國體護持總論
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無效規範の轉換

前にも述べたが、この第七十六條については、「憲法施行以前ニ於ケル法令及契約ノ效力ヲ規定シタリ」(文獻6)とする解釋があり、憲法制定時において、そのやうな要請から生まれた規定であるといふ沿革があつたことは確かである。しかし、この規定には、「憲法施行以前」といふ限定の文言は全くないので、ことさらに「憲法施行以前」に限定して解釋する根據に乏しいものがある。それどころか、憲法施行以前といふのは、憲法は存在するがその效力の發生が停止されてゐる状態と理解すれば、憲法施行以後であつても、國家の異常な變局時に憲法の效力が事實上停止されてゐる状態と全く同樣なのである。それゆゑ、憲法の效力が停止されてゐる状態であれば、施行の前後で區別する必要はなくなる。施行以後においても憲法の效力が事實上停止されてゐたり、事實上の障碍が存在する場合にも同條が適用されることは當然のことであり、少なくとも類推適用が肯定されるとすることに問題はない。そして、GHQの軍事占領下の我が國の法的状況は、まさにそのやうな状態であつたのであるから、同條が適用されることに異論はないはずである。

このやうにして、占領憲法は、憲法としては無效であるが、帝國憲法第七十六條第一項により無效規範の轉換がなされ、講和條約としては成立したことなるのであるが、それは、要件が嚴格である國内系の規範から、それよりも要件が緩和された國際系の規範への轉換であることも、その轉換が容易なる一因でもある。

帝國憲法下における憲法の改正の要件と手續と比較して、講和條約の締結は、帝國議會の議決を必要としないなど、著しくその要件と手續が緩和されてゐるため、比較的その轉換が容易となるのである。その逆に、講和條約から憲法改正への轉換は不可能といふことになる。

それは、遺言(單獨行爲)から死因贈與(契約)への轉換を認めた前掲裁判例の場合も、要件と手續が嚴格な遺言から、その要件と手続が著しく緩和された贈與への轉換であつたためである。

また、憲法から講和條約への轉換は、内には嚴しく、外には寛容であること、そして、恭儉己れを持し然諾を重んずれば、國内系の要件は嚴しく、國際系の要件はそれより緩和されるといふことも認められる。前に述べたとほり、ポツダム宣言の受諾や降伏文書の調印といふ入口條約については條約法條約の適用がないことや、日韓基本條約第二條の解釋に関して日韓保護條約が無效でなかつたとすることなどからしても、占領憲法は憲法としては無效であるが、講和條約(東京條約、占領憲法條約)の限度で成立したと理解することは、一貫した矛盾のない論理である。

ところで、講和條約に轉換されるといふことは、當事國の意思を介在せずに當然に轉換することを意味する。「轉換」といふ現象は、法律行爲の效果ではなく、當事者の意思を全く介在せずに生起する現象で、法律學的な意味でいふところの「事件」である。

ここで、基礎的な概念を整理しておくと、一般に、權利變動の原因となる事實を「法律要件」と呼び、その法律要件を具備すると、一定の「法律效果」が生ずることになる。法律要件の主要なものに、契約などの「法律行爲」がある。そして、法律要件を構成する要素となる法律上の事實のことを「法律事實」といふが、この法律事實は、さらに人の精神作用に基づくものと基づかないものとに區分され、人の精神作用に基づくものの代表的なものに「意思表示」があり、また、人の精神作用に基づかないものを「事件」と呼んでゐる。法律要件たる法律行爲は、一個又は數個の法律事實たる意思表示によつて構成され、一個の單獨の意思表示で構成されるもの(遺言、解除など)と對向する二個以上の意思表示の合致によつて構成されるもの(契約など)などがあり、それに對應した法律效果を生じさせる。また、精神作用に基づかない事件には、時の經過や人の死などがあり、それによつて時效や相續などの法律效果を生じる。

このやうに、特定の法律效果を生む法律要件には、必ずしも人の精神作用(意思)に基づくものばかりではなく、これに基づかない事件がある。人の死は、それを願つても願はなくても、あるいは、相續といふ法律效果を生じさせる意思(效果意思)がなくても相續といふ法律效果が發生する。そして、ここでいふ「無效規範の轉換」といふ法律效果を生む法律要件は、まさにこの人の死といふ事件によつて生ずる相續といふ法律效果と同樣に、「轉換適格性」と「事實の慣習的集積」を滿たす客觀的事實が備はれば、「轉換」といふ法律效果を發生させるのである。「轉換させる意思」といふ效果意思は不要である。「無效規範の轉換」といふ法律效果は、當事者の意思表示によつて生ずるものではないからである。その意味で、轉換は「事件」である。つまり、當事國の明確な意思とは異なるとしても、轉換の要件を滿たす限り轉換するのである。換言すれば、我が國と相手國(GHQ)がその當時から現在まで講和條約であるといふ確定的な認識をしてゐることを全く不要とするのである。客觀的事實が相手國との講和條約として轉換しうる要件を充足すれば足り、主觀的要素としての當事國の認識は不要なのである。そもそも、講和條約を締結するといふ明示かつ確定的な意思表示があれば、初めから講和條約として成立するのであつて、「轉換」を論ずる餘地はない。尤も、我が國もGHQも、共に、占領憲法の實質が講和條約群に屬することの認識があつたことは、これまで指摘したとほりであつて、GHQ(Go Home Quickly)のために國際批判を受けないやうに密かに締結する意思があつたことは明らかである。今、アメリカなどが、その後ろめたさのために、講和條約といふ當時の認識を否定したとしても、そのことが後に述べるとほり、占領憲法(東京條約、占領憲法條約)の破棄を通告する上で全く支障とはならず、むしろ好都合なのである。

ところで、前に述べたが、有倉遼吉は、嚴格な法實證主義者としての立場から、「講和大權」を基軸として占領憲法の效力を論じた。その意味では、この有倉説も私見である講和條約説(眞正護憲論、新無效論)も、廣義の意味では「講和大權説」として分類されてもよいことになる。このやうに、講和條約説(眞正護憲論、新無效論)が、占領憲法の性質を講和大權の行使によつて定立した規範であると認識することにおいて有倉説と同樣であることからすれば、講和條約説(眞正護憲論、新無效論)を珍説、奇説の類であるとして揶揄するだけで、その論據に正面から向き合はない態度は、およそ學問的良心に悖るものであることを自覺すべきである。

ともあれ、兩説は、講和大權を契機として占領憲法の效力を論ずるものでありながら、占領憲法が憲法として有效か無效かといふ點においては正反對の結論に至つてゐる。有倉説は、帝國憲法の改正に限界があるとした上で革命有效説を受け入れたといふ見解でもなく、さりとて、改正の限界がないとする見解でもない。專ら、「講和大權の特殊性」から占領憲法が憲法として有效であるとしたのである。しかし、その論理性の精度は低く理論的には未熟であり矛盾破綻してゐると云へる。蓋し、「講和大權の特殊性」なる不明確な抽象的概念を以て、その國際系の規範を定立させる講和大權を行使して講和條約(東京條約、占領憲法條約)を締結するのではなく、國内系に屬する帝國憲法の改正法としての占領憲法の有效性をどうして導くことができるのかといふことについて全く説明ができてゐないからである。もし、「講和大權の特殊性」といふ概念を肯定的に解釋するとすれば、それは前に述べたやうなこと以外にありえない。これまで述べてきたとほり、各種の大權事項の中にあつて、講和大權は、國家緊急時において規範國體を護持するために行使しうるものであり、他の大權との序列において最優先のものであるといふ性質があるといふことである。

しかし、このやうに、講和大權に他の大權よりも優越性が認められるとしても、帝國憲法によつて授權された講和大權によつて帝國憲法自體を排除することができないことも當然のことである。むしろ、このことを踏まへ、嚴格な法實證主義を貫けば、講和大權の行使によつて定立される規範は、講和條約(東京條約、占領憲法條約)しかあり得ないはずである。それゆゑ、有倉説は、占領憲法の定立が講和大權を根據とするものであることに着目した嚆矢の見解であつた點において大いに評價しえても、その理論的歸趨を見失つた學説であると云へる。やはり、「講和大權説」から導かれるのは、論理必然的に講和條約説(眞正護憲論、新無效論)しかないことになるのである。

このやうに、講和條約説(眞正護憲論、新無效論)は、占領憲法が憲法(帝國憲法の改正法)としては無效ではあるが、それが中間條約としての講和條約(東京條約、占領憲法條約)に轉換するとの見解であり、講和條約の限度で成立したものとすることから、「相對的無效論」であり、廣義の意味で「相對的有效論」とも言へる。帝國憲法を守り、その立憲主義に從つて占領憲法を憲法としては無效とし、講和條約の限度で成立したとすることは、帝國憲法を眞の意味で護憲する、まさしく「眞正護憲論」なのである。

これに對し、舊無效論のうち、論理矛盾のない見解としては、占領憲法が憲法(帝國憲法の改正法)としては無效ではあると同時に、他のいかなる規範としても有效となることはないとする意味で、「絶對的無效論」であるといふことができる。また、さうでなければ矛盾を來すことになるのは前に述べたとほりである。

なほ、これまで述べてきた占領憲法の效力論學説について、占領憲法が無效となり、あるいは有效となる時期に關する各主張を整理すれば、章末の別紙三『效力論學説一覽表』のとほりとなる。

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