國體護持總論
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講和條約群の破棄

桑港條約は、その締結後に第十一條等の履行が完了したと同時にその全部が當然に失效したといふ見解があるが、この見解は、これまでの國際法の解釋や運用などからして説得力が全くない。これは、アムネスティの原則を擴大解釋したものであつて、もし、そのやうなことが肯定されるのであれば、入口條約も中間條約(占領憲法)も當然に失效したことになつてしまひ、その點だけを見れば我が國にとつて好ましい事態となる面もあるが、國際系においては無法状態を肯定することになつてしまふからである。それは、桑港條約が領域(領土、領海など)の確定もしてゐることから、これも當然に反故になつてしまふのであれば、日清、日露などの講和條約などは勿論のこと、世界のすべての講和條約も當然に反故になることを認めなければならなくなる。當然に失效するのであれば、戰勝國によつて構築された戰後體制が否定されて講和條約締結前の状態に原状回復せねばならず、國際秩序を構築するための講和條約の機能が完全に失はれてしまふ。また、そのやうなことを戰勝國が容認するはずもなく、このやうな見解は國際關係の混亂を引き起こすに至る暴論である。

また、この「失效」の意味について、既に履行濟みの事項については原状回復を求めることができないといふのであれば、その状態は桑港條約が存續してゐることと變はりはないことになる。つまり、その履行後は、それが履行されたことの確認條項として存續することとなり、失效したことにはならないのであるから、これは單なる言葉の遊びといふ外はない。

では、我が國はどうすればよいのか。それには、國際法に基づいて對處する必要があり、まづ、考へられる方法としては、これらの講和條約群を現時點において一括して一方的に破棄通告をするといふものである。すでに講和條件は全て履行されたのであるから、將來に向かつて破棄通告しても、關係當事國に對して現状の變更を新たに求めるものではないことからして、現在の國際關係には何らの影響もない。

また、日米間において、舊安保條約は『日本國とアメリカ合衆國との間の相互協力及び安全保障條約』(昭和三十五年六月二十三日條約第六號。新安保條約)に改定されたことにより失效し、米軍駐留目的は我が國の安全と極東の平和維持のためとされ、内亂條項は削除され、期限も十年間となりその後は自動延長といふことになつたものの、この新安保條約も米軍の駐留態樣は基本的には變化がないので講和條約群の一つとして評價できる。しかし、桑港條約を破棄する際に、必ずしも新安保條約をも同時に破棄する必要もなく、その時點での政治判斷に委ねる必要がある。

そもそも、敗戰國を永久的に拘束・支配する講和條約は認められず、我が國が國連に加盟したことによつて「戰後は終はつた」として講和條約群は全て「もはや無效」であると宣言しても、新安保條約以外の講和條約群の破棄を即時に宣言してもよい。講和條約群に屬する全ての講和條約は、前述の條約法條約の適用はないとしても、當事國からの一方的な破棄は可能である。

しかし、講和條約群の各條約を個別に全部破棄することには少し問題があるかも知れない。それは、「戰爭状態」を終了させた桑港條約、日華平和條約、日ソ共同宣言、日中共同聲明のすべてを破棄すれば、「戰爭状態」の復活が懸念され、しかも、桑港條約で認められた獨立をも否定することになると誤解されるのであれば、愼重を期して、それに該當する條項や、その他影響を懸念しうる條項だけを暫定的に除外して、國際情勢等の状況判斷を踏まへて、順次徐々に戰略的に破棄(部分破棄)して行けばよい。

條約の全部破棄といふのは可能であり、それは、『日ソ中立條約(不可侵條約)』を破棄してソ連が參戰した例に倣へばよい。また、日華平和條約(昭和二十七年八月五日發效)は、田中角榮内閣による日中共同聲明による「日中復交」(昭和四十七年九月二十九日)によつて破棄されたが、その破棄のための交渉や破棄の手續は一切なく、大平正芳外相の「日華平和條約はもはや存在しません」との言明だけで全部破棄したのであり、講和條約群の破棄もまた同樣の方法で行へるのである。このとき、全部破棄したものの、戰爭状態の復活を懸念した議論はなく、戰爭状態の終結には何らの影響もなかつた。嚴密に言へば、破棄によつて直ちに戰爭状態が復活するのではなく、「戰爭状態終了效の消滅」といふ複雑な状態である。

さらに、歴史的にもう少し遡れば、第一次世界大戰後に、ドイツの軍備制限やラインラントの非武裝化(武裝解除)などを義務付けたベルサイユ講和條約やロカルノ條約などによるベルサイユ體制下にあつたドイツが昭和十年(1935+660)五月に「再軍備宣言」をなし、翌十一年(1936+660)三月にラインラントへ進駐することによつてベルサイユ講和條約を含む講和體制全體を破棄し、相手國がこれを黙認した事例もあつた。

このやうに、全部破棄ができるのであれば、それよりも相手國への影響が少ない一部破棄ができることは當然のことである。

では、その全部破棄あるいは一部破棄をしうる根據についてであるが、それは、「事情變更の原則」の法理によるものである。日ソ中立條約(不可侵條約)をソ連が一方的に破棄したのも、我が國が日華平和條約を一方的に破棄したのも、そして、ベルサイユ講和體制が破棄されたのも、いづれもこの法理に基づくものである。事情變更の原則は、講和條約群の締結以前から確立してゐた國際慣習法であるから、講和條約群が條約法條約の適用を受けない條約であつても、この原則を根據とすることに何ら問題はないのである。

勿論、これらの破棄通告をした後、政治的には、新たな國際關係を構築するために、安政の假條約の改正に向けた先人の努力を範として、その破棄後に向けた新たな國際關係の構築のための努力を惜しんではならないことになるが、破棄通告をする場合、これには直接の適用はないとしても條約法條約の趣旨に則つて以下の手法によることにならう。

まづ、就中、占領憲法(東京條約、占領憲法條約)については、その實質的當事者はアメリカである。尤も、第四章で觸れたが、占領憲法(東京條約、占領憲法條約)については、時際法的處理が一切なされてゐないので、國際系の講和條約が國内系秩序への編入がなされてゐない状態であるが、少なくとも國際系の講和條約(東京條約、占領憲法條約)としては轉換により成立してゐるのであるから、その成立と效力を否定するためには、破棄通告が必要となる。

もし、アメリカがこれを講和條約ではなく、我が國の憲法であると主張するのであれば(當然そのやうに主張してくると思はれるが)、條約法條約第六十二條(事情の根本的な變化)の趣旨に基づき、條約の終了を一方的に宣言して通告すれば足りる。それに對してアメリカが反發することは、アメリカからすれば痛し痒しである。東京條約(占領憲法條約)と見なして破棄通告をする我が國の見解を認めず、あくまでも占領憲法は我が國の憲法であつて講和條約ではないとの法的見解をアメリカが主張して批判したとしても、その破棄通告自體を争つてはゐないのであるから、我が國は占領憲法(東京條約、占領憲法條約)の破棄に成功したことになる。また、我が國の見解の前提に立つて、その破棄通告の效力を爭ふといふのであれば、占領憲法が濳りの講和條約であり、國際法に違反したアメリカの過去の行爲を自白することになり、堂々と破棄通告の正當性を主張すれば足りる。そして、破棄されたことを前提として、その後の國内手續を進めればよい。少なくとも、國際關係においても、その後の條約關係を我が國に有利に整備する外交交渉へと移行できる。そして、それ以外の連合國(國連常任理事國)についても、同樣の通告をすれば足りる。ただし、韓國、北朝鮮、中共は、戰爭當事國ではないので、通告する必要はない。

このやうに、もし、連合國の一部が、これを條約であるとし、占領憲法第九條についても未だ效力があると主張するのであれば、條約法條約第五十九條(後の條約の締結による條約の終了又は運用停止)の趣旨(後法優位の原則)に基づき、さらに、桑港條約、國連憲章(條約)によつて占領憲法第九條が廢止されたことを理由に、その他の條項についても、我が國が國連に加盟したことを以て條約法條約第六十二條(事情の根本的な變化)の趣旨に基づき、國際慣習法の事情變更の原則を根據として破棄通告(終了通告)することになる。

また、ポツダム宣言や降伏文書と占領憲法に至る過程が當時の國際法に違反するといふ事實、舊ソ連の日ソ中立條約違反の事實、アメリカによる原爆投下の犯罪事實、ソ連による皇軍將兵のシベリア違法抑留、東京裁判の不當性、アムネスティ條項の國際慣習法に違反した桑港條約第十一條の不當性その他樣々な角度から大東亞戰爭の正當性とその後における我が國に世界的貢獻の事實をも事情變更の理由として縷々説明し、外交交渉に臨むことができる。

つまり、これらの事情が條約法條約第五十六條(終了、廃棄又は脱退に関する規定を含まない条約の廃棄又はこのような条約からの脱退)第一項(a)の「当事国が廃棄又は脱退の可能性を許容する意図を有していたと認められる場合」あるいは同(b)の「条約の性質上廃棄又は脱退の権利があると考えられる場合」に該當するとして破棄又は脱退の通告理由とし、さらには、現時點においては、報復防止のために永久に敗戰國を支配從屬させる講和條約群を無效とする一般國際法の新たな強行規範が成立してゐると主張して、同第六十四條により失效終了を宣告することができる。

しかし、それでも相手國が承認しないときは、國際司法裁判所に提訴し、あるいは國連加盟諸國や國際世論に訴へて説得し、講和條約群全てを合意により將來に向かつて終了させ、あるいは我が國にとつて支障のある個別條項の削除ないしは運用停止を實現するための外交努力を行ふべきである。ただし、國際司法裁判所に拘ることは全くない。第一章でも述べたとほり、そもそも、「國家は國家を裁けない」といふのが國際慣習法の鐵則なのである。戰勝國が敗戰國を「裁く」と云つても、それはそのやうな「儀式」を「講和條件」として受け入れさせたといふだけである。國際連合における國際司法裁判所といふのも、「裁判所」ではない。國際連合は連合國家でも連邦でもなく、國際司法裁判所といふのも、本來の意味での裁判所ではない。國際司法裁判所の「裁判」に委ねるといふのは、国際連合憲章といふ一般條約に加盟する條約(國連加盟條約)によつて、國際紛爭を解決する方法として、当事國の同意があれば「仲裁人」が「仲裁判斷」により解決することができるといふ「仲裁合意」に基づく制度なのである(『仲裁法』參照)。條約といふのは、國家間の合意であり、その法律的性質は「契約」であり、仲裁合意もまた契約である。つまり、國際司法裁判所といふのは「仲裁人の合議體組織」に過ぎないからである。すべては國際政治の中で解決すべき事項なのである。

つまり、國際世論を主導的に喚起し、世界平和に貢獻することこそ、これからの我が國の外交の基本姿勢でなければならない。破棄通告を行ふこと自體が目的といふよりも、我が國がこれにより將來に向けての搖るぎない外交姿勢を示すことこそが肝要なのである。

そして、國連憲章には、連合國のみに限定した非民主的な常任理事國制度と拒否權制度、さらに敵國條項(第五十三條、第百七條など)があるが、我が國の外交基本方針としては、國際法上においても民主主義が普遍の原理であるのなら、國連の常任理事國制といふ寡頭政治は當然に否定されなければならないものとして、これらを全て廢止させ、國連總會を最高決議機關とする國連の拔本的な民主化を圖ることを目的とすべきであつて、我が國が常任理事國入りを目指すことなどは外道の企みに他ならない。國連憲章から敵國條項を廢止するなどの國連改革すら實現できない國連であれば、我が國としては、占領憲法(東京條約、占領憲法條約)の破棄とともに、國連加入條約の破棄(國連脱退)をも覺悟した上で、國家としての矜恃を保たなければならないのである。

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