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トップページ > 各種論文目次 > H19.08.05 いはゆる「保守論壇」に問ふ ‹其の五›日韓の宿痾と本能論2(続き)

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脳幹論

この「刷り込み」といふのは、たとへば、狼に育てられた人間の子供が、狼を親と認識し、その行動様式も狼と同じになるといふやうに、授乳期に自己に乳を与へる授乳者を親と認識してしまふといふやうな学習の一形態であつて、コンラート・ローレンツが動物行動学として確立した科学的理論である。それを我が国では、戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長が取り入れ、脳幹論としてさらに発展させて実践し、これまで数へ切れないほどの多数の情緒障害児などを教育的に矯正改善し、プラグマティズム的にその実践理論の正しさを証明して見せた。これは、これまでの合理主義的な教育理論を根底から覆すものであつた。理性論と脳幹論とのいづれが正しいかを相対的に決する科学的手法は、教育現場において、そのいづれの方が、より良い効果、より多くの成果を上げるかといふ実績で判定せざるをえないし、また、それで充分である。

ところが、戸塚校長は、その科学的手法に基づき、あまりにも多くの良い成果と実績を上げすぎた。「俺なら少年犯罪者を矯正して見せる。」との戸塚校長の自信とその表明には、それなりの充分な根拠があつた。しかし、既存の教育関係者ではそんな自信は無く、しかも、自信がないことを告白することは権威を失墜することになるので口が裂けても言へない。そのことが彼らの嫉妬と怨嗟と危機感を煽り、戸塚校長の理論とその実践成果を葬り去ることが企図された。それが、戸塚校長らの逮捕に始まる、いはゆる「戸塚ヨットスクール事件」といふ「国策捜査」の発端であつた。

学校や児童相談所はもとより、教育学者やカウンセラー、心理学者などの評論家では、あゝでもない、かうでもないと能書きを垂れ、「小田原評定」を繰り返すだけで、誰も少年犯罪者の病気を直せない。少年の凶悪事件が起こるたびに評論家などがメディアに露出して解説と論評をするだけで、誰もその事件の再発を防止できない。却つて、そのアナウンス効果によつて、後続事件が発生するだけである。この負のスパイラルを阻止できるのは、合理主義を根底から否定して脳幹論を掲げる戸塚理論だけだつた。脳幹を鍛へ本能を強化すれば教育効果は高まり、しかも、犯罪性向は改善される。そのことは今も変はらない。否、むしろ、戸塚理論を教育と行刑に導入することは喫緊の要事なのである。

合理主義の誤謬

明治の流行歌であるデカンショ節の語源になつたとされる、デカルト、カント、ショーペンハウアーに始まる欧米の合理主義(理性論)による啓蒙思想は、今日、あらゆる分野において矛盾を生み出してゐる。合理主義による啓蒙思想とは、理性と感性の科学的思考(悟性)を絶対視し、科学的認識の対象とはならない全てのものを排斥した。理性を善とし、本能を悪とする二分法に立ち、本能を抑制するものとして道徳などの社会規範を位置付ける。しかし、本能が悪であつたり、理性によつて抑制しなければならないものであつたとすれば、人類を含む生物は、もつと早くその本能と理性といふ二律背反の構造的欠陥により自壊して滅亡したはずである。本能を悪として否定することは、自己否定に他ならないのである。

本能を肯定するやうなことを云ふと、まるで理性論から生まれた本能主義や快楽主義など、欲望を満たすことが正しいといふ考へではないかと不安を抱かれるが、そんなことは全くの誤解である。  人間以外の動物は、自己保存本能と種族保存本能などによる忠実な生活をするために、無益な殺生や姦淫、盗みなどをしないが、人間だけは時にはそれを犯す。それこそが人間らしさと云へばそのとほりなのに、そのやうなことをすると、外道、畜生、ケダモノなどと最大級のスラングで罵られ、その返す刀で、忠実に本能に従ひ品行方正な生活を営む動物たちに謂はれなき中傷と濡れ衣を浴びせるのは、霊長類だと自惚れる人間の滑稽さである。これも合理主義の誤りの一つなのである。

本能を司る中枢は、脳幹と脊髄などの部分である。本能の基礎となる自律神経は生来的に備はつてゐるが、五感の作用に基づいてなされる行動の様式と能力である本能は、成長に伴ひ、学習と経験を積み重ねることによつて強化される。群れをなし社会を形成して生きる人類には、生命維持本能、種族保存本能、集団秩序維持本能などがあり、それは、個体と種族集団を守るためのプログラムが組み込まれてゐる。たとへば、身の危険を避けようとするのは生命維持本能であり、子孫を残し、身を捨てでも家族や社会、国家を守らうとするのは種族保存本能によるものである。

禁忌と本能との関係

ところで、本能と理性との比較において、試金石として挙げられるものは、人間社会において、近親相姦や近親婚を禁忌してきたのは何故なのかといふことである。これについては、これまで様々な理由と根拠が考へられてきた。

初期においては、近親婚では劣悪な遺伝子が結びつゐた個体が出てくることを経験的に知つたことから禁止されたとする生物学的見解があつた。しかし、劣悪な遺伝子は、必ずしも遺伝学的にいふ劣性遺伝子、すなはち、遺伝子が二個結合しなければ出現しない性質のものではない。むしろ、能力的又は形質的に優れた遺伝子が、劣性遺伝子であることが多いことが知られるやうななつたことから、この見解は否定された。

次に登場したのが、人類学に構造主義を取り入れたフランスの人類学者C・レヴィ・ストロースの見解である。人間の心や行動は、意識だけでは捉へきれない社会構造があるとし、近親相姦や近親婚の禁忌は、家族の中の女性を家族内だけで独占すればその家族が他の家族との関係で孤立し、社会のつながりを形成できなくなるので、「女性の交換」をする社会規範を作つたといふのである。しかし、規範は、その規範内容を周知させることに実効性の基礎を置くものであるから、人間の意識外で形成される規範といふものはあり得ない。社会契約説の陥つた矛盾のやうに、「女性の交換」規則を誰も意識せずに全員がそのことを相互に合意してきたといふのであらうか。

さうなると、やはり、ここは本能の出番である。家族内の女性に対する性的衝動を抑制し近親相姦と近親結婚を避けるのは、自己の家族集団以外の他の家族集団との紐帯を築いて、さらに大きな種族の群れを形成し、それによつて種族全体の維持を実現しようとする種族維持本能によるものである。そのためには、家族内の秩序を維持してストロースの云ふ「女性の交換」が行へるやうにしなければならないので、家族内の女性に対する性的衝動を抑制する秩序維持本能が働く。本能中枢神経として意志とは無関係に機能する自律神経にも、交感神経系と副交感神経系があつて、相互が拮抗的に作用するのと同様に、この場合には、集団秩序維持本能が性的衝動を司る種族保存本能を抑制する。欲望があるのは、自己と種族を保存するために必要な本能であるが、その逆に、その欲望を秩序維持のために鎮めるのも、やはり本能の働きである。このやうなことは誰に教はることなく、理性的に学習することもなく、そもそも種族内の秩序を維持し発展させるために人類全般に備はつた本能なのである。

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