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似非保守の正体

其の壱

世の中には似て非なるものは多い。

憲法論のレベルで云ふと、その最たるものは、現行憲法「無効論」と現行憲法「護憲論」である。両者に共通するものは、憲法改正を絶対に許さないこと、そして、憲法改正のための国民投票法などを整備制定することに反対であること、現行憲法を前提とする限り自衛隊は違憲の存在であることなどである。

社民党(日本社会党)や日本共産党としては、現行憲法無効論と共同戦線を構築して共闘すればよいはずだが、それもできないほど思考硬直して体力がなくなつてゐるやうである。昔は、敵の敵は味方であるとする共同戦線理論で大いに活動してゐたのに、今では運動の純血主義を細々と守つてゐる。

次に、似て非なるものとしては、現行憲法「無効論」と現行憲法「改正論」である。両者に共通するものは、現行憲法に正統性を認めないことである。しかし、これは必ずしも「改正論」内では一致してゐない。むしろ、現行憲法の無抵抗平和主義、国民主権主義及び基本的人権尊重主義の三つをいづれも正しいものとする「改正論」もある。否、むしろ、この考への方が「改正論」の主流と思はれる。そのため、無効論と改正論とは、全く共通点がないことになる。そして、共通するどころか、現行憲法は「無効」であり「正統性がない」とする無効論に対して、これを「有効」とし「正統性がある」とするのが改正論であることを明確に自覚してゐない人々多く、その中でも、無効論は改正論の「亜流」か「親戚」のやうな存在であると勘違ひするとんでもない味噌糞の愚か者が結構多いのである。

しかし、これには無理からぬところもある。それは、「無効論」と対極の関係にある「護憲論」は、これまで「改正論」と対峙してきたことから、敵の敵は味方であるとの共同戦線理論で、無効論が自分(改正論)の味方であると錯覚した形跡がある。

しかし、改正論も護憲論も、現行憲法を有効とする点において共通し、コップの中の論争で、近親憎悪に近いものだからである。つまり、護憲論も改正論も現行憲法を有効とする限度においては「護憲論」と親子兄弟親戚の関係であつて、改正論は護憲論の亜流なのである。正確に言へば、護憲論は「改正不要の護憲論」、改憲論は「改正必要の護憲論」と云ふべきであつて、改正論としては、自己の小さな敵(護憲論)の敵(無効論)が最大の敵だつたといふことが解つてゐなかつたことになる。

さて、具体的に云ふと、現行憲法第9条と自衛隊の関係について、まつ、自衛隊については、護憲論と無効論とはともに自衛隊を違憲の存在とし、改正論はこれを合憲の存在とする。さらに、自衛権については、個別的自衛権と集団的自衛権のいづれも全面否定するのが無効論、概ね個別的自衛権を肯定し集団的自衛権を否定するのが護憲論、そして、概ね個別的自衛権及び集団的自衛権の全てを肯定するのが改憲論といふ図式がある。この場合、護憲論は中途半端で、第9条第2項後段で交戦権が認められてゐないのに、交戦権を行使することの根拠としての自衛権がどうして認められるのかについて詭弁を弄することになる。それは、当初の護憲論(村山社会党以前)でも同様で、自衛隊は違憲だが合法だとする自己矛盾を露呈した鵺的な主張をしてゐたのである。そして、改憲論に至つては、もつと悲惨で、日米安保条約や国連憲章を持ち出したりして、無理矢理に集団的自衛権まで肯定しようとするのであるが、改憲論者は、日米安保条約や国連憲章よりも現行憲法の方が上位の法規であることが全く解つてゐないらしい。いづれにしても、論理が破綻してゐることについては、護憲論も改正論も目糞鼻糞である。

尤も、無効論では、非独立占領下で制定された現行憲法の趣旨からは自衛隊と自衛権のレゾン・デートル(存在理由)が見出さないのは当然であるとしてゐるに過ぎず、改正論のやうに自衛権の根拠を国家の自然法なる不明確なものに求めるのではなく、明確に帝國憲法にあると主張してゐるのであつて、個別的自衛権も集団的自衛権のみならず、国軍の創設を全面的に肯定できることに何らの問題はなく、論理的に一貫してゐるのである。

また、PKO協力法から始まる有事法制の流れ、中でもイラク特措法などの国会討論では、改正論と護憲論とでは殆ど議論になつてゐない。議論するのは殆どが改正論の議員であり、それこそ神学論争に等しいことをやつてゐる。自衛隊も自衛権も現行憲法下で認めるのであれば、何ゆゑに改正が必要なのかといふ素朴な疑問にも答へられない。そして、それぞれ矛盾を多く含む改正論と護憲論とがお互いの弱点を庇ひ合つたり、暴き合つたりして、八百長にも似た議論に終始してゐる。いはば、「囚人のジレンマ」といふゲームをしてゐるだけである。

この中で、護憲論の社民党や共産党は、原則論(自衛隊違憲論)を展開することなく、改正論の土俵に上がつて、瑣末な議論に終始してゐる。党の存亡と存在意義をかけて闘ふ気概すらない。

殊に、武装部隊である自衛隊が多国籍軍の一員としてイラクに派兵することは、現行憲法第9条第1項が禁止する「武力による威嚇」に該当するのではないかといふ議論を真剣に行つた形跡はない。専ら「武力の行使」をしてゐないので違憲ではないとしてお互ひにお茶を濁してゐるだけで、武装部隊の駐留がイラク国民にとつて「武力による威嚇」となるか否かは全く不問にされてゐる。威嚇にあたるか否かは、威嚇する側で判断するのではなく、威嚇される側から判断されるべきものである。むしろ、サマーワの自衛隊宿営地に幾度となく迫撃砲弾などが着弾するのは、威嚇に対する排除の意思表示と理解するのが常識なのである。

其の弐

次に、歴史観や戦争観についても、似て非なるものが多い。

たとへば、靖國問題についても、中共や韓国からの内政干渉に対して、改正論を基軸とする政府は、諸外国に謝罪する趣旨で制定した現行憲法といふ名の謝罪憲法を有効としてこれの正統性を肯定する限り、いつまでも謝罪を続けなければならなくなる。謝罪の源泉は現行憲法にあるからやむを得ないことである。ところが、現行憲法を肯定しながら、謝罪だけはするな、謝罪外交はするなといふ者がゐる。しかし、この主張が矛盾してゐることを気づいてゐない者が多すぎる。親(謝罪憲法)から子(謝罪外交)が生まれたのに、子だけを批判して何になるのか。防臭剤を使つて悪臭を取り除かうとするだけで、その悪臭の根源を絶たなければ何にもならないイタチゴッコのあがきである。

そして、このことは、護憲論に至つては、完全な無条件降伏を誓はなければならないことになる。また、そうしてゐる売国奴もゐるが、しかし、彼らは彼らなりで論理一貫してゐるのである。

小泉首相は、先の訪米の際、「日本はアメリカ軍によつて日本軍から解放されたことを感謝する」と言ひ切つた。その小泉首相が靖國参拝を続けることは、英霊に対する明らかな冒涜である。そもそも、謝罪憲法である現行憲法では英霊の存在は否定される。英霊を否定したから現行憲法が生まれたのである。にもかかはらず、何ゆゑに英霊が諸外国に罪悪をもたらしたとする現行憲法の正統性を肯定しつつ英霊に感謝できるといふのか、余りにも矛盾した行動である。小泉首相には、英霊に感謝する赤誠は微塵もなく、単に、保守層の支持を得たがための偽装工作を行ふ似非保守に過ぎないのである。国内政治でも国際政治でも、やつてゐることは、全てアメリカに利することだけである。

そもそも、中共は、日本が支那を侵略したといふが、支那事変を含む大東亜戦争は、国際法上は正当な自衛戦争であつて、巷で謂はれる違法な侵略戦争ではない。我が国が昭和4年に締結した「戦争抛棄ニ関スル条約」について、当時の国際法解釈によれば、戦争は、「自衛戦争」と「攻撃戦争」(war of aggression)とに区分され、後者は、一般に、自国と平和状態にある国に向かつて、相手方の挑発的行為を受けてゐないにもかかはらず先制的に武力攻撃を行ふことを意味し、それ以外は全て自衛戦争としてゐたのである。この「war of aggression」を、極東国際軍事裁判(いはゆる東京裁判)において、GHQの指示によりこれを「侵略戦争」と誤訳したことから、略取、掠奪の意味を含む一般的な「侵略」の概念との混同を生じたことが今日の混乱を招いてゐる。いづれにせよ、自衛戦争か侵略戦争か、それがいづれの戦争であるかの判断については、各国に「自己解釈権」が与へられてをり、大東亜戦争はまさに「自存自衛」の戦争であつた。このことは、昭和26年5月になつて、GHQのマッカーサーが、米国議会において、日本の大東亜戦争に至る一連の軍事行動が自衛のためであつたことを肯定したことによつて国際的にも確定した。ところで、我が国が恒常的に支那に駐兵することになつたのは、明治34年9月、清との間で他の連合国とともに「義和団事変最終議定書」による条約に調印し、以後、この条約により諸外国とともに中国大陸に支那駐屯軍を置く「駐兵権」が承認されたことによる。昭和12年7月、蘆溝橋で国民政府軍の仕業に見せかけた中国共産党の謀略による不法射撃を受けたのはその支那駐屯軍であり、その後、この北支事変からさらに戦火が拡大した支那事変は国際法上も「侵略戦争」ではありえない。

また、支那事変は「宣戦布告なき戦争」であるから、正当性がないとの見解があるが、これもまた謬説である。清朝が崩壊した後の支那は、多くの軍閥が割拠し、合従連衡を繰り返す状況であつて、蒋介石の国民党軍が率ゐる中華民国政府といへども、その実態は単なる軍閥政権の一つにすぎず、近代国家としての国家の実体をなしてゐるとは到底認定し得なかつた。宣戦布告は、帝国憲法第13条の天皇の宣戦大権に基づくものであるが、「宣戦トハ國家カ武力ヲ行使セントスル時對手國ニ對シテ之ヲ宣言スルコトヲ謂フ」(清水澄「逐條帝國憲法講義」151頁)のであつて、これは、戦争終結後に同条の講和大権に基づき行はれる講和条約の当事者能力が備はつた「国家」に対してでなければならない。ましてや、支那事変の発端は、八路軍の陰謀による軍事的挑発であつて、宣戦布告がなされるべき「戦争」ではない。それゆゑ「事変」なのである。大東亜戦争終結段階において、蒋介石は我が国に対して宣戦布告をなし結果的には戦争と評価しうることになつたが、これを殊更に「宣戦布告なき戦争」と表現したり、「日中戦争」と表現することに、学問的理性が感じられない。

支那には、「中原に鹿を逐ふ。」といふ言葉がある。この逐鹿の意味は、支那では実力と天命があれば帝位につけるといふ中華思想の神髄であり、漢民族でなくても、蒙古民族による「元」、満州民族による「清」の国家も支那の国家として認めるられてゐるのである。それゆゑ、仮に、我が国に支那に対する領土的野心があつたとしても、それは中華思想では肯定されるはずである。蒙古民族や満州民族に認められて大和民族に認められないはずはない。失敗したことの未熟さや領土的野心が希薄であつたことを批判されても、挑戦したことの勇気は賞賛されて然るべきである。ましてや、北一輝は、国内的には無産者による階級闘争を是認する欧米社会主義が、国際的無産者である日本による国際的階級闘争としての侵略戦争を是認しないのは自己矛盾だとして、広大な領土と資源を保有しながらそれを活用できない支那やロシアから領土と資源を獲得することは、国際的無産者である我が国の権利であるとし、吉田松陰の思想を継承発展したが如き理論を展開してゐたのであるから、これに準拠して中共に反論することもできるはずである。

にもかかはらず、一切の反論をせずして謝罪することは、その根底には謝罪憲法を是とする思想があるためであつて、この戦後体制保守は反日思想そのものであり、やはり伝統保守とは全く異質のものである。

其の参

つまり、保守層と呼ばれる者の中には、「戦後体制保守」と「伝統保守」とがあり、これも似て非なるものの典型である。前者は、戦後の価値観、すなはち現行憲法下で肯定された価値観を守るべきものとし、後者は、それ以前の文化、伝統などを守るべきとするもので、これも水と油の如く似て非なるものである。これは、ほぼ「改正論」と「無効論」とに対応するが、中には、改正論でありながら、戦後体制保守ではなく、伝統保守であると自称する者もゐる。そして、その者はかう弁解する。「無効論の心情は理解するが、いまさらそのやうなことを言ひ出しても現実的ではない。だから、改正して徐々に無効論の趣旨に近づけばよい。」と。いはば、無効論は非現実的で、改正論こそがプラグマティズム(実用主義)に適ふと云ふのである。

しかし、これは真つ赤な嘘である。一体、今の混迷の中で現行憲法が改正できるといふのか。確かに、改正を求める世論は増えてきてゐるが、しかし、たとへば第9条についての改正については百家争鳴で統一されることがない。各党の改正案もバラバラで、しかも、衆参両院の国会議員において第9条の改正に賛成してゐるのは、その総数でも現行憲法第96条の定める発議の要件である各3分の2に達してゐない。ましてや、その条項の摺り合はせに至つては、絶望的な状況なのである。さらに、発議の後に行はれる国民投票法の制定や公職選挙法の改正の目途が付かない有様であり、世論調査によつても、第9条を維持する者が半数を超えてゐる。ましてや、読売試案のやうに、天皇条項を軽んじる考へもあり、多数決原理で行くと廃止の可能性も出てくる。これがどうして現実的といふのか。単なる掛け声だけの敗北主義に他ならないではないか。

これに引き換へ、むしろ、無効論の方がより現実的である。無効であるから、現行憲法の改正条項(第96条)による必要もなく、国会での通常の多数決による決議で無効の宣言をすれば足りるからである。

現行憲法の制定から約60年を経たといふことは、人の一生と比較すれば途方もなく長いやうに考へ勝ちだが、法律の世界では大したことではない。大化の改新による公地公民制(班田収受制)は、大化2年(646)正月の詔から始まつたが、三世一身法(723)と墾田永代私財の法(751)で完全に崩壊した。その間、105年である。不具合な法令が仮に百年程度続いたとしても、悠久の歴史時間で計ればその後に廃止されて改められることも不自然なことではない。

ましてや、現行憲法の要諦である第9条が実効性を保つてゐた期間は、施行された昭和22年5月3日から昭和25年7月8日までの僅か3年余に過ぎないことに留意すべきである。つまり、昭和25年7月8日は、マッカーサーが、朝鮮戦争を契機として警察予備隊75,000人の創設と海上保安庁8,000人増員を許可したときであり、このときから第9条の実効性は否定された。そして、同年10月には、米軍の上陸作戦を支援するため、海上保安庁の掃海隊が朝鮮半島沖の機雷処分に投入された。これは、戦闘地域での日米作戦の合意に基づくものであつて、同月には海上保安庁の掃海艇1隻が機雷に触れて沈没し、18人が重軽傷、1人が死亡(戦死)した。これで現行憲法第9条は完全に死文化したのである。イラクのサマーワが戦闘地域か否かといふ議論は、過去の歴史的事実を知らない者の戯言であり、空虚で欺瞞に満ちたものに過ぎないのである。

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