述したとほりである。


また、講和大權の發動による講和條約に限らず、一般條約大權に基づくその他の條約に共通するものとして、一般には「書面主義の原則」といふものがある。つまり、一般に、條約とは、書面の形式によつて締結される國際系の合意(契約)といふことである。しかし、書面といふのは、一つの書面による合意文書である必要はない。契約は、申込と承諾といふやうに、對向する當事者の意思表示の合致によるものであるから、通常はその合意を示す一つの合意文書が作成される場合が多いが、それだけではなく、申込文書と承諾文書といふ二つの書面があつて、その内容が客觀的に對應し、合意の存在が明らかになつてゐれば充分である。現に、占領憲法においては、「GHQ憲法草案」といふ申込文書と、承諾文書に該當する「日本國憲法」が存在するのである。

そもそも、書面を求められることの意味は、その合意の存在が單なる口頭によるものではなく、その存在を公證すべき何らかの書面といふ證憑があることで足りるといふことであり、また、その書面の種類や形式は合意によつて簡素化できるのであつて、合意文書といふ特定の形式(方式)が必要なのではない。つまり、條約は書面だけが要求されるだけで、特定の記載事項が求められたり、その他特別の方式を必要としないことから、嚴密な意味での「要式行爲」ではない。そして、轉換前の規範(A)と轉換後の規範(B)とが、書面主義の態樣において共通したものであるときは、轉換適格性の前提要件を滿たしてゐることになる。

この書面主義に關しては、次の點に留意する必要がある。降伏文書は、合意文書の形式であるが、ポツダム宣言の受諾については、ポツダム宣言が申込文書であるとすると、その承諾文書に對應するものがない。我が政府は、中立國スウェーデン・スイスを通じて連合國へポツダム宣言受諾を正式に打電して申入れただけである。ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印が講和大權に基づく獨立喪失條約(入口講和條約)であることについて、今では異論を挾む者は居ないと思はれるが、第二章で述べたとほり、その當時、これまでの國際法における講和條約の方法によらない異例のものであつたことから、政府の國内手續においてはこれを「條約」としては扱つてゐなかつた。つまり、當時の樞密院官制によると、「國際條約ノ締結」は諮詢事項となつてゐたにもかかはらず、ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印については、この諮詢手續がなされてゐなかつたし、官報の搭載にも、これを「條約」欄ではなく、「布告」欄に公示されたのである。これは、これまでの國際法による慣例を著しく踏み外した異例の事態に當惑した結果であつたが、このやうな國内手續を履踐しなかつたといふ手續規定違反があるからと云つて、これは講和條約の有效要件ではないので、獨立喪失條約が無效であるとすることは到底できないし、これに異議を唱へる學説はない。

このやうなことは、「講和」の場面だけでなく、「開戰」の場面でも同じやうなことがある。これも第二章で述べたとほり、『開戰に關する條約』(明治四十五年條約第三號)第一條には、「締約國は、理由を附したる開戰宣言の形式又は條件附開戰宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且事前の通告なくして、其の相互間に、戰爭を開始すべからざることを承認す。」とあり、第二條には、「戰爭状態は遲滯なく中立國に通告すべく、通告受領の後に非ざれば、該國に對し其の效果を生ぜざるものとす。該通告は、電報を以って之を爲すことを得。但し、中立國が實際戰爭状態を知りたること確實なるときは、該中立國は、通告の決缺を主張することを得ず。」と規定し、相手國に宣戰通告をせずに戰闘を開始することを禁ずるのであるが、この趣旨は、不意打ち攻撃を禁止する趣旨であり、戰爭當事國が宣戰通告することなく戰爭状態であることを認識してゐる場合は、これを不要と解釋されてをり、それが國際慣習法として通用してゐたのである。

このことを踏まへれば、長い非獨立トンネルの入口條約(ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印)から出口條約(桑港條約、舊安保條約及びその繼承である新安保條約)の中間に位置する占領憲法(東京條約、占領憲法條約)の制定過程は、中間條約としての講和條約の性質を有してゐたことの實質的かつ具體的な理由があつたことが解る。その詳細は、以下のとほり多岐に亘る。

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