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トップページ > 自立再生論目次 > H23.06.03 青少年のための連載講座【祭祀の道】編 「第二十七回 兄弟姉妹と祭祀」

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青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第二十七回 兄弟姉妹と祭祀

はらからは ことひとはじめ さもあらば ことひとさへも はらからとせよ
  (兄弟姉妹は 他人始め(他人の始まり) さもあらば 他人さへも 兄弟姉妹とせよ)


「はらから」といふ言葉は、「はら(腹)」の「から(柄、幹)」、つまり、おなじ母から生まれた者同士のつながり(関係)のことですから、兄弟姉妹のことです。「同胞」と書いて、はらからとも読み、兄弟姉妹の意味の他に、同じ民族を示すこともあります。これは、国母から生まれた赤子であり、大御宝(おほみたから)であると自覚したときに使ふ言葉です。さらに、「はらから」は、世界人類を意味する場合もあります。明治天皇が日露戦争開戦において詠まれた御製に、「よものうみ みなはらからと おもふよに、などなみかぜの たちさはぐらむ」があります。そして、昭和天皇も、対英米蘭開戦が避けられないと決定した昭和十六年九月六日の御前会議で、この明治天皇御製を詠まれたことがありました。また、論語にも「四海之内、皆兄弟也」とあるやうに、「はらから」といふのは、家族、同族、血族、部族、民族、人種、人類といふ雛形を意味する言葉でもあります。


はらからと うからやからに ともからも すめらみくにの ひひなくにから
  (腹幹と 生幹家幹に 部幹も 皇御國の 雛國幹)

つまり、「はらから」は、人間社会の雛形です。異なる母から生まれ、父を共通するときは、腹違ひ、腹変はりの兄弟姉妹と言ひ、母が同じで父が違ふときは、種違ひ、種変はりの兄弟姉妹と言ひます。これらの異父母の兄弟姉妹だけでなく、配偶者の兄弟姉妹、兄弟姉妹の配偶者同士などは、義兄弟(義姉妹)と言ひ、さらに、血縁はなくても、縁故を以て兄弟(姉妹)の契りを結んだ仲も、義兄弟(義姉妹)と呼びます。以下では、兄弟姉妹のことを単に兄弟と略して話しを進めることにします。


兄弟の契り(義兄弟)といふのは、支那三国時代の劉備、関羽、張飛の義兄弟の盟約のやうに、同じ目的と夢のために命をかける関係です。これを、兄弟の擬制関係のみならず、親子の擬制関係にまで広げて擬制的血縁関係を築いたのが、幡随院長兵衛に始まる侠客の歴史です。

それにしても、義兄弟といふのは、命懸けの関係といふやうに熱い関係が連想されるのに対し、義姉妹の場合は、それほど深刻な関係ではなく、暖かく柔らかい関係を連想します。姉妹品、姉妹校、姉妹都市、姉妹編、姉妹社会、姉妹語などの言葉は、すべて姉妹が用ゐられ、兄弟品、兄弟校、兄弟都市などの言葉がないのは、そのためかも知れません。


このやうに、兄弟といふのは、際限なく広がつて行きます。このやうに、関係が広がつて行くことを、縁故が希薄になつて行くものだと捉へて、「兄弟は他人の始まり」など虚無的に言つたりします。しかし、実際には、「血は水よりも濃い」といふ現実に出会つたり、「遠くの親戚より近くの他人」といふ経験をしたりするのです。


昔のやうに、隣国と対立し、直ぐにでも攻めてくるといふやうな、わかりやすい外敵がある場合には、自国を守り、一族を守るため、兄弟は、たとへ兄弟喧嘩をしてゐても、自己防衛(自国防衛、一族防衛)の「両の手」として外に向かつて団結します。詩経といふ書物にも、「兄弟鬩于牆、外禦其務」(兄弟かきにせめげども、外其の務(あなどり)を禦(ふせ)ぐ)とあり、外部に対しては隙を見せないことの教へがあります。内憂があるとき、外患を意識して内憂を鎮めること、内憂を外患に転ずるといふのは、孫子の兵法です。文化大革命の国内矛盾の高まりを中ソ国境紛争に目を転じて国内問題を沈静化させた毛沢東もこの孫子の兵法を用ゐました。



閑話休題。古事記、日本書紀で初めに出てくる兄弟の話が、いはゆる海幸彦と山幸彦の神話です。海幸彦といふのは、古事記では火照命(ホデリノミコト)、日本書紀では火酢芹命(ホノスセリノミコト)と呼ばれます。また、山幸彦といふのは、古事記では火遠理命(ホオリノミコ)、日本書紀では彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)です。そして、旧約聖書にも、アダムとイブ(エバ)の長男カインが弟アベルを殺す話が出てきます。さらに、時代が下がつて、源頼朝は、異母弟の源義経を滅ぼして鎌倉幕府を盤石なものとしましたし、織田信長は、弟の織田信勝(信行)を謀殺して尾張国の支配を確立して行きます。


このやうな物語は、兄弟の確執が歴史を動かす力があることを示してゐます。兄弟の確執が生まれるのは、長幼の序と能力の優劣とが必ずしも一致しないこと、跡目争ひや相続争ひが絡むことなどが最大の原因となります。

「伯仲叔季」と言つて、伯は長男、仲は次男、叔は三男、季は四男の順序を示す言葉があります。「伯仲」といふ言葉は、長兄と次兄といふ意味以外に、優劣がないことを意味する場合によく使はれます。つまり、一般的に、長兄が次兄よりも能力が勝るとは限らないといふことなのです。戦国時代では、長幼の序に固執すると、一族が滅ぶこともありえたのです。一族を率ゐる者は、兄弟の中で誰よりも能力が秀でてゐることが望ましいのですが、能力にもいろいろあつて、知力(理解力、記憶力)、智力(想像力、構成力、直感力)、体力(腕力、持久力、忍耐力)、教化力(徳性、統率力、説得力)、経済力などがあります。これに相続が絡み、経済力が絶大になると指導力が生まれます。昔は、家督相続と戸主制度がありましたので、家督と戸主を継ぐ者が棟梁となりましたが、家督相続や戸主制度が廃止され、遺産相続だけとなり、しかも均分相続になりましたので、誰も棟梁として統率することができない制度になりましたから、今では確執だけが増長されることになつてゐます。


しかし、本来は確執だけが兄弟の関係ではありません。日本書紀には、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと、後の仁徳天皇)と菟道稚郎子(うぢのわきいらつこ)の皇兄弟の話があります。これは、皇太子となられた菟道稚郎子が兄の大鷦鷯尊に皇位を譲るために自決された物語です。

さらに、父の仇討ちを果たして散つた曾我十郎祐成(すけなり)、曾我五郎時政(ときまさ)の曾我兄弟。後醍醐天皇の命を受け宿敵足利尊氏との湊川の戦ひで敗れ、七生滅賊(七生報国)を誓つて差し違ひ自決した楠木正成(まさしげ)、楠木正季(まさすゑ)の楠木兄弟。敵味方に分かれても、いづれが家名を存続させるため、それぞれの忠義で戦つた真田信之(のぶゆき)、真田幸村(ゆきむら)の真田兄弟。このやうに、至誠を貫く兄弟の緊張関係が歴史を動かしてきたことも多いのです。


毛利元就が家中の結束のために残した三子教訓状の遺訓が「三本の矢」の逸話の基となつたとされますが、この三本の矢の逸話は、兄弟の結束がいかに大切かを説いてゐます。

このやうなことを言ふと、皆さんは、「だから、兄弟喧嘩をしてはならない」といふ道徳を説くことになると思ふでせう。しかし、それは間違ひです。正確に言へば、兄弟が確執して致命的に離反しないためにも、家庭生活における幼い頃の兄弟喧嘩をしなければならないのです。幼い兄弟(姉妹)といふものは、どんな些細なことでも喧嘩をするものです。兄弟喧嘩することは「悪」ではありません。兄弟喧嘩は、家族の秩序を形成するために不可欠なもので、まさに本能に適合するものですから「善」なる行為です。兄弟喧嘩するのは、心身を鍛へ本能を強化するために、子どもが初めに出会ふ社会経験です。兄弟は、喧嘩することによつて家族の秩序を自覚し、外部社会の対人関係と兄弟との類似性を学ぶのです。


哺乳類動物の場合は、兄弟は、よく乳の出る乳首を取り合ひ、餌を取り合ひます。他を威嚇して優劣を競ひます。それが、成長して獲物を捕つて生活するために必要な訓練であり、これによつて弱い者も強い者も共に学習して強くなり適者生存の大海を泳ぐことができるのです。親離れするまでの間は、弱い子が強い子に従ひ強い子が弱い子を守つて兄弟の序列をつくつて家族の秩序を安定させるために必要なものなのです。外部社会の荒波を疑似体験をさせてくれるのが兄弟です。

このやうなことは、ノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツが動物行動学や比較行動学の立場から科学的理論として確立しました。つまり、「種の内部のものどうしの攻撃明らかに、あらゆる生物の体系と生命を保つ営みの一部」であり、「本能は善」であることを科学的に証明したのです。理性論(合理主義)からすれば種内攻撃は絶対的に「悪」ですが、比較行動学からすると「種内攻撃は悪ではなく善である。」といふことです。種内攻撃といふのは、種内の秩序を形成するもので、体罰、いじめ、喧嘩などのことです。そして、種内の秩序を形成し、弱者は強者に従ひ、強者は弱者を外敵から保護するといふ種内秩序が生まれます。しかし、戦後は、徹底した合理主義教育のため、一切の危険から子どもを遠のけてしまひ、そのやうな教育で育つたことから本能の劣化した大人ができ、同じやうに本能が劣化した子どもとの親子関係や兄弟関係の社会になつてしまひました。そのため、本能が強化されてゐれば、体罰、いじめ、悪戯、喧嘩、冒険などの仕方は自然と身に付き、それによつて本能をより強化できますが、本能が劣化した者同士ではそれがまともにできないのに、それを行ふことから大きな社会問題になつてゐるのです。これは「気違ひに刃物」といふ格言で説明できます。気違ひといふのは、本能が劣化することにより理性が万能かつ絶対であると信じて疑はない人のことです。しかし、このやうな言葉すら言葉狩りによつて禁止しようとするのも、合理主義教育の結果なのです。


ところで、兄弟が成長して独り立ちするやうになると、兄弟であることの意識が希薄になつて行きます。それは人間だけではなく、動物一般について言へます。むしろ、動物の場合は、兄弟の意識は成長に従つて消滅し、他人となるのです。

そして、人間の場合でも、実の兄弟は、血縁による甘えと相続問題などに起因する近親憎悪によつて確執を生むことが多くなります。他人化の始まりです。そこで、血縁による甘えと近親憎悪を生まない清心で律儀な関係を人は求めます。それが義兄弟として誓ふことが行はれることの動機となつてゐます。

しかし、義兄弟となるといふことは、本来は共通の親(祖先)を自覚することに他なりません。共通の親を自覚しない義兄弟は、真の義兄弟とはなりません。義兄弟になるのは、その祖先祭祀のために心を一つにするからです。世間では、義兄弟を二人だけのものと錯覚してゐるやうですが、共通の親を自覚しない義兄弟は利害打算の産物であり、長続きするはずがありません。

義兄弟となつた証しとして入れ墨を入れることもありますが、これは俗事です。義兄弟となるためには、義理の親を定めて盃事をする神事が必要となります。兄弟を擬制するといふことは、親を擬制することから始まります。そして、義兄弟として誓つた目的と夢は、その親の願ひになります。血縁のある親(実親)は選べませんが、義親(義父、義母)は選べるのです。歴史上の人物を義兄弟の親として定めることもできます。そこに義兄弟として共通の志を立てることの喜びを感じることができます。また、それぞれの氏神、産土神を遡れば二人に共通した神々に辿り着きます。究極は皇大神である天照皇大神であり大元神である国常立神となります。


我が国の氏神、産土神の信仰は、まさに兄弟によつて広がつて行く血族を統合するためのものです。このやうなことは我が国だけではありません。古代ギリシアでは、フラトリア(兄弟団)といふ、部族(フュレ)や氏族(ゲノス)によつて形成される血族集団がありました。そして、共通の祖先を崇め、父称を用ゐて、氏神を信仰してゐました。

しかし、我が国の場合は、それだけではなく、その多くの氏神、産土神が統合されたものが総命(すめらみこと)として、人類の宗家であるご皇室に連なるといふ、世界に誇るべき雛形構造になつてゐる点です。


教育勅語には、「兄弟ニ友ニ」とあります。仲良く助け合ふことが兄弟の徳目されてゐます。もちろん、家族生活においても、世帯を別つことになつても同様です。しかし、兄弟と言つても、年齢差や性格、生活環境の違ひによつて千差万別です。社会の縮図、雛形と言へます。これまで見てきたとほり、離反して殺し合つたりすることも、その逆に、共に死を決する絆を保つたすることもあります。そのやうな様々な兄弟関係であつても、絶対に否定できない共通のことがあります。それは、親(祖先)を共通にしてゐることです。ですから、教育勅語では、「友ニ」としか兄弟の徳目を求めてゐません。それは、兄弟に与へられた使命は、力を合はせて祖先祭祀を協同にすることなのです。他のことで兄弟が啀み合つてゐても、祖先祭祀や孝養だけは協同できるはずです。そのことが切つ掛けとなつて、再び睦み合ふことができます。これは、他人との関係でも同様なのです。特に、祖先祭祀は兄弟が争ふために行ふものではありません。協同でできなければ、それぞれが独自にご先祖様への感謝のための祭祀を行へばよいのです。兄弟の誰か一人が代表で感謝して祭祀をすればよいといふものでは決してありません。本家を継げば本家の祭祀を営み、分家もまた祭祀を営めばよいのです。できれば、お互ひの祭祀に参加し合ふことで、兄弟がよりよい関係を築くことができるはずです。そして、兄弟のご先祖様、氏神様、産土神様が皇祖皇宗に連なることの荘厳さに改めて感動し、その有り難さを思つて素直に感謝できるのです。教育勅語に説かれてゐることは、さういふことなのです。

平成二十三年六月三日記す 南出喜久治


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