國體護持總論
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著書紹介

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自衞隊について

自衞官諸君に問ふ。諸君には一旦緩急あれば義勇公に報ずる「氣概」があるか。

自衞隊法の第三條には、「自衞隊は、わが國の平和と獨立を守り、國の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に對しわが國を防衞することを主たる任務とし、必要に應じ、公共の秩序の維持に當るものとする。」とあり、また、第五十二條には、「隊員は、わが國の平和と獨立を守る自衞隊の使命を自覺し、一致團結、嚴正な規律を保持し、常に德繰を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、強い責任感をもつて專心その職務の遂行にあたり、事に臨んでは危險を顧みず、身をもつて責務の完遂に努め、もつて國民の負託にこたえることを期するものとする。」とあるので、自衞官には祖國防衞の「職責」を「法律上」は求められてゐるものの、「気概」まで持つことは法律上は求められてゐない。

この気概を持つ者が「軍人」であり、そうでない者が兵器操作の「技術者」である。このことをいち早く指摘したのが三島由紀夫であつた。自衞官は「軍人」なのか、それとも「兵器技術者(オペレータ)」なのか、といふジレンマである。

高度情報社會の現代において、祖國防衞に必要なものは、軍事固有の人的組織と物的裝備はもとより、軍事情報を含む廣範な情報を收集するための組織と裝備の充實が不可缺なことは今更云ふまでもないが、それが全く不完全な自衞隊の現状は、あたかも「目隱しをした有能な射撃手」にも等しい。そのことを意識すればするほど憂鬱にならざるを得ないが、まづは、自衞官に祖國防衞の氣概すらないのであれば、自衞隊は敵を目前に怯懦し臣民を楯に逃げ回る自己防御の武裝集團となる可能性があるからである。

ところで、これまで有事關連法の國會審議が小田原評定の如く延々と續けられてきた過去と現在を直視すると、假に、これからも全て可決成立したとしても、軍事に無知な官僚が作成した法制の下では、自衞隊は國家・臣民を守りきれないことを專門家である自衞官は知悉してゐるはずである。

そもそも國家緊急時に際しては、期間と權限事項などを限定した「委任的獨裁」を許容しなければ、國家は存立し續けることができない。それは、君主制國家であらうが、共和制國家であらうが共通した課題である。これが「統帥權の獨立」の眞の意味であつた。いはゆる六十年安保のとき、反對運動側で「民主か獨裁か」といふ馬鹿げたスローガンが用ひられたが、民主と獨裁とは兩立する。否、民主から獨裁は生まれるのである。古代ローマのカエサル(シーザー)、フランス革命後のナポレオン、ドイツ・ワイマール憲法下のヒトラーなどは、いづれも民主制(共和制)の中から合法的に生まれた「獨裁者」であることを忘れてはならない。戰時や内亂や未曾有の大災害時などの非常時に備へて、平時とは別個の法體系(帝國憲法下の例では戒嚴大權、緊急敕令大權、非常大權などの規定)を構築せず、平時の法體系だけで非常時に對處できるとする愚かな認識では國家は衰亡する。そもそも、平時と非常時とでは、價値體系、價値の優先順位を異にする。平時では言論により「話せば解る」と信じて説得できたものが、非常時には「問答無用」として命を奪はれる結果にもなる。戰爭や内亂や大災害は、「民主的」に起こるものではなく、表現の自由や集會・結社の自由などは、平時において最大の尊重を必要とするのは當然のことであるが、命が奪はれるか否かのときに、これらの自由の主張は虚しく無力であり、内亂勢力の表現の自由や集會・結社の自由などの保障は、臣民の生命、財産の喪失と直結するものであつて、價値體系が平時の場合と非常時の場合とでは異なるのである。

法體系といふものは、法的保護に値する價値の體系と優先順位に基づいて構築されるものであつて、平時における價値體系と非常時(有事)における價値體系がそれぞれ異なるのであれば、自づとそれぞれの法體系をも異にするのは當然のことである。また、非常時においては、民主制の原理で愼重な審議を經て決議するといふ手法では機を逸する事態となり得るのであつて、決議とその實施には迅速性と機動性が要求される。

ここに、民主制、立憲制の根本體制を維持・擁護するためのものとして、その權限の範圍及び事項竝びに期間等を限定した「委任的獨裁」が、その必要性の所産として登場するのである。

それゆゑ、自衞隊法が非常時の場合である防衞出動時の公共の秩序の維持のための權限(第九十二條)や治安出動時の權限(第八十九條)においても、平時にのみ通用すべき警察官職務執行法の適用を求めるのは、「羮に懲りて膾を吹く」が如き愚かさがある。

いづれにせよ、自衞隊法は非常時に實效的に機能し得ない法律であり、しかも臣民を守るための法律ではなく、專ら自衞官を守るための法律であると云つても過言でない。自衞官に課せられてゐる義務は、自衞官としての内部組織的な服務義務であつて、國防の義務ではない。假に、これを國防の義務と捉へたとしても、それは法律上の義務に過ぎず、占領憲法上の義務ではない。もちろん、臣民にも國防の義務が占領憲法上は課せられてゐない。そのくせ、たとへ國が滅び行くとも占領憲法だけは守れ(第九十九條)と定める自家撞着の規範が占領憲法なのである。もし、自衞官が防衞出動に際して利敵行爲を行ひ、その他服務義務に違反して、臣民を見殺しにし逃げまどひながら生き長らへたとしても、七年以下の懲役又は禁錮となるだけである(第百二十二條)。臣民の命は保障されないが、自衞官の命は保障される。臣民を守るためにするやうに見せかけて、その實は臣民を棄民して自衞官を守るためのものであるといふのは、まさに「お爲ごかし」を繪に描いたやうなものではないか。それが自衞隊法の本質である(ただし、その保障は、あくまでも自衞官の敵前逃亡にもかかはらず、我が國が存續し續けるといふ極めて稀な場合の限定的保障ではあるが・・・)。

冷戰時代、ソ連を假想敵國として想定した北海道有事の研究において、北海道にソ連が侵攻した際、部隊をどのやうに北海道その他の防衞上の要所に集結させるかについて檢討されたものの、防衞出動(第七十六條)及び防衞出動待機命令(第七十七條)が下命される前においては、「訓練」出動といふ姑息な方法で部隊を移動させて、北海道その他の防衞上の要所に集結させることしか方法がないとの結論に達したのではなかつたか。そして、もし、その移動中に敵國と意を通じた武裝難民、國内ゲリラ、あるいはその混亂に乘じて國家轉覆を狙ふ武裝組織などが部隊を襲つた場合、それに對する反撃は、防衞出動でも治安出動(第七十八條)でもなく、假に、速やかに内閣總理大臣からその下命があつたとしても、前述のとほり、それは治安出動時の權限(第八十九條)又は防衞出動時の公共の秩序の維持のための權限(第九十二條)の範圍内、つまり、警察官職務執行法の規定に拘束され、正當防衞でなければ武器を使用することができない。武器の使用は、對外的(直接侵略)には「必要性」の基準、國内的(間接侵略)には「補充性」の基準といふ二重基準が採られるため、防衞出動の對象となる「外部からの武力攻撃」(第七十六條)に該當しない武裝集團の間接攻撃に對しては全く無力である。

その上、占領憲法では自衞隊が「軍隊」ではありえないし、第九條第二項後段で「交戰權」が否定されてゐるので、戰時國際法規による保護は與へられない。戰時國際法規には、ヘーグ條約(明治四十年)などの敵對行爲(戰闘行爲)を規律したものと、ジュネーブ條約(昭和二十四年)などの捕虜の處遇等を規律したものに大別されるが、いづれの條約による保護も與へられないのである。といふよりも、交戰權を放棄することによつて、その保護を自ら放棄したのであるから、自衞隊には臨檢、拿捕などの權限もなく、ましてや自衞官には捕虜として處遇されることを求める權利もない。捕虜の資格すらないので、問答無用で殺戮されてもそれが直ちに國際的に違法であるといふことにはならない。

ところが、占領憲法第九十八條第二項により、戰時國際法規による義務だけは遵守しなければならない。つまり、權利はないが義務だけは負ふのである。

從つて、自衞官は捕虜として處遇されないが、敵國の正規軍將兵については捕虜として處遇しなければならない。また、ゲリラや武裝集團に對しては、警察の權限しかなく、ゲリラや武裝集團は我が國の刑法、刑事訴訟法などの法制度の下で篤く保護される。優柔武斷な我が政府であれば、自衞隊は「合憲」であると甘やかせてくれるだらうが、戰勝國はそんな馬鹿げた判斷はしない。戰勝國は、占領憲法第九條を「素直に」解釋して、自衞官の存在は紛れもなく憲法違反であると認定し、その確信犯的な憲法違反行爲を嚴しく斷罪するだらう。

我が國は犯罪國家であり、我が國が軍隊を持たず、我が國から戰爭を仕掛けさへなければ世界は恆久に平和であるとの認識こそが、GHQによる全面的な軍事占領下の「非獨立」の我が國で制定された占領憲法といふ「謝罪憲法」の掲げる「崇高」な精神といふことになる。その第九條第二項の戰力不保持と交戰權否認の規定は、我が軍の完全武裝解除と無條件降伏を求めたポツダム宣言をそのまま反映して規定されたのであつて、ここから集團的自衞權はおろか、個別的自衞權すら認められないことは自明のことではないか。假に、自衞權が認められたとしても、交戰權がないのであるから、自衞戰爭すらできないのである。それが占領憲法の忠實な解釋なのである。それゆゑ、ゲリラや武裝集團による間接侵略に對して、警察官職務執行法の權限の範圍でしか對處できないこと自體、現實には個別的自衞權すら否定されてゐる證左なのである。

こんなハンディキャップを背負つたままで、果たして外國の侵略とそれに呼應した國内ゲリラや武裝集團との戰闘に立ち向かひ、凱歌を奏して國防を達成することができるのか。

自衞官は、これでは勝ち目がないことを知つてゐる。そのために、自衞官は、臣民を見捨てて敵前逃亡し、自己防御(部隊防御)に走つてしまふ極限的状況に陷る可能性が極めて高くなることを豫測してゐるはずである。

しかし、このやうな極めて不利な自繩自縛の状況であつても、薄れる氣概を奮ひ起こして果敢に反撃せねばならないと決意する自衞官も出てくるだらう。だが、獨自の判斷で敵對行爲(戰闘行爲)を自衞官の一部の者が行つたとすれば、それは、部隊を勝手に指揮したとして刑罰(第百二十二條)に服するのである。超法規的行動として認められるのは、やはり警察官職務執行法や刑法の正當防衞又は緊急避難として認められる範圍に限られ、敵兵やゲリラや武裝集團に對して戰闘上の行き過ぎがあればこれもまた當然に處罰される。原則として、ゲリラや武裝集團に對しては先制攻撃はできず、攻撃後に應射するのが限界である。進むは地獄、退くは極樂。

自衞官はそれでもなほ氣概を持つて戰つてみせると誓ふことができるのか。

このやうな絶望的な環境においてもなほ、自衞官にその氣概があることを信じようとしたが、そのことに決定的な疑問を抱かせたのは、平成七年の阪神淡路大震災のときであつた。

敵が全くゐない状況で、しかも、多くの被災地住民が死の淵からの救濟を求めてゐる状況を自衞官は誰よりも早く察知してゐたにもかかはらず、ひたすら兵庫縣知事らの災害派遣要請を待つだけで、第八十三條第二項但書(天災地變その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる。)及び第八十三條第三項(廳舍、營舍その他の防衞廳の施設又はこれらの近傍に火災その他の災害が發生した場合においては、部隊等の長は、部隊等を派遣することができる。)との規定に基づき、派遣要請がなくも獨自の判斷で部隊を迅速に派遣をすることができたはずであるが、これを怠つて多くの住民を見殺しにしたではないか。

派遣要請を待たずして直ちに出動してゐれば、何人の被災地住民を救濟できたかといふ單なる量的なことを議論してゐるのではない。まさに氣概の缺如を問題にしてゐる。氣概は行動に現れる。怖じ氣付いた保身の者に言ひ譯は無用である。否、有害である。

阪神淡路大地震は、「その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるとき」であつたはずである。假に、後日、さうでないと政府や國會から判斷されて非難されたとしても、誰か胸を張つてその責を受け止める者はゐなかつたのか。臣民は必ずその自衞官の氣概ある行動を熱烈に支持したはずである。

だが、自衞官は誰も自發的に行動しなかつた。

何故か。それは、自衞隊が差し出がましいことを勝手にすれば、庇護者である政府や政黨などの機嫌を損ねて、自衞隊を擁護してもらへず、防衞廳から防衞省へと昇格ができないことになつては一大事であると打算的なことを考へてゐたのではなかつたか。自己の立身出世と保身、組織防衞のために、未曾有の災害を前に沈黙した。自衞官にとつては、臣民を救ふことよりも政府などの顏色を氣にすることの方が最も重大な關心事だつたのである。

しかし、占領憲法を有效とすれば、自衞隊はそもそも「違憲」の存在ではないのか。政府や政黨の一部が「合憲」と言つてくれるので、その氣になつてゐる「裸の王樣」に過ぎない。「違憲」の存在である自衞隊が、些末な部分の「合法性」の解釋を氣にして何になる。違憲の存在であるにもかかはらず、嚴格な意味で合法的に振る舞はうとする。律儀ではあるが滑稽ではないか。昔、社會黨が「違憲合法論」を唱へたが、それを眞に受けてゐるのか。その姿は、國連憲章では敵國條項の對象とされてゐる我が國が、その條項の削除を求めることなく、國連における常任理事國の地位を目指して懇願してゐる姿と似てゐるではないか。

三島由紀夫らは、吉田松陰が太陰太陽暦で安政六年十月二十七日に處刑された祥月命日の昭和四十五年十月二十七日(太陽暦の十一月二十五日)に、次の檄文(拔粹)を殘し、自衞隊に對して割腹して諫死した。松陰處刑から百十一年目のことであつた。


「・・・法理論的には自衞隊は違憲であることは明白であり、國の根本問題である防衞が、御都合主義の法的解釋によってごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廢の根本原因をなして來ているのを見た。もっとも名譽を重んずべき軍が、もっとも惡質の欺瞞の下に放置されて來たのである。自衞隊は敗戰後の國家の不名譽な十字架を負ひつづけてきた。自衞隊は國軍たりえず、建軍の本義を與へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか與へられず、その忠誠の對象も明確にされなかった。・・・憲法改正によって、自衞隊が建軍の本義に立ち、眞の國軍となる日のために、國民として微力の限りを盡くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。・・・憲法改正がもはや議會制度化ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衞となって命を捨て、國軍の礎石たらんとした。國體を守るのは軍隊であり、政體を守るのは警察である。政體を警察力を以て守りきれない段階に來てはじめて軍隊の出動によって國體が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは『天皇を中心とする日本の歴史・文化・傳統を守る』ことにしか存在しないのである。・・・しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起こったか。總理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、壓倒的な警察力の下に不發に終わった。その状況を新宿で見て、私は『これで憲法は變わらない』と痛恨した。その日に何が起こったか、政府は極左勢力の限界を見極め、戒嚴令にも等しい警察の規制に對する一般民衆の反應を見極め、敢えて『憲法改正』といふ火中の栗を拾はずとも、事態を收拾しうる自信を得たのである。治安出動は不要になった。政府は政體護持のためには、何ら憲法と牴觸しない警察力だけで乘り切る自信を得、國の根本問題に對して頬っかぶりをつづける自信を得た。これで左派勢力には憲法護持のアメ玉をしゃぶらせつづけ、名を捨てて實をとる方策を固め、自ら護憲を標榜することの利點を得たのである。名を捨てて實をとる!政治家にとってはそれでよからう。しかし自衞隊にとっては致命傷であることに政治家は氣づかない筈はない。そこで、ふたたび前にもまさる僞善と隱蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。銘記せよ!實はこの昭和四十五年(注、四十四年の誤記)十月二十一日といふ日は、自衞隊にとっては悲劇の日だった。創立以來二十年に亘って憲法改正を待ちこがれてきた自衞隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議會主義政黨を主張する自民黨と共産黨が非議會主義的方法の可能性を晴れ晴れと拂拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生兒であった自衞隊は『護憲の軍隊』として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。われわれはこの日以後の自衞隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたやうに、もし自衞隊に武士の魂が殘っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。・・・しかし自衞隊のどこからも『自らを否定する憲法を守れ』といふ屈辱的な命令に對する男子の聲はきこえてはこなかった。・・・われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を與へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に與へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは來ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に關する財政上のコントロールである。日本のやうに人事權まで奪はれて去勢され、變節常なき政治家に操られ、黨利黨略に利用されることではない。この上、政治家のうれしがらせに乘り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衞隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこへ行かうとするのか。・・・あと二年の内に自主權を回復せねば、左派のいふ如く、自衞隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけにはいかぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の眞姿に、戻してそこで死ぬのだ、生命尊重のみで魂は死んでもよいのか、生命以上の價値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の價値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と傳統の國、日本だ。これを骨拔きにしてしまった憲法に體をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、眞の武士として蘇ることを熱望するあまり、この擧に出たのである。」と。


今、三島由紀夫らの憲法理論や方法論を論ふつもりは全くない。ただ、この憂國の至情とその行動の精神こそ眞摯に受け止めなければならない。

占領憲法を有效とする限り、自衞隊は、その法論理において永久に認知されることはない。自己の存在根據を否定する占領憲法をなにゆゑに擁護するのか。もし、建軍の動機と經過が不純なものであるとき、陽明學による説明によらずとも、必ずやその邪惡な心と矛盾に押し潰されて自ら崩壞する。

自衞隊の建軍の本旨と精神は、我が國の再軍備の正當性を根據付ける帝國憲法にこそ求められるべきであり、眞正護憲論(新無效論)こそが、我が國體から導かれる合法性と正統性を共に滿たす唯一の理論であることを銘記せよ。

自衞官としては、時々の総理や權力者のためには死にたくはないはずである。また、己を虚しくする占領憲法とその國家組織のためには死ねないはずである。だからと云つて、臣民を守れない自衞隊法の不備を口實に保身に徹するのか。あるいは、退官するまでの間は非常事態は起こらないし政府も自衞隊を合憲であると言ひ續けてくれると高をくくつてゐるのか。

そんな志を失つた牽強付會の防人が一體どこへ行くといふのか。

心ある自衞官諸君よ、目覺めよ。

自衞官は、誰のために血を流さうとするのか。誰のために死ねるか。親のためか。妻子のためか。家族のためか。一族同族のためか。故郷のためか。祖國のためか。さうである。全てのために死ねる。それは天皇のためにこそ死ねることを意味する。

「憲法に體をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死なう」といふ三島由紀夫の血の叫びを志ある自衞官が受け止めほしい。そして、自衞官は、我々と共に眞正護憲論(新無效論)で理論武裝し、「自らを否定するものを否定せよ。」

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