國體護持總論
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燒き魚方式

次に、「燒き魚方式」から構築される效用均衡理論といふのは、次のとほりである。これは、西郷隆盛の「德と官と相配し功と賞と相對す」(文獻77)と吉田松陰の「其の分かれる所は、僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなす積もり」(文獻9)といふ二つの至言の意味するところと共通したものがある。

まづ、「德」のある者(人德、忠義の厚い者)を「官」(官僚、政府要人)に任じ、「功」のある者(功績、功業を成した者)に對しては、「賞」(一時的な褒賞)を與へるだけでよく、官職を與へてはならないといふことである。これこそが效用均衡を實現し腐敗を防止するのである。

ところが、現代は、この逆の「功と官と相配し德と賞と相對す」であり、事業で成功した者やタレントなどを政府委員や議員などに登用し、德のある者を單に一時的な褒賞を與へるだけの構造になつてゐる。これこそが不公平を生み政治腐敗の進む元凶である。

「德」とは、「滅私奉公」である。人が嫌がつてやらないことを引き受けてでも守るべきものがあることを分別することである。私益からすれば「損」であり「不利」であることを引き受けて公益を守ることに生き甲斐を感じる心である。

それゆゑ、「官」に任ずる者は薄給でよい。薄給で生活する清貧によつてさらに德が高まる。從つて、官僚中の局長以上の者(番頭)は、それまで累進してきた俸給の半額とし、局長以上の者の德を高める制度的保障がなければならない。もし、それを拒むのであれば、これまで通りの役職(手代)を續ければよい。

アメリカでは、局長以上については、スポイルズ・システム(spoils system)を採用し、政權交代毎に各省廳の局長級は大統領が任命してゐる。これはまさに「獵官制」であり、大統領に媚びを賣ることに長けてゐる失職中の者が突然に局長に採用されることを可能にする制度であるから、まさに獵官、買官の制度である。これは「功と官と相配し」といふことであるからその弊害は顯著である。これに對し、我が國は、キャリア・システム(career system)を採用し、終身職制であるから、政權交代によつて局長級が更迭されることはない。しかし、官僚がその仕事をキャリア(生涯の仕事)と自覺したとしても、それだけでは高い「德」が生まれない。その昔、商家では店主(主人)が番頭に据ゑる者を選ぶについては、主人が多くの手代に長きにわたつて修行させ教育を施し、それぞれの手代の器量を判斷し、その中で人德が高く統率力があり才覺に秀でた手代を番頭株に選んで、さらに修養を積ませて番頭とし、このやうな方法で商家の身代を守つてきた。その德の高さは、ときには主人を上回ることもある。

しかし、キャリア・システムの官僚制にはこれに代はるものがない。局長以上の者の選任を任意に内閣に委ねるとすれば、それはアメリカの獵官制と同じとなつてしまふ。そこで、「德と官と相配し」を實現するだけの何らかの公平、公正な制度が必要となる。それが、「燒き魚方式」による適用例の一つとされる「俸給半減制度」である。これを具體的な制度として完成させるについて、さらに詳細な檢討を必要とするが、ここではその考へ方の骨子を示すこととする。

キャリア・システムであれば、一般には、局長級まで勤めた者には、年齡とともに生活は安定し蓄へもできるはずであるから、俸給が半額になつても大きな影響はない。もし、半額になることで影響があるとすれば、局長に就任することを辭退すればよい。そして、局長以上となる複數の資格者の中から局長以上の役職を志願する者を募り、その中から内閣が審査選定して任命するといふ「志願選定制度」を導入する。かうすれば、獵官制の弊害がなく、また、專門性の維持と機密の保持ができて、しかも、内閣の官僚に對する統制が蘇ることになる。

そもそも、官僚制については、その功罪が相半ばすることがこれまで論じられてきたし、特にその弊害について強調されてきた。そして、その弊害の最たるものは、官僚による政治支配であつた。これは、キャリア・システムにより、官僚は長期に亘つて不變であるが、議院内閣制を支へる政治家は選擧によつて淘汰されて短期に變移するものであることと、内閣には局長以上の人事權が實質的に存在しない(行使し得ない)ことにある。さうして、議院内閣制による行政ではなく、官僚制による行政となつた。行政情報を獨占した專門知識集團である官僚は、その情報と專門知識のない素人の内閣(政治家)を支配する。内閣は官僚の意のままに動く。これを打破するために、スポイルズ・システムも考へられたが、これまで行政經驗のない失職中の素人が局長に就任する自體がまさに買官であり、これでは省廳の事務を掌握できず行政が停滯するなど、その制度のさらなる弊害も懸念されて今日に至つてゐる。

つまり、官僚制と代議制の關係において、立法國家から行政國家へといふ現代政治の傾向は、國會から内閣へ支配權限が移行したといふことではなく、キャリア・システム下の議院内閣制支配は、官僚制支配を必然的に發生させたといふことである。

しかし、效用均衡理論によるこのやうな制度を導入すれば、その弊害は除去できる。そして、そのことを自覺して局長に就任した者(番頭)には、人事權、決裁權その他の權限が付與されることによる「效用の增加」と、俸給の減額による「效用の減少」によつて均衡が生まれ、局長の側近者(手代)には、局長の權限と指示に從ふこといこれまで通りの「低い效用」と局長よりも高い俸給を得てゐるといふ「高い效用」とが均衡する。人には、物欲、權勢欲、名譽欲などがあるが、年功を積むことによつて、これらのすべてを手に入れることができるのが現代である。これが腐敗を生む構造である。物欲を滿たすか、あるいは權勢欲又は名譽欲を滿たすか、といふ二者擇一にすれば、效用の均衡が實現するのである。いはば、「欲望と欲望の均衡」、「欲望と恐怖の均衡」である。そして、このやうにして局長以上になつた者には、「お頭の部分」を配膳された番頭といふ重責を擔ふことの自覺が生まれ、それが高い「德」への昇華を促すに至るのである。

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