國體護持總論
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地方自治條項

これまで、帝國憲法と占領憲法との制度比較について述べてきたが、帝國憲法には規定はなく占領憲法にある制度のうち、地方自治については、項を改めてここで述べてみたい。

帝國憲法には規定がない事項は、帝國憲法下においてはいづれも下位法規によつて定めることができる。そのことは、占領憲法(東京條約、占領憲法條約)で新たに定められた地方自治制度についても同樣であつて、占領憲法が講和條約(東京條約、占領憲法條約)として認められるのであれば、この地方自治制度が新設されたことになる。そして、さらにこれが法律に委任(第九十二條)され、現行の『地方自治法』(昭和二十二年法律第六十七號)で運營されてゐることになる。

占領憲法では、新たに第九十二條以下において「地方自治制度」を規定し、その第九十二條には、「地方公共團體の組織及び運營に關する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」と規定し、「地方自治の本旨」といふ概念が登場した。

では、これをどのやうに理解するのか。これについては、「民主主義(人民自治)」と「地方分權(團體自治)」であるとする見解がある。それによれば、『マッカーサー草案』(マ草案)第八章「地方政治」に規定する第八十六條ないし第八十八條を根據とするとされてをり、これによれば、「住民」は、首長及び地方議員のみならず「徴税權ヲ有スル」自治體の主要な公務員についても直接選擧による選定罷免權を有してゐることや、自治體内に「財産」を有する「住民」は、當該自治體に對し、監督權・參政權をも享有することになつてゐる。それゆゑ、「住民」とは、國籍等を問はず、自治體内で「財産」を有し、納税の義務を果たしている總ての「住民」をも含むことにならう。このやうな住民自治の概念は、この人民主權概念に依據してゐる。これに影響を受けた『フランス山嶽黨憲法』(1793+660)の一部をなす山嶽黨權利宣言第二十條によれば、納税者である人民は、租税の設定に協力し、その使途を監視し、これについての報告を受ける權利を有するとしてをり、納税の義務の履行者(納税者)と參政權とは一體のものとの認識がなされてゐた。まさに、マ草案の思想的背景もこの系譜に屬するものであつて、地方自治の參政權(地方參政權)は、この地方納税者住民の享有する權利(地方納税者權)の一つといふことになる。さうであれば、國籍の有無を問はず、永住許可を受けてゐるか否かを問はず、地方納税の義務を履行して納税した者(地方納税者)に地方自治の參政權を認め、地方納税者でない者(納税免除者を含む。)は國民であつても地方參政權を認めないといふ制度でなければ地方自治の本旨に違反することになるのであらう。

この外國人の地方參政權のうち、外國人の地方選擧權のみ(國政選擧權、國政被選擧權及び地方被選擧權を除く。)に關して、判例と通説は、これを認めるか否かは憲法的にはニュートラルな立法政策の問題であつて、これを認めることが占領憲法の要請ではなく、また、憲法違反でもないとする(最高裁判所第三小法廷平成七年二月二十八日判決)。つまり、占領憲法の基本的人權の保障は、權利の性質上日本國民のみをその對象としてゐると解されるものを除き、我が國に在留する外國人に對しても等しく及ぶものであるとする一般論に立つものの、第十五條一項にいふ公務員の選定罷免權は、國民主權原理における國民(日本國籍を有する者)に歸屬し、外國人には及ばず、第九十三條二項にいふ「住民」についても、地方公共團體の區域内に住所を有する日本國民を意味するとした上で、「地方自治に關する規定は、民主主義社會における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な關連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその區域の地方公共團體が處理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が國に在留する外國人のうちでも永住者等であってその居住する區域の地方公共團體と特段に緊密な關係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な關連を有する地方公共團體の公共的事務の處理に反映させるべく、法律をもって、地方公共團體の長、その議會の議員等に對する選擧權を付與する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相當である。」とするのである。

しかし、このやうな肯定説ないしは立法政策説(許容説)の見解に對しては、いくつかの根本的で重大な疑問を抱かざるを得ず、現時點においては、占領憲法の解釋においても、外國人の地方參政權を認めることは、帝國憲法に違反し、かつ、占領憲法にも違反するものと判斷される。


では、その理由と根據を説明する前に、その前提事項を次のとほり整理しておきたい。

まづ第一に、占領憲法の地方自治條項とマ草案の地方自治條項とは、その趣旨が異なるといふ點である。兩者を比較すると、マ草案の第八十六條ないし第八十八條の三箇條は、具體的に表現されてゐたのに對し、これに形式的に對應する占領憲法の第九十三條ないし第九十五條の三箇條の規定は抽象的、包括的なものとなつてゐる。そのために、總論的な制度保障規定として、「地方公共團體の組織及び運營に關する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」(第九十二條)といふ規定を設けたといふことができるが、この「地方自治の本旨」についての説明がないことから、地方自治制度自體の抽象性にさらに拍車をかけることになつた。それゆゑ、占領憲法は、マ草案の定めた具體的な限定をなくしたものであつて、兩者の規定の趣旨は同じではない。

第二に、占領憲法の解釋はマ草案の文言に拘束されないとの點である。つまり、マ草案は、講和條約(東京條約、占領憲法條約)の締結交渉における初期草案であつて、これがその協議の中で變更され、結果的には占領憲法の文案で成立したのであるから、協議經過途中でのマ草案の文言自體に拘束されることはないのである。現に、マ草案第八章の表題は「地方政治」(Local Government)であつたのを、GHQ側が政府提案を了承して「地方自治」(Local Self-Government)と變更してゐる。また、マ草案では、前述のとほり「徴税權ヲ有スル」者の直接選擧を定めてゐたことから、これを昭和二十一年三月二日の政府案では、これを受けて「地方税徴收權ヲ有スル」としたのであるが、GHQ側が逆にその表現全體の削除を強く要請してきた。しかし、我が政府がこれに應じなかつたところ、後に示されたGHQの整理英文ではそれが削除されたことから、結果的にはその文言が削除された三月五日案ができたといふ經緯があつたのである。ただし、講和條約(東京條約、占領憲法條約)として締結された英文の公文である英文官報の占領憲法(英文占領憲法)は、邦文占領憲法と同等の法的效力を有するものであつて、解釋においてもその表現文言に拘束されることになる。

第三に、「地方自治の本旨」の意味を民主主義と地方分權として限定的に解釋しえない點である。そもそも、我が國の中央と地方との關係が強く認識されることになつたのは江戸時代からである。この幕藩體制といふのは、冊封制度、すなはち、德川幕府(征夷大將軍)が諸藩の藩主の任命權を有することから、幕府と諸藩とがそれぞれ國家であるとすれば、それは宗主國と從屬國(附庸國)の關係であつたことになるが、それが明治維新を經て版籍奉還、廢藩置縣により中央集權の統一國家となつた。それゆゑ、藩主、知藩事、藩知事、知事、縣令、知事と呼稱はめまぐるしく變遷したが、國家からの委任事務を管理執行する官選の地方長官であつて、中央集權體制であつたから「地方自治」といふ觀念自體がなかつたのである。「本旨」とは、「本來の趣旨」といふ意味であり、この制度は「新設」であつて、そもそも「本來」のものがないのである。それゆゑ、これには特段の意味はなく、地方自治の運用については占領憲法との整合性が保たれる範圍内であればこれを許容するといふ趣旨のはずである。それゆゑ、これを「民主主義(人民自治)」と「地方分權(團體自治)」の意味であると恣意的に限定解釋する根據はないのである。

むしろ、歴史的に考察すると、「地方」の姿は、部族連合制、律令制、幕藩制を經て、廢藩置縣の明治維新へと推移したので、地方自治の樣相を探るとすれば、幕藩制以外にない。幕藩制は、各藩が獨自の年貢諸役によつて獨自の財源を確保して藩政を担つてゐたことから、「團體自治」と「財源自治」で貫かれてゐた。もし、地方自治の本旨なるものがあるとすれば、地方は中央に財源的に依存しない獨自の財源で運営することである。それゆゑ、「財源自治」の原則が滿たされてゐない、三割自治と揶揄される現在の「地方自治」は、地方自治の本旨によるものではなく、地方自治の名のもとに國政の一部を分掌することに他ならない。つまり、もし、これに外國人が參政權を有することになると、地方交付税交付金や補助金など國費の處分に關與させることとなつて、國政參政權を附與したに等しく、占領憲法にも違反することになる。


以上のことを踏まへて、さらに、外國人に地方參政權を附與することが帝國憲法及び占領憲法のいづれにおいても認められない理由と根據について説明したい。

まづ、占領憲法が憲法として無效であり帝國憲法下の講和條約であることを前提とすると、帝國憲法が中央集權體制の統治制度であること、帝國憲法第十九條は議員など資格を得て公務に就くことができるのは臣民固有の權利であることを定めてゐることなどからして、地方參政權と雖も外國人に附與されることがないことは當然のことであるが、それだけでは占領憲法を踏まへた現在性のあるこの問題の議論とはなりえないので、ここでは占領憲法が憲法であると假定した立論も用ゐて理由付けるものとする。


ただし、占領憲法が講和條約であることから、その條文解釋においては、各國に自己解釋權があり、我が國は、可能な限り自國に有利に解釋適用しうる權利があることを留意されたい。


まづ、第一の理由としては、法實證主義に依據して制定されたとする占領憲法の解釋からの當然の歸結によるものである。占領憲法第十五條第一項に、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、國民固有の權利である。」と規定し、さらに、同第九十三條第二項には、「地方公共團體の長、その議會の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共團體の住民が、直接これを選擧する。」とある。つまり、「地方公共團體の長、その議會の議員及び法律の定めるその他の吏員」の意味は、特別職及び一般職を含むすべての「地方公務員」のことであり、その「公務員」の選定罷免權は、「國民固有の權利」であるとするのであるから、外國人(非國民)にその權利は認められない。占領憲法の英文でも、第十五條第一項の「公務員」は「public officials」であり、また、第九十三條第二項の「地方公共團體の長」は「The chief executive officers of all local public entities」、「その議會の議員」は「the members of their assemblies」、「法律の定めるその他の吏員」は「such other local officials」となつてをり、「local」(地方)であつても、「officers」(公務員)であり、「public」(公務)であり、これらは全て「such」(同種、同類)なのである。それゆゑ、國政參政權と地方參政權とを分離することはできず、國民固有の公務員選定罷免權を國民でない者(非國民、外國人)に附與することは占領憲法違反となることは明らかである。


また、第二の理由としては、地方自治において、人民主權主義に基づく「人民自治」を認めることは國民主權主義の占領憲法違反になるとする點である。

人民自治(住民自治)は、民主主義と同義ではなく、これを同義とする點も誤りである。占領憲法の前文に「主權が國民に存する」との部分に該當する英文占領憲法の表現は「sovereign power resides with the people」であり、占領憲法には「國民」の概念はあつても「人民」とか「人民主權」の概念はない。また、最高裁判所裁判官の國民審査を定めた第七十九條第二項の「國民審査」に該當する部分についても「reviewed by the people」となつてゐるし、憲法改正案の國民投票について定めた第九十六條第一項に該當する部分は「submitted to the people」(國民に提案し)、「require the affirmative vote of a majority」(過半數の贊成投票を必要とする)となつてゐる。そして、このことは、地方自治の規定についても同樣である。つまり、地方自治の吏員について住民の直接選擧を定めた第九十三條第二項に該當する部分は、「direct popular vote within their several communities」(それぞれの自治體内における直接の國民投票)であり、地方自治特別法の住民投票について定めた第九十五條に該當する部分は、「the consent of the majority of the votes of the local public entity」(地方公共團體の投票においてその過半數の同意)となつてゐるのであつて、どこにも「住民」に對應する文言はない。むしろ、第九十三條第二項の「popular vote」は、占領憲法全體の表現文言からして、當然に「國民投票」を意味し、ここで突然に「人民投票」の概念が出てくるはずもない。これを「住民投票」と解釋したとしても、それは「國民である住民」を意味することになる。

そもそも、人民自治といふのは、自治體固有の財産の處分や財政の運營をその財源を提供する納税者全體の判斷に委ねるといふ趣旨で、納税者權と地方參政權を同視する考へであるから、それが認められるためには、自治體が固有の財源のみによつて運營されることが前提條件となるはずである。つまり、前述したとほり、傳統的、歴史的に見て、地方自治の本旨といふのは、單に、「住民自治」と「團體自治」だけでは足りず、「財源自治」が最も重要なものなのである。ところが、現在の地方自治は、地方財政調整のために國税收入の一定割合の交付金(地方交付税交付金)や國の補助金によつて運營されてゐる。これらは、自治體の固有の財源ではない。しかも、事務事業のうち、その大半は國の委任事務であり、固有事務は少なく、このやうな脆弱な自治を「三割自治」と揶揄されてゐる。しかも、自主財源であると説明されてゐる「地方税」と呼ばれてゐるものについても、地方税法その他の「法律」によつて課税徴收される財源は、眞の意味で自主財源でも固有財源でもない。地方税とは、地方における行政府が課税して納付させる税金であり、國家が課税して納付させるものを國税として區別するのが一般であるが、納税者の立場からすれば、課税される根據が國の「法律」なのか地方公共團體の「條例」なのかの區別、つまり、「法律税」か「條例税」かの區別こそ重要である。つまり、假に、地方參政權が地方納税者權(條例税納付者權)と對應するものであれば、地方納税者は、自己が條例によつて納税する税金の管理監督權として、その自主財源の課税徴收の根據となる條例を制定し、その税金の使途等を豫算決算の形式で議決した議會の議員、その豫算を執行した行政機關などの公務員に對して、選定罷免權を行使することが認められるのである。ところが、その豫算決算の中に、地方が獨自の條例制定權に基づいて課税徴收したものでない財源が含まれてゐる場合、その部分についての管理監督權は行使できないことになる。特に、それが「法律税」による財源であれば、その管理監督に容喙することは國政に參加させることとなる。法律税の税收が自治體に分配されるのは、自治體を通じて當該自治體に居住する「國民」に向けられた國家の行政執行であつて、自治體固有の行政ではない。あくまでも機關委任事務である。これに國民以外の住民を參加させるのは違憲であつて許されないのである。

前に述べたとほり、マ草案では、「徴税權ヲ有スル」となつてゐたのを三月二日案で「地方税徴收權ヲ有スル」として、あへて「地方税」の字句を附加したのは、「條例税」の自主財源を踏まへた地方自治を想定してゐたためである。

この地方の自主財源(條例税)の支出や處分を管理監督するために、地方納税者たる「住民」に地方參政權を付與するとしても、それは、「國民」の有する國政の參政權とは明らかに異なつた態樣となる。國政の參政權は、納税の有無とは關係がないため、地方參政權を納税者權と對應させると、特定の自治體に居住する「國民」と「住民」とは一致しなくなる。住民とは、その自治體領域の單なる居住者ではなく、定住性がある者やある程度長期の居住期間を必要とすることからすると、地方自治に關係を持ちうる「居住者」について、國籍の有無と納税の有無とによつて、次の四種類に區別される。それは、①國民であり住民である者、②國民であるが住民でない居住者、③國民でないが住民である者、④國民でも住民でもない居住者、の四種類である。そして、このうち、「住民」は、條例税を納付した住民とさうでない住民とに區分され、住民でない者(非住民)も、條例税を納付した居住者とさうでない居住者とに區分される。


ところで、「臣民(國民)」の概念定義は法定されることになつてゐる(帝國憲法第十八條)。臣民とは、大御寶(おほみたから)である。「たから」とは、「田柄(田幹)」であり、田(農地)で結び付きを持つ族(柄、幹)である。やはり、臣民は、農を拔きにしては成り立たないことを意味する。そして、第三章で述べたとほり、皇統が血統のみならず靈統と一體となつてゐるのと同樣に、その雛形となる臣民についても、臣民の血統のみならず臣民としての靈統が求められる。つまり、國籍取得の要件は、臣民の血統としての「家族」と、靈統としての「祭祀」の兩面が必要となる。そして、成人に達した者には、元服式(成人式)において「臣民之誓詞」が求められる。これによつて初めて眞の臣民となり、君民一體となるのである。

それゆゑ、國籍取得の要件は、臣民であるための歸化要件と同程度でなければならないのであつて、そのことが規範國體の内容となつてゐる。アメリカ合衆國の歸化要件においても、忠誠宣言がある。これは、歸化をする外國人は、母國に對する忠誠を放棄し、もし要請があれば武器を持つて合衆國軍の一員として戦ふことを誓ふのである。母國とアメリカが戰爭する場合、アメリカ人として武器を持つて母國と戰ふ覺悟がなければ市民權(國籍)は與へられないのである。

このやうに、歸化要件は、歸化國と祖國(母國)との戰爭時における歸化國への忠誠義務、祖國に對する忠誠の放棄がなされるものでなければならない。これは戰爭だけではない。歸化國と祖國(母國)との外交、政治、法律、經濟など一切の國家的利害對立の状況において、常に歸化國の利益のために行動することの誓詞が求められる。

ところが、占領憲法には、これと同樣の體裁をとつてゐる第十條の規定があるものの、この性質は帝國憲法第十八條の臣民條項の性質とは全く異なる。占領憲法は、敗戰國が戰勝國に服從して制定(締結)されたものであることから、外國人が日本國籍を取得するについての國籍條項も歸化條項も原則として何らの制約を設けることができない「無國籍化(國籍自由化)」を圖り、國籍條項の撤廢を目途としたものである。占領憲法では、歸化人が歸化國を裏切つて祖國(母國)の利益のために行動する利敵行爲をしても當然に許される。むしろ、そのやうに行動することが我が國を弱體化し消滅させるために效果的と考へたからである。

占領憲法は、日本國の憲法であることの特異性が全くない。それどころか、日本を消滅させる占領下の敗戰國であれば、どこにでも適用されうる内容であり、日本でなければならない特有の規定などはどこにもないのである。占領憲法の「第三章 國民の權利及び義務」における「國民(日本國民)」の英譯(Japanese people)とは異なり、同第十條の「日本國民」の英譯は、「Japanese national」(日本國籍所有者)とある。GHQは、「Japanese people」を「日本在住者」を意味するものとし、日本國籍の有無にかかはらず、日本に居住してゐる外國人のすべてを含むものとして「第三章 國民の權利及び義務」を定め、國籍條項はGHQ草案にも政府草案にもなかつたのである。つまり、占領憲法は國籍による差別を認めない無國籍國家の憲法だつたのである。それを昭和二十一年七月二十九日の衆議院憲法改正特別委員會の小委員會において、國籍條項(第十條)が挿入されたが、GHQは、「Japanese national」(日本國籍所有者)と「Japanese people」(日本在住者)とは同じであり、いづれも「Japanese people」(日本在住者)であると理解して、この挿入を許諾したのである。

占領憲法の「第三章 國民の權利及び義務」にも、「すべて國民は」とする規定と「何人も」とする規定とがあるが、何ゆゑにそのやうに區分されてゐるのかの基準は明確ではない。その理由は、GHQとしては、「people」(在住者)と「person」(人民)とを區別しなかつたからである。すべてこれは、國民と非國民との區別を溶融させて混在一體化させ、我が國をメルトダウンさせることを狙つたものである。それゆゑ、占領憲法では、國籍はもとより、外國人の地方參政權を制約することもできないものとなつてゐる。そのため、占領憲法に從へば、臣民と臣民でない者の區別を流動化させ最後には撤廢させるに至ることは必然であつて、その意味でも占領憲法を憲法として認めることは、國家の消滅を招來することになる。

ともあれ、現行の國籍條項の運用によつても、臣民(國民)の社會において共存する臣民(國民)でない者にも、臣民(國民)の場合と同樣に、「住民」と「非住民」との區別が求められることになる。しかし、「住民」の概念定義自體が不明確であることから、恣意的な線引きによつて住民と非住民(居住者)が區別され、特定の者が實質的に住民から排除しうる運用が可能な制度自體が違憲となる。それは、非住民とされた者が條例税納付者である場合に顯著となる。住民であれば通常は條例税納付者であることが一般であつても、さうでない場合も多いのであるから、この状況は、「住民自治」の根幹を搖るがす問題となるからである。

このやうな複雜な情況においても、あへて現行制度下において地方參政權を容認する方法を見出すとすれば、それは、法律税を財源とする豫算決算と條例税を財源とする豫算決算とを別會計とし、これに對應する各豫算別行政を區別した上で、それぞれに對應する豫算議會とそれを執行する首長を設置しなければならない。つまり、①と②を參政權者として選出された法律税豫算議會議員及びその執行責任者(首長)と、①と③を參政權者として選出された條例税豫算議會議員及びその執行責任者(首長)とに區分し、それぞれが法律税財源と條例税財源の審理、議決、執行、管理、監督などを行ふといふ煩雜な方法しかないのである。①に屬する者は、国政と地方の雙方の參政權を有するのであつて、これを一律かつ單一の議會と首長を選擧できる制度とし、國籍を有しない者や條例税を納税しない者を同列同等に參加させることは公正、公平を著しく缺くことになる。ましてや、條例税納付者であり居住者であるにもかかはらず、住民と認められない者を參加させないことは、地方參政権の侵害として違憲となる。それゆゑ、二種類の議會と首長を設けずに現行制度のままで短絡的に一つの議會議員と首長を選出する制度のままで外國人の地方參政権を認めることは、參政権の平等原則を崩壞させることとなつて違憲無效となることが明らかである。

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