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トップページ > 各種論文目次 > H18.08.14 いはゆる「保守論壇」に問ふ <其の一>東京裁判と講和条約第11条について2(続き)

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続き

講和条約第11条

では、この東京裁判を固定させたとする講和条約第11条についてはどう考へたらよいのか。

これについては、先に述べたとほり、第11条の「裁判を受諾」の意味とアムネスティー条項(amnesty clause)の解釈を巡つて争ひがあり、この「裁判」とは「諸判決(judgments)」の意味であり、これは日本政府による「刑の執行の停止」を阻止することを狙つたに過ぎないものであるとの見解(限定説)と、判決の理由中に示された内容の正当性を認め続ける義務があるとの見解(拡張説)との対立がある。

これまでにおいてアムネスティー条項の学理解釈については限定説のとほりであり、東京裁判が罪刑法定主義に違反して無効であるとする主張にはそれなりの大きな説得力はある。しかし、①東京裁判は、これまでの裁判とは異なり、国家を裁いた裁判ではないのか、②そして、それを固定させたのが講和条約第11条ではないのか、③さらに、敵国条項を定めた戦勝国の国連憲章で組織する国連に我が国が加入したことは自国を犯罪国家として再び承認したことになるのではないのか、④そのことが東京裁判史観なるものを容認したことにならないのか、といふ多くの疑問に対して、限定説は充分な反論ができないでゐる。

確かに、限定説は、国際法学における学理解釈の通説であるが、現実の国際政治では拡張説が大勢を占め、我が国政府の解釈も拡張説であるから、拡張説が公権的解釈の地位を得てゐる。

さうであれば、たとへ学者の世界では限定説が主流であつても、それは、現実の国内政治と国際政治において定説となつた拡張説に対して全く無力であつて、この宗教論争を続ける限り、いつまでも平行線となり、限定説は敗北し続けるのである。

では、どうすればよいのか。それは、限定説チームがアウェー・ゲームに挑み、そこで勝利することしかない。そして、東京裁判における敗北をも同時に覆すだけの乾坤一擲の大勝負をしなければならないことになる。

この東京裁判と講和条約第11条に関する問題の要諦は、それぞれが有効か無効かといふ効力論に主眼があるのではなく、どうすれば具体的かつ現実的に戦犯の復権と名誉回復が果たせる方策を編み出せることができるかといふことにある。はたしてその智恵があるかといふことが肝要であつて、いつまでも言ひ古されて進歩することのない無効説や限定説の論拠を展開するだけの学者や、それに無批判的に便乗して鸚鵡返しにこれらの論拠に浸つてゐるにすぎない売文の徒の言論活動では、有効説と拡張説との学術議論がいつまでも平行線となるだけで、現在の膠着した状況を打破することはできない。

国内的効力

ところで、この講和条約第11条の国内法的効力については、昭和27年5月1日の法務省法務総裁通知に始まり、戦傷病者戦没者遺族等援護法及び各種の国会決議において既に戦犯の復権と名誉回復は実現したとの見解(復権説)と、講和条約第11条が有効に存在する限り、その条約の国内法的効力が存続し、戦犯の復権と名誉回復は未だなされてゐないとする見解(未復権説)との対立がある。

これについては、復権説がこれまでは有権解釈であつたが、後藤田官房長官発言、細川首相談話、衆議院戦争謝罪決議、村山首相談話などから、さらに、これらを踏襲してきた現政権に至るまでの政府見解は、未復権説へと変化し、これまでの公権的解釈の地位が逆転した。それゆゑ、復権したか否かの学術論争はやはり平行線となり、そのことは現在の有権解釈である未復権説に軍配が上がることを意味してゐる。

ではどうするのか。これはやはり復権説チームが未復権説のホームへ出かけて、アウェー・ゲームを挑まなければ逆転勝利の目途が立たない。つまり、復権説の説得力を高め、再び、戦犯の復権と名誉回復を宣言する政府声明がなされることによつて、復権説を公権的解釈へと導くことである。ところが、復権説の保守論壇は、未復権説の土俵には上がる智恵と勇気がない。及び腰になりながら、「過去においてすでに復権してゐるから、そのやうな宣言は理論的にも矛盾し、かつ不必要である。そんなことをしたら敵の思ふ壺である。」と警戒心を露はにするのが精一杯のところである。しかし、これでは、やはり復権説は永遠に公権的解釈の地位を占めることなく敗北し続けることになる。

国際的効力

講和条約は、我が国が東京裁判などの軍事裁判を受諾して独立を得たことからして、これを無効とすることは我が国の独立を否定する結果となるので、独立の条件とされた「裁判の受諾」を定めた同条約第11条も依然として有効に存在すること自体には誰も異論はないはずである。

つまり、東京裁判が罪刑法定主義に違反するので「無効」であるとしても、それを独立の条件として受諾した講和条約第11条は紛れもなく「有効」である。そして、この国内的効力における有権解釈が先ほど述べたとほり未復権説であつて、しかも、世界に向かつて、これまで後藤田官房長官談話や村山談話などの政府声明がなされたことからして、対外的な国際的効力における有権解釈も未復権説となつてゐる。

昭和61年、中曽根康弘内閣の後藤田正晴官房長官は、「東京裁判についてはいろいろな意見があるが、日本政府はサンフランシスコ対日平和条約で、東京裁判の結果を受諾してゐる。」とし、日本政府が東京裁判史観に基づく歴史解釈をとらざるを得ないのは、条約によつて法律的に拘束されてゐるからだ、との見解を表明した。そして、これ以後、細川首相談話(平成5年8月10日)、衆議院戦争謝罪決議(平成7年6月9日)、村山首相談話(同年8月15日)などを経て同様の見解を表明して今日に至つてゐることからして、未復権説は公権的解釈の地位を確立するに至つてゐる。

これに対し、復権説は、講和条約第11条の「裁判を受諾」の「裁判」とは「諸判決(judgments)」の意味であり、これは日本政府による「刑の執行の停止」を阻止することを狙つたに過ぎないものであるとの従来通りの見解を繰り返すだけで、未復権説が主張する様々な論拠や政府声明等の効力に対して全く反論できないでゐる。

しかも、講和条約第11条は、「裁判を受諾し、且つ、・・・刑を執行するものとする。」とあり、「刑を執行するために裁判を受諾する」ではなく、「裁判の受諾」と「刑の執行」とは並列的に受容してゐるものであるから、この「裁判の受諾」の意味が「刑の執行の停止」を阻止することを狙つたに過ぎないものであると一義的に解釈できるとすることにも疑問がある。

ましてや、この「裁判」の意味は「諸判決」だと理解したとしても、「判決」のどの点を受諾し、それにはどのやうな拘束力があるといふのか、といふことについて復権説は答へることができない。判決には勿論「判決理由」もあるので、判決の「主文」だけに拘束力があり、その「理由」には一切拘束力がないとも言へない。また、東京裁判は、一審のみの裁判で、すでに死刑判決を含めて確定してをり、再審により判決を覆すこともできない。判決を覆すのであれば、何らかの手続や宣言が必要となるが、それが全くなされてゐないのである。従つて、我が国政府の公権的解釈である未復権説の表明がなされ続けてゐることからして、この「受諾」は、一回的な「受諾」ではなく、「受諾し続ける行為」であると解釈する未復権説は、学理解釈においても説得力を持つてくる。このやうな状況では、学理解釈においてもまさに平行線であつて、復権説は、公権的解釈の地位を得た未復権説の前に常に敗北し続けてきたことになる。その結果、A級戦犯のみならず、BC級戦犯もまた、未だ国際的には名誉回復がなされず、依然として「戦犯」のままとなつてゐるのである。

復権、名誉回復への道

ではどうするか。

これについては、「条約法に関するウィーン条約(条約法条約)」(昭和56年条約第16号及び外務省告示第282号)が参考になる。しかし、条約法条約第4条「この条約は、自国についてこの条約の効力が生じている国によりその効力発生の後に締結される条約についてのみ適用する。ただし、この条約に規定されている規則のうちこの条約との関係を離れ国際法に基づき条約を規律するような規則のいかなる条約についての適用も妨げるものではない。」として、条約法条約以前に締結された条約には適用されないとする不遡及規定があるので、ポツダム宣言の受諾、降伏文書の調印、講和条約には直接適用はないことになる。

ただし、条約法条約第59条(後の条約の締結による条約の終了又は運用停止)の趣旨(後法優位の原則)と同第62条(事情の根本的な変化)の趣旨(事情変更の原則)は講和条約締結時においても既に確立した国際法規であつたことから、これらの法理を活用して、講和条約第11条の失効(破棄)を試みる必要がある。

後法優位の原則とは、ある条約が締結された後、これを同じ事柄を定めた新たな条約が締結されると、後で締結された条約の方が以後に適用され、前の条約は変更されたり廃止されたりするといふ原則である。そして、事情変更の原則とは、条約締結時の国際環境や当事国の事情が、その後に著しく変化し、その条約自体やその条項の一部の規定の合理性を欠くに至つた場合、その条約自体やその一部の条項が失効し、あるいは破棄したり変更したりすることができるといふ原則である。

このことを踏まへて講和条約第11条について考へれば、我が国は、講和条約締結後において、我が国を敵国として規定した国連憲章によつて設立した国際連合に加入したことは、そもそもこの敵国条項自体が変質し、後法優位の原則や事情変更の原則により敵国条項が失効ないしは適用停止したものと解釈され、その後においても我が国は国連の要請などにより様々な国際貢献をし続けてきたことから、やはり事情変更の原則などに基づき、講和条約第11条の失効(破棄)を世界に向かつて宣言することができるのである。

このやうな事例は過去にあつた。日ソ中立条約(不可侵条約)を一方的に破棄してソ連が参戦した例や、日華平和条約(昭和27年発効)の失効の例などである。これらは、いづれも事情変更の原則を理由とする。日ソ中立条約については、ヤルタ密約の存在が事情変更の理由であり、日華平和条約については、田中角栄内閣による「日中復交」(昭和47年9月29日)が事情変更の理由となつた。また、日華平和条約については、その破棄のための交渉や破棄の手続は一切なく、大平正芳外相の「日華平和条約はもはや存在しません」と言明だけで破棄したのである。

ところで、我が国が講和条約第11条の失効(破棄)通告を行ふことは、日ソ中立条約や日華平和条約の破棄の場合のやうに相手国に実害を生じさせるものではなく、講和条約のどの当事国にとつても実害がある行為ではない。

また、講和条約第21条及び第25条により、同第11条の効力が及ぶ国家の中には、中共、韓国、北朝鮮は含まれてをらず、ソ連(その承継国の共和制ロシア)はそもそも当事国ではないので、講和条約の埒外であるから、これらの国は、我が国の破棄通告の相手方でもなく、異議を唱へる資格も全くない。

もし、我が国政府がこの破棄通告を行はない場合は、国際的には永遠に戦犯の復権と名誉回復はできず、いつまでも国際問題として続くことになる。この通告を行ふことによつて初めて国際的に「戦犯」の復権と名誉回復が実現し、併せて、国内的効力においても、その復権と名誉回復を揺るぎのないものとなるのである。

しかし、これまでの無効説や復権説がその学理解釈を主張し続けるだけでは、戦犯の復権と名誉回復は永遠に実現できない。それゆゑ、保守論壇が今直ちになすべきことは、いつまでも硬直化した学理解釈に拘つてゐるのではなく、我が国政府に国際社会に向けて講和条約第11条の破棄通告を行はせ、復権説が再び公権的解釈の地位を得るための理論的根拠を支へる役割を果たさねばならないといふことである。

ポツダム宣言受諾61年目の平成18年8月14日記す 南出喜久治

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