國體護持總論
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その他の無效確認措置

占領典憲以外にも無效確認決議をする必要があるものとしては、昭和二十三年六月十九日に衆參兩議院でなされた教育敕語、軍人敕諭、戊申詔書の排除・失效を決議した「教育敕語などの排除・失效決議」(以下「昭和二十三年決議」といふ。)がある(資料三十四、三十五)。

この昭和二十三年決議は、本質的に無效なのである。なぜならば、教育敕語などは廣義の詔敕であるから、これを廢止することができるのは、詔敕によつてなされることが資格要件である。これは、追認とか取消の場合と同樣、敕語といふ形式のものを失效させるには、同じ敕語といふ形式によらなければ、失效させる「適格」がないといふことである。

ところで、昭和二十三年決議自體の效力の如何を問はず、明確に排除・失效の對象となつたのは、教育敕語などの極少數のものである。勿論、記紀に顯された全ての御神敕、御詔敕と、その後に連綿と渙發されてきた詔は排除の對象となつてゐない。つまり、これら大部分の詔が今もなほ效力を有してゐることになる。ただし、占領憲法の前文には「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔敕を排除する。」とあり、占領憲法第九十八條第一項には、「この憲法は、國の最高法規であつて、その條規に反する法律、命令、詔敕及び國務に關するその他の行爲の全部又は一部は、その效力を有しない。」と規定してゐるので、個別に詔敕等を特定して排除・失效の決議をしなくても、一律に排除されると解釋することも可能であつたが、當時の國會は、この規定を政治的宣言と理解して、當然には無效とはならず、個別に排除・失效の決議をすることによつて初めて無效化しうるとの解釋に立つた。前章でも述べたが、實際にも、法律、命令については、『日本國憲法施行の際現に效力を有する命令の規定の效力等に關する法律』(昭和二十二年四月十八日法律第七十二號)及び『日本國憲法施行の際現に效力を有する敕令の規定の效力等に關する政令』(昭和二十二年五月三日政令第十四號)を制定して時際法的に處理したことから、詔敕についても、個別の形成的な排除決議(創設的決議)をして初めて排除・失效できるとして、昭和二十三年決議を行つたのであるから、この決議で對象とされてゐない大部分の詔敕は排除・失效の對象とはなつてゐないといふことである。

それにしても、先帝陛下の御叡慮は凡人の計り知れない深奥さがある。巷間、人間宣言と揶揄された昭和二十一年元旦の詔書(これは人間宣言ではない)は、GHQの強い壓力によるものであるが、先帝陛下は、これ自體には直接に抗せられず、その冒頭に明治天皇の『五箇條ノ御誓文』を引用明記することに強く拘られた。昭和五十二年八月二十三日、昭和天皇の那須の御用邸における記者會見において、そのやうに仰せられたのである。この理由について、樣々な推測がなされてゐるが、畏れながら御叡意をご忖度いたせば、これがGHQの指令による詔書であることから、GHQはこれ自體を後に排除されることはないとご判斷され、神武肇國に比肩される維新回天の創業における『五箇條ノ御誓文』をこの詔書の冒頭に引用することを以て『五箇條ノ御誓文』が排除されることを回避し、その後に引き繼がれる帝國憲法の正統性と我が國の矜恃を示されたものであらう。それが、この年の歌會始に「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」との御製の御宸意であると確信する。その結果、『五箇條ノ御誓文』は、これまでどの國家機關からも一切排除されてをらず、占領期から現在、そして將來に向けて、搖るぎのない光芒を放ち續けてゐる。このことは有效論といへども認めざるを得ない。而して、『五箇條ノ御誓文』の「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」によつて、國體は護持され續けてゐるのである。

閑話休題。明治典範は、明治典範に定めた改正規定を利用してGHQが廢止させたのであつて、國會が排除・失效決議をしたものではない。昭和二十三年決議の対象ではなかつた。この排除・失效決議をなすに至つた法的根據としては、前に引用したとほり、占領憲法の前文にある「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔敕を排除する。」との部分と、同第九十八條第一項の「この憲法は、國の最高法規であつて、その條規に反する法律、命令、詔敕及び國務に關するその他の行爲の全部又は一部は、その效力を有しない。」との規定によつたとされるが、さうであれば、この規定を根據として、占領典範を制定すると同時に、明治典範の失效・排除決議をすることができたはずである。ところが、それはせずに、教育敕語などについてのみこれを行つたことに一貫性がない。

このやうに、昭和二十三年決議は、典範を含めた詔敕等の全部を対象とすることなく、しかも、規範形式を違へて資格要件も滿たさないものであるから、もとより原初的に當然に無效である。法的にはこれらの無效宣言(無效確認決議)は不要なのであるが、昭和二十三年決議が政治的決議である側面を考慮すると、衆參兩院が行つたこの異式の決議について、改めて政治的な無效確認決議をすることに意義はある。つまり、衆參兩院は、それぞれの昭和二十三年決議自體が無效であつたことの決議(昭和二十三年決議の無效確認決議)をすることになるのである。

そして、この無效確認決議をして教育敕語などの復元(嚴密に言へば、教育敕語などの現存確認決議)を行ふことの外に、條文だけを通讀すると我が國の法律か否かが判明しえないやうな『教育基本法』といふGHQの強制で制定された法律や、性差を無視して家庭崩壞を實現するための『男女共同参画社会基本法』など、戰後體制を固定化する法令の全ては當然に排除されることになる。男女は、人格において「差別」されることはないが、「區別」はある。性差に伴ふ體質と機能などに相違があることはこれまで知られてゐたが、現在では、「腦」にも性差があることが學問的にも證明されてゐる。それゆゑ、男女の思考と行動の態樣などに本質的な相違があり、男女の本能にも微妙な相違があることから、男女を單純に平等とすることは、むしろ公平ではなく、互ひの不幸である。また、このやうな法律は、男性の女性化、女性の男性化による性差の解消を目的とすることで、性の喪失、少子化の基礎にある劣子化、人類の老化と退化を促進させ滅亡に至ることになるから、これを絶對に防止しなければならない。

これ以外にも、平成七年六月九日、衆議院で行つた『歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議』(謝罪決議)の「撤回決議」も必要であり、これと同樣の趣旨にて、前掲の昭和六十一年の後藤田正晴官房長官談話、平成五年八月四日の河野洋平官房長官談話(慰安婦關係調査結果發表に關する内閣官房長官談話)、さらに、同月十日の細川護熙首相談話、平成七年八月十五日の村山富市首相談話とこれらを踏襲するその後の歴代内閣の聲明や談話などや、我が國の謝罪外交を方向付けた政府首腦の談話などの一切について、それぞれの後任者が撤回表明などをなすべきである。

そして、三權の長である内閣總理大臣、衆參兩議院の議長、最高裁判所長官などが占領典憲の無效確認聲明を行ひ、さらには、これまで占領憲法によつて違憲とされてきた自衞隊が、帝國憲法を根據とする自己の合法性、正統性を主張して、占領憲法の無效を表明し、自衞隊は皇軍であるとの「皇軍宣言」を行ひ、これらに連動して地方議會や民間團體などが個々に無效宣言を行ひ、そのことを官報や廣報などに掲載して配布し、さらに「日本國の全新聞にその詳細説明を全頁廣告」(谷口雅春)させたり、テレビその他のメディア媒體で啓蒙するなどの方法で國の内外に周知させ、國家と臣民の總力をあげて神州正氣の回復措置をなすことになる。

ところで、無效確認宣言に關して、どうしても避けて通れない課題としては、天皇による占領典憲の「無效宣言」といふ詔が必要か否かといふ點である。これが必要であるとして肯定する舊無效論者の見解(井上孚麿)もあるが、私見は以下の理由により不必要と考へる。なぜならば、聖上におかれては「綸言汗の如し」であつて、ひとたび公布されたものについては、それを取消すことが必要不可缺な場合でなければ、できる限り尊重されるべきである。占領憲法の公布行爲(敕令)は帝國憲法第七十六條第一項により、講和條約(東京條約、占領憲法條約)の公布行爲(敕令)として當然に轉換されてゐるので、占領憲法を「帝國憲法の改正法」として公布した行爲を取消して改めて講和條約(東京條約、占領憲法條約)として公布する必要はないからである。また、占領典範については、これを廢止する法律が制定されたときは、その公布をなされるだけで充分である。昭和二十三年決議などの法的に無效な決議について、敢へて無效宣言を行ふことの意味は、それが政治的表明となるので、天皇がこれをなされることによつて聖なる地位を損ねることになりうる。よつて、天皇による無效宣言は政治的無答責の原則(帝國憲法第三條)からして、なされるべきではないと考へるのである。

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