國體護持總論
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地方自治條項(つづき)

次に、外國人に地方參政權を付與することが違憲であることの第三の理由としては、「地方分權」化しつつある地方自治に外國人の參政權を認めることが違憲であるとする點である。

初めに明確にすべきことは、「地方分權」は帝國憲法と占領憲法のいづれにも違反するといふことである。團體自治は、地方分權と同義語ではなく、これを同義とする點は誤りである。前に述べたが、マ草案では、當初は地方自治とせず「地方政治」としてゐた。地方政治と地方自治とは異なるのである。ましてや、「地方分權」とも異なるし、そもそも地方分權の定義が明確ではない。一般に、地方分權とは、中央集權に對置される概念として、國家權力を地方自治體に移して分散させる體制を意味するとされるが、それでも具體的なものではなく明確ではない。戰前のやうな地方政治の態樣から、アメリカのやうな連邦制の形態までの樣々な態樣まで、中央と地方の關係には樣々なものがあるが、そのうちどの態樣を意味するのかも不明である。これは、「地方自治の本旨」が不明であることと無縁ではない。いづれにせよ、この地方分權が「國家權力の一部が委讓された地方政府」といふ意味であるとすれば、帝國憲法第四條の統治大權を侵害することになつて違憲無效である。また、「委讓」が「委任」であつても、恆常的に法律で委任されるのは委讓に等しく、これも違憲無效である。

そして、この點について、さらに、占領憲法レベルで考察しても、「委讓」とこれと同視できる「委任」もまた以下の理由により占領憲法違反となつて無效となる。すなはち、前述した現行の運用のとほり、その委讓する權限が國の財政支出を伴ふものであれば、國費の支出等について國會の議決に基づくこととし(第八十五條)、會計年度主義によつて國會の豫算議決を必要とする財政の基本制度を空洞化させるものであるからである。ましてや、委讓された地方政府の財政に日本國民でない外國人を關與させることは、間接的には外國人に實質的に「國政參政權の移讓」をしたに等しく、二重の意味で占領憲法に違反する。ちなみに、ここでも、「移讓」と「委讓」の相違は、權限の移轉が國際關係でなされるのが前者であり、國内關係でなされるのを後者として區別してゐる。ともあれ、これが移讓ではなく恆常的な法律の委任であつても同じである。また、公務員の選定罷免權は、「國民固有の權利」(第十五條)であるから、移讓は勿論のこと、委任にも馴染まないものである。


さらに、第四の理由としては、占領憲法第九十五條の地方特別法の住民投票に關する規定からして、その「住民」に外國人が含まれるとすれば、外國人に國政參政權を付與することとなつて占領憲法に違反するといふ點である。

すなはち、これは、國會が國の唯一の立法機關であるとする第四十一條の例外規定として、住民投票による同意に法律の成立を委ねるものであり、いはばその「自治體の選擧民團」を「臨時の國家機關」として、その同意決議に委ねるといふ制度となるからである。これは、占領憲法改正について定めた第九十六條の「國民投票」の場合に、「國民の選擧民團」といふ臨時の國家機關による贊成決議に委ねたのと同樣の構造となつてゐる。さうであれば、この場合の自治體の選擧民團といふ臨時の國家機關の決議は、まさに國政の參政權行使の場面であつて、これに外國人が參加することは許されない。それゆゑ、この第九十五條の「住民」と第九十三條第二項の「住民」とは全く同じであることからして、「住民」とは、「國民である地方公共團體の住民」の意味であることは明らかである。


また、第五の理由としては、外國人の地方參政權について、地方選擧權と地方被選擧權と區別して論ずることができない點である。

參政權といふのは、選擧し選擧されるといふ自同性を本質とするものであつて、本來一體不可分のものである。現行制度において、選擧權を有し被選擧權を有しない者(公職選擧法第十一條の二)を認めてゐるが、これは刑罰に派生した制裁による政策的なものである。外國人に地方選擧權を認めるとの見解は、これを認める點において特權を付與し、地方被選擧權を認めない點において制裁を加へるといふものであつて、特權と排除を組み合はせた差別思想に他ならない。


さらに、第六の理由としては、外國人に地方參政權を付與するについて、永住許可の有無や在留資格の種類によつて區別したり、納税の有無によつて區別したりすることに合理的な基準が設定できない點である。

つまり、どの程度のその土地に居住定着すれば「住民」と云へるのかいふ點は、在留資格の種別だけで判斷しえないものであり、「住民」であるか否かは、單に登録等の形式ではなく實質で判斷されなければならないものである。さうすると、その地に居住してゐても居住態樣によつて住民と認めてもらへない者が生じたり、逆に、居住実態がないのに登録等の形式だけで住民と認められる者も生ずることになる。そして、居住してゐなくても納税してゐる者は「住民」ではないとしても、地方參政權を付與すべき「人民」ではないのかといふ疑問も出てくる。特に、その土地で多額の納税をした外國人旅行者(非居住者)の場合と、これまで一切納税したことのない定住外國人の場合(居住者)とを比較して、どちらが地方參政權を付與するに適格なのかを明確に判斷しうる基準がないことである。このやうな不明確なものは、參政権の得喪に關する基準とはなりえず、恣意的な制度とその運用によつて、實質的に參政權が侵害される者が生ずることとなつて違憲であると云はざるを得ない。


最後に、第七の理由としては、外國人の地方參政權について、外國の立法例や相互主義の見地は、これを付與する根據とはなり得ない點である。

これについての諸外國の立法例は、それぞれの國の制度的沿革や政治的事情も樣々であつて、一律に論じたり參考にできるものではない。法體系の相違を無視して單に平面的に論じても無意味である。また、外國人に權利を與へるについてその外國人の本國が自國民に同等の權利を與へることを條件として認めるとの相互主義の原則は、國家主權に關する事項には適用がないのである。


以上の理由により、外國人の地方參政權付與が帝國憲法及び占領憲法のいづれにおいても認められないことが明らかであるが、外國人のうち、桑港條約發效まで臺灣と韓半島(朝鮮半島)の出身者で日本國籍を有してゐた者については、別途に考察する必要がある。

まづ、桑港條約發效前の昭和二十二年五月二日の『外國人登録令』、同二十六年の『出入國管理令』によつて、既に、これらの人民の日本國籍は「停止」されてゐた。そして、最高裁判所は、戰前の領土割讓や併合に因つて日本國籍を取得した者は桑港條約發效によつて日本國籍を喪失すると判斷したのである(昭和四十年六月四日判決)。しかし、桑港條約第二條は割讓及び併合による「すべての權利、權原及び請求權を放棄」したのであつて、「義務を免除」されたのではない。從つて、戰前に我が政府が割讓地及び併合地の人民に日本國籍を付與して引受けたのであれば、桑港條約發效後はその人民に國籍選擇權を與へ、日本國籍を希望すれば日本國籍の保持繼續を保障する義務があつたはずである。少なくとも、占領憲法第二十二條第二項の趣旨から、國籍の選擇權を付與すべきであつたが、結果的には、國籍要件に關する法定主義(帝國憲法第十八條、占領憲法第十條)に基づき、現在ではその國籍の喪失が確定してゐる。從つて、これらの人民とその末裔については、外國人の地方參政權の問題として處理するのではなく、歸化要件の緩和による救濟措置を以て對處すべきものである。


ただし、ここでどうしても觸れておかねばならない危惧がある。それは、次項とも關連するが、占領憲法の條文解釋については一樣ではなく、これまで以上にさらに亡國的な解釋も成り立ちうるといふことである。それは、移民、入國審査、永住許可、歸化、國籍取得、國籍條項などの一齊緩和によつて、日本が溶け出すことに齒止めがかからない事態となる危險があることである。國民主權の名の下に、どのやうな解釋も許されるといふ事態である。

そもそも、邦文の占領憲法の條文を英譯して「英文官報」に正式に掲載された「英文憲法」は、單なる公式の英譯といふよりも、邦文の占領憲法と「同等」の法的效力を有する英文占領憲法であるとする解釋も成り立ちうるのである。つまり、決して「占領憲法の英譯」ではなく、「もう一つの占領憲法」といふことである。占領憲法が講和條約であることからすると、これを否定する根據に乏しくなるのである。

さうすると、このやうな解釋も射程範圍に入つてくる。つまり、邦文占領憲法に「日本國民」と表現されてゐるのは、英文占領憲法では、「Japnese people」(前文、第九條)、「people」(第一條)、「Japnese national」(第十條)、「people of japan」(第九十七條)となつてゐる。また、同樣に、邦文占領憲法と英文占領憲法を比較すると、「國民」と表現されてゐるのは、「people」(第十一條、第十二條、第十五條、第三十條、第九十六條)であり、「すべて國民」と表現されてゐるのは、「All of the people」(第十四條)、「All people」(第二十五條ないし第二十七條)とある。これに對し、「何人」と表現されてゐるのは、「Every person」(第十六條、第十七條、第二十二條第一項)、「person」(第十八條、第二十條、第三十一條ないし第三十四條、第三十八條、第三十九條、第四十八條)、「all persons」(第二十二條第二項、第三十五條)、「any person」(第四十條)である。このことからすると、概ね「國民」は「people」に、「何人」は「person」にそれぞれ對應してゐるが、そもそもこのやうに明確に区分される根據はない。「Japnese people」(前文、第九條)、「Japnese national」(第十條)、「people of japan」(第九十七條)は「日本國民」と理解されるとしても、単なる「people」(第一條、第十一條、第十二條、第十四條、第十五條、第二十五條ないし第二十七條、第三十條、第九十六條)を「國民」のみに限定される根拠に乏しい。ましてや、「person」を「國民」に限定される根拠は全くなく、外國人を當然に含むものと解釋しうる。

國籍法制は、大きく分けて血統主義と生地主義とがある。我が國などは、血統を基本とした血統主義であるが、英米などは誕生地を基本とした生地主義であることから、GHQ草案(資料三十一)には、占領憲法第十條が想定するやうな血統主義を想定した國民の要件に關する規定がなく、國籍については英米法の生地主義による國籍法制を當然のことと考へてゐた形跡がある。帝國憲法第十八條の臣民の要件は血統主義であり、その流れを汲んで占領憲法第十條が帝國議會の審議で追加されたといふ經緯があつたことからすると、やはり、GHQ草案における「person」と「people」には明確な區別はなく、生地主義の國籍を豫定してゐたとしても不思議ではない。そのために、後で付け足された占領憲法第十條の「國民」の英譯だけが、他の規定における「person」と「people」とは異なり、「Japnese national」といふ英譯になつてゐるのである。「Japnese national」は、血統主義による國籍を想定したものであるが、GHQは、これを生地主義を想定した「person」や「people」と同じ意味であるとしてスルー(through)させてしまつたのである。

さうすると、邦文占領憲法第十四條の「すべて國民」は、これと同格の法的效力を有する英文占領憲法第十四條の「All of the people」の邦譯を「すべての人民(何人)」と解釋してもよいといふ見解も成り立ちうる。その意味では、國籍法第三條に關して、實質的には、占領憲法第十四條の「すべて國民」を「何人」と解釋改憲した平成二十年六月四日の最高裁判所大法廷判決とこれに呼應する法改正も既にその方向へ歩み出したものといふことができるのである。

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