國體護持總論
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著書紹介

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萬葉一統

地球は、人類だけではなく、生きとし生けるもの總ての生命の總體であり、複合的な生命の星である。地球上の總ての生命は、運命共同體の地球といふ大きな一乘の「オノコロシマ」といふ「宇宙船」に乘つてゐる。今まで、餘りにも人類中心の觀點から「人權」が過度に強調され、人類の「生存權」のみが意識されてきた。さらに、祭祀を疎かにして宗教を受け入れたことから、「人類」を一つとみることなく、人種・民族・宗教などの區別と差別がなされて、さらに、同じ民族間でも、その差別は歴史的・社會的に細分化されていつた。

これらは、人間以外の動植物は、人間の生存を維持するための「いけにへ」としてのみ存在するのだとする「人間中心主義」に由來する。これは人類の生存しか價値がないとする生命體間の差別思想であり、これが人間相互間の差別思想の原型となつてゐる。この思想を契機として總ての差別化が促進されてきたことは歴史的事實である。これからは、人と地球を含めて、生きとし生けるもの總ての共生を實現しなければならない。

人は、その置かれてゐる社會現象と環境の影響下で學習し教育を受けてゐるのであるから、社會現象が歪めば學習と教育が歪み、人も歪む。社會現象は、社會實體の反映であり、社會現象の歪みは、社會實體の歪みであるから、これを是正するには、先づ、學習と教育の是正に取り組まなければならない。現代教育の大きな歪みは、現代社會の實體の歪みを直接に反映してゐるのである。

現代の教育制度は、學歴取得競爭と就職競爭に奉仕するものであつて、これらの競爭の自由を保障するものとして教育の機會均等を標榜してゐるに過ぎない。これらの競爭の結果、勝者と敗者とに選別され、勝者は強者へ、敗者は弱者へと分化して、それが社會差別の形成要因となる。しかし、教育には競爭原理が不可缺であつて、これがなければ教育は成り立たない。ところが、その競爭目的の設定を誤ると現代のやうに社會が荒廢する。現代教育の目的は、強者となつて榮華を謳歌する「強者教育」であつて、強者となつて弱者を救濟する「聖者教育」ではない。親が子供達に吹き込むのは、一流大學を出て一流會社や官廳に就職して他人よりも經濟的に豐かな生活をすることが人生の目的であり、街で貧者を見かけたりすると、「勉強しないとあの人達のやうになるから、しつかり勉強しなさい。」と差別意識と強迫觀念を植ゑつける。「勉強して立派になつて、あの人達を助けることができるやうに、しつかり勉強しなさい。」とは教へないのである。教育の世界にも效用均衡理論を導入し、能力と人格・見識とが共に備はらなければ、あらゆる場面での指導的地位を與へられないとの教育理念を確立すべきである。いまこそ、「德と官と相配し功と賞と相對す」(西郷南洲遺訓)といふ言葉に眞摯に耳を傾けなければならない秋(とき)であり、教育の歪みが政治、經濟、宗教など社會全般を歪め、世界を危機に陷れる原因であることを自覺せねばならない。

本項を以て締めくくるにおいて、本章の名を「萬葉一統」としたのは、二十一回猛士松陰吉田寅次郎矩方の『士規七則』の「凡生皇國宜知吾所以尊於宇内蓋皇朝萬葉一統邦國士夫世襲録位人君養民以續祖業臣民忠君以繼父志君臣一體忠孝一致唯吾國爲然」(凡そ皇國に生れては、宜しく吾が宇内に尊き所以を知るべし。蓋し皇朝は萬葉一統にして、邦國の士夫は録位を世襲し、人君は民を養ひ以て祖業を續ぎ、臣民は君に忠して以て父志を繼ぐ。君臣一體、忠孝一致、唯吾が國のみ然りと爲す。)に由來する。これこそが、座右として久懷を抱いて本書を貫くものである。

教育に「教」あつて「育」なく、宗教に「宗」あつて「教」なく、政治に「政」あつて「治」なき現代社會を打破して、人類が自己の教育・宗教・政治の原點を見つめ直して統合し、人類間の公平のみならず自然との共生を實現しなければ、地球は人類の利己によつて崩壞する。今こそ、教育・宗教・政治を建て直し、共生の實踐として世界が自立再生の道を歩むことこそが地球を救ふ唯一の道であり、祖國日本は、至誠を貫き、率先垂範して國家を經綸し、國體を護持して、その傳統による叡知と努力を世界に捧げて萬葉一統の理想世界を實現すべき責務がある。