國體護持總論
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最高法規條項

占領憲法には、その第十章に「最高法規」として第九十七條から第九十九條までの三箇條を規定する。これは、自畫自贊條項であり、占領憲法を憲法であると僞裝したことの痕跡を示す「政治的美稱」の規定である。

このやうな政治的美稱は他にもある。それは、占領憲法第四十一條の「國會は、國權の最高機關であつて、國の唯一の立法機關である。」との規定である。占領憲法有效論からすれば、國民主權であるから「國會は、國權の最高機關」ではないから、この規定を無視するために、政治的美稱であるとするのと同樣である。

この政治的美稱といふ技法は、結果的には明文規定とは全く反對(否定)の解釋をするときに用ゐられる解釋技術のことである。つまり、明文規定とは逆に「國會は國權の最高機關ではない」と解釋することになる。憲法には美稱といふか、平氣で嘘をつき詐稱された内容のものがあることを肯定するのが政治的美稱説である。占領憲法が有效であるとする見解でも、占領憲法第四十一條について政治的美稱説で説明してゐるのであるから、占領憲法は「嘘つき憲法」であることを認めることになる。そのため、「嘘つき憲法」が最高法規であるとする信仰にも似た自信も搖らぐはずである。さうであれば、この「最高法規」の三箇條が自畫自贊の政治的美稱(詐稱)ではないと言ひ切れる根據はどこにもないことに氣づくはずである。

つまり、占領憲法無效論では、このやうな政治的美稱説によつて占領憲法の條項を解釋することは占領憲法の最高規範性を否定する根據となるのであるが、占領憲法有效論が政治的美稱説により占領憲法の條項を解釋することは、占領憲法が「嘘つき憲法」であることを認めることとなつて、最高規範性を否定してしまふことになるといふ矛盾に陷るのである。しかし、占領憲法有效論は、それでも占領憲法が最高法規であると強辯するのであるから、これはペテン師の解釋論であると云へる。占領憲法有效論は、占領憲法第四十一條を政治的美稱とし、第九十七條から第九十九條の三箇條は政治的美稱ではないとするが、これを明確に區別できる明確な理由を示してはゐない。前者が政治的美稱であり、後者はさうではないとすることは、占領憲法にも規定がない。法實證主義からしても根據付けられないのである。他人に對して平氣で齒の浮くやうな御世辭を云ふ者は、おそらく自分のこととなれば自畫自贊の嘘も平氣で云ふであらうと思ふのが常識である。さうであれば、他人(國會)のことについて齒の浮くやうな御世辭(國權の最高機關)を云ふ占領憲法は、自分のこととなれば自畫自贊の嘘(最高法規)も平氣で云ふとは思はないのか。これを否定するのはペテン師であることを證明してゐることになる。

このやうなペテン師の解釋論は他にもいくつかある。占領憲法第二十五條についての制度的保障論も同類である。そして、同第九條についての政治的マニフェスト論も然りである。さらには、占領憲法の條項を「準則」(rule)と「原理」(principle)とを恣意的に區分し、同第九條は「原理」であるとする見解(長谷部恭男)もある。この「準則」とは一義的に定まつた規範(スカラー)であり、「原理」とは方向性の規範(ベクトル)であると理解されるが、その區別の基準は明確ではなく、各條項の規定内容や表現から區別することは困難であり、これをあへて區別することは著しく恣意的なものとなつて法的安定性を害することになる。結局のところ、これは解釋改憲を促進させるだけである。

ともあれ、占領憲法の「最高法規」の條項は、占領憲法が講和條約(東京條約、占領憲法條約)である限度で理解されるべきもので、第九十七條の全部、第九十八條第一項の全部及び第九十九條の全部は、「政治的美稱」といふよりも「政治的詐稱」であるから規範性はなく、帝國憲法に違反する内容であることから無效である。

ただし、講和條約その他の條約や確立された國際法規を遵守すべきは當然のことで、第九十八條第二項は注意規定にすぎない。占領憲法もまた講和條約であることからすれば、我が國がこれを遵守することは當然のことであるが、講和條約の遵守義務は我が國自身にあるのであつて、「天皇又は攝政及び國務大臣、國會議員、裁判官その他の公務員」といふ國家機關や執行者に個別に「尊重擁護義務」を課すことができないことから、第九十九條は無效である。

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