國體護持總論
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帝國憲法と占領憲法の對應關係

以上のことを踏まへて、帝國憲法との關係で、占領憲法(東京條約、占領憲法條約)の各條項が現時點において具體的にはどのやうな影響を有してゐるのかといふことについて述べることになるが、その前に、その前提事項について確認しておく必要がある。

それは、第一に、占領憲法が帝國憲法の改正法であれば、帝國憲法の各條項との個別的な對應關係がなければ無效といふことになるが(第三章參照)、憲法である帝國憲法と講和條約である占領憲法といふ二種の異なる法形式が重畳的に兩立するために、各條項の個別的對應關係がないとしても、講和條約(東京條約、占領憲法條約)としては當然には無效とはならないとする點である。

そして、第二に、占領憲法は講和條約(東京條約、占領憲法條約)であり、その性質に從つて各條項の解釋をする必要があるといふ點である。無效論は、帝國憲法の改正をするについては帝國議會の審議と議決が要件となることから、これに瑕疵があることを以て占領憲法が帝國憲法の改正法としては無效であるとするのである。そして、さらに、眞正護憲論(新無效論)は、これが講和條約(東京條約、占領憲法條約)に轉換したものとして成立を認めることになる點に特徴がある。しかし、講和條約(東京條約、占領憲法條約)として成立したと評價されるためには、帝國議會の審議と議決は必要ではない。帝國憲法においては、講和大權を行使して講和條約を締結するについて、帝國議會の審議と議決は不要だからである。それゆゑ、占領憲法を講和條約(東京條約、占領憲法條約)として評價すると、帝國議會の審理と議決の瑕疵は、そのまま占領憲法の瑕疵としては評價されないことになる。このことは、講和條約のみならず、一般條約の場合も同樣である。實際にも、統帥權干犯問題は、帝國議會において國政問題として取り上げられた事柄に過ぎなかつたのである。

さらに、第三には、占領憲法が講和條約(東京條約、占領憲法條約)であることからする當然の歸結として、占領憲法の各條項を改正することは、講和條約の改定といふことになり、その性質からして、講和條約の相手國である連合國(現在では國連)との合意が必要となるといふ點である。我が國が國内法手續だけで單獨では改正(改定)することはできないのである。假に、占領憲法第九十六條の改正條項に從つて改正するとしても、この條項の性質は、占領憲法(東京條約、占領憲法條約)の改正案(日本側申入案)の確定手續を意味し、これを連合國(國連)が承認して初めて改正條約として成立することになる。

つまり、占領憲法が憲法であり、帝國憲法の改正法であれば、それは國内系に屬するために、外國からの干渉はないが、國際系の講和條約であるためにその干渉を餘儀なくされる。これは、第二章で詳述したとほり、占領統治の最高意思決定機關であつた極東委員會(FEC)が昭和二十一年三月二十日になした『日本憲法に關する政策』において、「極東委員會は草案(占領憲法)に對する最終的な審査權を持つてゐること」を前提とすれば、この極東委員會が昭和二十七年四月二十八日に桑港條約の發效と同時に廢止されたとしても、それは我が國が國際連合に加盟前においても「國際連合憲章の原則を遵守」することを條件として桑港條約が締結されたからであつて、この極東委員會(FEC)の地位は、國際連合の安全保障理事會(實質は常任理事國)が實質的に承繼したと解される餘地があるからである。國際連合憲章には、第五十三條及び第百七條の、いはゆる「敵國條項」が存在し、特に、第百七條は、「この憲章のいかなる規定も、第二次世界戰爭中にこの憲章の署名國の敵であつた國に關する行動でその行動について責任を有する政府がこの戰爭の結果としてとり又は許可したものを無效にし、又は排除するものではない。」と規定してゐる。そして、我が國は、この敵國條項を含む國連憲章の全部について、國連に加盟する以前にも桑港條約で「遵守」を義務付けられ、加盟後においても、敵國條項の削除改正がなされないままである。といふことは、我が國が獨立後においても、連合國の占領統治支配體制がいまもなほ繼續してゐることに他ならないのである。それゆゑ、「敵であつた國に關する行動」(占領憲法の強制といふ講和條約の締結)を「無效にし、又は排除するものではない。」とすることから、我が國が国連に加盟してゐる間は、占領憲法を一方的に否定することはできなくなる。そして、これを一部改正することについても、國連は、それが少なくとも講和條約の趣旨に反するものである場合には、それに對する「最終的な審査權を持つてゐる」ことから、そのことに對する拒否權を持つて、これを行使しうるといふことになる。しかし、悲觀的になることはない、次章で述べるとほり、我が國には、國際慣習法の「事情變更の原則」を根據にして、講和條約群の全部又は一部を破棄通告(終了通行)する權利があるからである。

さらに、第四に、帝國憲法と齟齬する占領憲法の條項については、それが「法たる慣習」(慣習法)として認められるのか、あるいは單に「事實たる慣習」に留まるのかといふことを區別しなければならないといふ點である。すなはち、規範國體に違反する占領憲法の條項は、國内系においても「法たる慣習」(慣習法)としては認められず、慣習法として規範化することのない「事實たる慣習」に留まることになる。特定の事例が反復・繼續してその事實が集積するとしても、規範國體に適合しないことは法としての妥當性を缺くので規範化には至らない。これは、前章で述べた「事實の規範力」の問題である。また、そもそも反復・繼續した集積事實自體が存在しないときは、事實たる慣習としても認めることができない(非慣習)。これは、法としての實效性の基礎を缺くことになるから、それが規範化することはありえない。たとへば、その條項が存在しても、一度もその條項が規定する事實が實現してゐない場合(又は反對事實が實現してゐる場合)や、その條項自體の適用事例が一度もない場合などは、その條項の豫定する規範性は否定されることになる。前者の例としては、占領憲法第九條である。自衞隊といふ戰力が存在する事實は、戰力の不保持の反對事實として繼續・反復されてゐる。實效性が喪失してゐるのである。また、後者の例としては、占領憲法の改正條項である第九十六條である。一度もこの條項が適用された事實がないので實效性が當初から存在してゐないからである。占領憲法施行から六十年後に『日本國憲法の改正手續に關する法律(平成十九年法律第五十一號)』が成立したが、それは手續法の整備にすぎず、占領憲法第九十六條に基づいて何らかの具體的な改正手續が着手された事實はないのである。

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