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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第十三回 児童相談所の正体

おやこまご たちかはりたる よよやから かはらぬものは いへのとこしへ
(親子孫立ち替はりたる代々家族変はらぬものは家督の永遠)


組織的な拉致事件は、北朝鮮の仕業だけではありません。現在進行中の国内最大の組織的な拉致事件があります。

児童相談所(児相)、厚生労働省、学校、病院、製薬会社の五人組による国家ぐるみの児童拉致事件が全国規模で多発してゐるのです。このやうな実態は、メディアでは全く報道されません。意図的に隠蔽されてゐます。


巧妙な方法で世論操作をします。その典型例が「タイガーマスク現象」でした。これは、平成22年以降に、全国の児相の傘下にある児童養護施設に対して、全国的に展開された寄附運動のことで、皆さんも素朴に共感し、これに参加された方も居ると思ひます。

これをマスコミも大々的に報道し、都道府県単位で、どこの県の何とかといふ児童養護施設にランドセル何個が寄附されたなどと連日報道され、最後には、何々県と何々県にはその事例がありませんなどと、それを催促する報道までなされ、全国民をこれに協力参加する「誘導」がなされたのです。


私は、当初からこの現象に違和感を持つてゐました。タイガーマスクと称する匿名の人が寄附するのは、決まつて児相傘下の児童養護施設であり、児相の傘下になつてゐない独立系の民間施設にはなされてゐなかつたからです。本当に、児童福祉政策を憂慮してゐる人であれば、経営的にも孤軍奮闘してゐる日の目を見ない民間施設を応援すべきなのに、ここには全く目もくれなかったからです。


案の定、全国の都道府県全部の児相傘下の児童養護施設にランドセルなどが届けられた段階で、見事なくらいにマスコミの報道はピタリと止みました。そして、その翌日に、児相傘下の児童養護施設に予算を拡大せよとの論調が一斉に報道されたのです。そして、この平成22年以降に、児童福祉法の改正ラッシュとなり、児相の権限が強化されて行くのです。


この現象に賛同して追随した人たちは、このタイガーマスク現象を「仕掛けた組織」による政治的意図の実現に利用された結果になりました。つまり、この現象を仕掛けた組織は、児相関連の組織ないしはこれを擁護して推進する組織であつたことといふことは間違ひありません。


そもそも、児童福祉法は、GHQ占領下の昭和22年にできた法律です。それは、戦争孤児や浮浪児などを保護する機関として設立されたので、行きはぐれになつた親からすれば、児相が子供を一時保護(児童福祉法第33条)してくれて、その身体と生命を守つてくれたことに感謝した時代だつたのです。

しかし、わが国が戦後の復興を遂げ、高度経済成長を成し遂げた段階では、その役割は終はつたはずですが、行政組織の自己保存本能といふものは極めて強く、児相の組織についてもその例外ではありませんでした。


戦後の混乱期であれば、児童の生命身体を守るといふ緊急性に対応するために、適正な手続なしに、児相の所長の判断だけで児童を一時保護するといふ緊急事態に対応する制度の運用が許されても、その対象となる戦争孤児や浮浪児が激減し皆無になる時代になれば、裁判所などの公正な第三者機関の事前事後の許可や承認を得て一時保護をする制度に変更することは当然のはずですが、戦後の混乱期の緊急事態に対応する制度のままで現在も存続してゐるのです


一時保護は、児相の所長が必要と認めれば、裁判所の関与なくして2か月の長期に亘つて児童を拘束し、親と隔離ができるのです。しかも、親との面会や通信を全面的に禁止することができます。そして、それを2か月毎に際限なく延長でます。これにも裁判所などの許可などは全く不要です。「一時保護」の「一時」といふのは、その用語自体が誤つてゐるのです。


諸外国には、こんな途方もない横暴な制度はどこにもありません。アメリカでも、そして、トルコでさへも、児相(CGC)が独自の判断で児童を拘束できる数日間程度であり、それを延長する場合は、必ず裁判所などによる許可が必要となります。これが世界標準なのですが、わが国だけ異常な制度がまかり通つてゐるのです。


「一時保護」は「一時」ではなく「永久」であり、「保護」ではなく「隔離」です。反戦直後では親に「感謝」されたかも知れませんが、現在では親と「敵対」して一時保護がなされます。

厚生労働省の雇用均等・児童家庭局長が平成17年2月14日に発した「児童相談所運営指針の改正について」(雇児発第0214003号)に添付された「児童相談所運営指針」第5章第1節の「一時保護の目的と性格」の「3.一時保護の強行性」には、「一時保護は原則として子どもや保護者の同意を得て行う必要がある」としながらも、最近での一時保護は、「子どもや保護者の同意」なしになされるのが殆どです。「原則」と「例外」の逆転運用が公然と違法にまかり通つてゐるのです。


しかも、親元から拉致された児童が児相の施設内で虐待を受けてゐる事例が頻繁に起こつてゐます。新聞やインターネットなどでもそのことは周知されてゐることです。

私が受任した事件でも、親が子供を虐待した事実はないのに、子供の体に痣があつたといふことだけで親の虐待があつたと決めつけられて、親の同意もなく一時保護され、しかも、児相の施設内で保育士が児童を殴つて有罪判決が確定したにもかかはらず、それでも子供を拘束し続けたのです(これは事後において、児相がその非を認めて子供を親元に帰しました。)。

この子供は、痣のできやすい体質でした。つまり、これを診察した医師の所見によると、この子供は出血傾向(体質的に出血しやすいこと&出血すると止血しにくいこと)があり、子供が運動することによつて不可避的に起こりうる軽度の怪我(受傷)によつても、出血のみならず内出血を伴つて痣ができやすいことが証明されたのです。


このやうな児相の独断による子供の拉致は全国的に起こつてゐます。勿論、その中には、親が子供を理不尽に暴行、傷害をなし、殺した事案もありますが、そのやうなことは、刑事事件ですから、司法警察作用として警察が対処すべきものであり、行政機関の児相が所掌するものではありません。


ところが、警察が児相に虐待通告をする事案が年々増えてゐます。「虐待」とは、明らかに「犯罪行為」です。その犯罪行為を取り締まる警察が、犯罪行為を取り締まる権限のない児相に「虐待(犯罪行為)」を通告するといふことは異常とは思ひませんか?

警察は、児童が被害者となる犯罪行為を捜査することを放棄して、児相にその処理を委ねたことになります。これは、司法警察作用を否定し破壊する現象なのです。


どうしてそのやうなことになつたのでせうか? その原因は、予算制度にあります。


警察の予算は、総枠で決まります。任意捜査と強制捜査の件数とは無関係に、全体としての予算が決まります。逮捕件数に比例して予算が増加されるシステムにはなつてゐないのです。しかも、強制捜査については、令状主義で裁判所による厳格な規制を受けます。しかし、それでも違法捜査や誤認逮捕などの不祥事が根絶できないのです。


これに対し、児相は、一人の児童を一時保護と称する拉致をすれば、一ヶ月約40万円の「拉致報奨金」が自治体と政府から支給されます。児童を拉致すればするほど沢山の予算が増える構造になつてゐるのです。しかも、拉致することに裁判所の関与は全くありません。このやうな予算制度では、一時保護といふ拉致が急増することは必然です。これこそが権力の自己増殖本能の発現なのです。


このやうなことは、「児童の権利に関する条約」第44条や「世界人権宣言」など踏まへ、国連「子供の権利委員会」第54期の日本に関する最終見解において、その危険性が指摘されて改善勧告がなされ、さらには、DCI(Defense for Children International)やHRW(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)などによる同様の指摘がありました。

ジュネーブに本部を持つ子どもの権利のための国連NGOであるDCIの日本支部が発行してゐる機関紙「子どもの権利モニター」120号には、「刑務所にいる囚人のような扱いで、私語は禁止され、保護初日から薬を強制的に飲まされていた」と、誤認保護された子どもの声が掲載されてゐますし、さらに、児相が子どもに「お母さんに電話しても通じないし、通じてもお母さんは混乱していて話が進まない」と嘘をつき、「『お母さんは何もしてくれない』と思わせ、お母さんを嫌いになるよう情報操作をしていたとしか思えません。」とまで語つてゐるのです。


にもかかはらず、わが国政府は、これを全く黙殺し、「人権保護」を標榜する日本弁護士連合会や単位弁護士会も全くこれを無視し続けて「羊頭狗肉」の体質を暴露してゐるのです。


ところで、児童福祉法が制定された翌年の昭和23年に、GHQの占領下で制定された「警察官職務執行法」が制定されますが、その第3条には、「迷い子」などを「保護」する規定があります。昭和23年といふのは、児童福祉法が制定されたその前年の昭和22年よりも戦争孤児や浮浪児が激減した時期で、児童福祉法の補完として、行政警察作用としての「保護」制度が規定された訳です。この規定による「保護」は、24時間を超えてはならないもので、これ以上延長する場合は、簡易裁判所の裁判官による「許可」を必要とし、しかもその延長期間は「5日」を超えてはならないのです。

この警察官職務執行法の「保護」こそが本来の「一時保護」であり、児童福祉法の「一時保護」は「長期保護」と名称を変更しなければならなかつたはずです。いづれにしても、児童の「保護制度」について、児童福祉法と警察官職務執行法とは、著しくその制度と運用が異なり、現在もなほ明らかに「二重基準」(double standard)になつてゐるのです。


しかも、児相の一時保護は、その殆どの運用において、親との面会と通信を全部制限する措置が執られてゐます。これによつて親子の「完全隔離」をするのです。どうしてそのやうなことをするかと言へば、子どもが親元に帰りたいと希望することを親に知らせたくないからです。1か月でも長く子どもを拉致し続ければ、拉致報奨金が支給されて児相は利益を受けるからです。親元に帰りたいと強く要求する子どもが施設内で騒ぐと、施設の管理に支障を来しますので、これを押さえ込む必要があります。


そこで、子どもに、大人でも副作用が懸念される向精神薬を投薬して、子どもを騒がなくさせるのです。


児童虐待防止法が制定された平成12年に大量の向精神薬が認可されましたが、実際にあつた事案では、①オーラップ、②ミラドール細粒、③デパス、④リスパダール錠、⑤レキソタン、⑥デプロメール、⑦メプチン、⑧オノン、⑨ルボックス錠、⑩重質(カマグ一般名 酸化マグネシウム(カマ)、⑪レボトミン、⑫タスモリン、⑬ベンザリン錠、⑭ラキソベロン、⑮ホクナリン、⑯セルテクト、⑰キュバール、⑱アーテン、⑲強力レスタミンコーチゾンコーワ軟膏、⑳亜鉛華軟膏など児童に対して、危険な重い副作用のあるものを継続的に大量投薬してゐるのです。さらに、現在では、パキシル錠、エビリテァイ錠などの一段と危険で重い副作用のある劇薬の向精神薬を投薬するやうになつてきてゐます。


このやうなことについては、昨年6月に福祉社会学会が発行した『福祉社会学研究10』の「児童養護施設の職員が抱える向精神薬投与への揺らぎとジレンマ」と題する論文に、には、その赤裸々な実態が暴露されてゐます。


「なんでも症候群」と言ひますか、精神科や心療内科では、子どもに対して、多動性症候群だとか、発達障害だとか、愛着障害などと勝手な病名を付けて、子どもを何でもかんでも病気として決めつけ、そのことを根拠にいろいろな薬を投薬するシステムが出来上がつてしまつたのです。精神科医と薬屋(製薬会社)が結託して、向精神薬などを垂れ流し、大人も子どもリピーターにして巨大産業にのし上がつてきました。前掲論文でも、アメリカでそのことは問題となつてをり、「問題症状のある子どもをおとなしくさせるために向精神薬を使用することは虐待行為につながる」と指摘されてゐるのです。


このやうにして、親子が分断され家族が崩壊し、子どもの心身が壊されて行くのです。前回(「千座の置き戸」第12回「元号と皇紀と世界暦」)でも触れましたが、これは、ロシア革命においてレーニンの唱へる家族制度の廃止を推し進めたアレクサンドラ・ミハイロヴナ・コロンタイといふ女性革命家の政策、すなはち、家族制度は、封建時代の産物であり、かつ、資本主義の温床であるとした上で、資本主義社会における女性労働者の増加により家族の解体が進み、共産主義社会では、さらにそれが促進され、家事と育児の社会化によつて女性は解放されて家族は消滅するとする「女性解放論」を唱へて事実婚を奨励する政策が、時空を超えてわが国において、児相といふ尖兵によつて、家族の解体によつて個人主義を徹底させる革命政策以上のものが現代日本において推進され、祖国が解体されて行く姿なのです。


平成二十六年十月十五日記す 南出喜久治


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