自立再生政策提言

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第十七回 奴隷

ゐなかにて なりはひするは やそがみの すめばみやこの をしへにふしき
(田舎(稲処)にて農業するは八十神の住めば都(皇ば宮処)の教へに伏しき))


奴隷と聞くと、アメリカの奴隷制のやうな過酷な姿と固定的な身分制度を連想することが多いですが、ローマ帝国での奴隷とアメリカの奴隷とは大きく異なるのです。


ローマ帝国の奴隷は、一般には「市民」に雇用された家内労働者であり、「奴隷」は努力すれば「解放奴隷」になつたり、そして「市民」になることができるほどローマ帝国には身分的な流動性がありました


つまり、現代に置き換へれば、民間企業や自営業者に勤める「サラリーマン」(給料生活者)がローマ帝国の奴隷に近いのです。サラリーマンとは、和製英語であり、侮蔑的な意味もあり、さらに揶揄して「社蓄」(会社の家畜)とか「会社の犬」と侮蔑したり、あるいは自嘲したりすることがあります


「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ・・・」といふ歌は、高度経済成長期に大量のサラリーマンを輩出させて、侮蔑や自嘲からの解放を進め、分業体制を大きく推進させました。


しかし、そんな風潮の中で、自営業者たちからサラリーマンが、「サラリーマン」と面と向かつて呼ばれると、自分がサラリーマンであることは事実なのに、この言葉に対して極度に憤慨したり、自嘲的にこれを喜んで受け入れたりする人が居るなど様々でしたが、現在では、こんなことを侮蔑的に云ふ人もなければ、それを聞いて憤慨する人も殆ど居なくなりました。。


ところが、言葉といふのは不思議なものです。特に、「社蓄」といふ言葉は奴隷よりも著しく侮蔑的なのに、社蓄といふ言葉は受け入れても、奴隷と呼ばれることに極度の嫌悪感を持つ人が居るのは、奴隷といふ言葉に過酷なイメージを刷り込まれてゐるためだと思ひます。


しかし、言葉の感覚とは別に、ローマ帝国の奴隷が現代ではサラリーマンに似たものであることは、歴史的な比較認識からして常識です。サラリーマンの身分がローマ帝国の奴隷に等しいと聞くと、これに憤慨する人や、逆に、これについて何とも思はなくなつた人が居ますが、これらの人々の心の中に現代の病巣を見ることができるのです。


そもそも、私が実現目標とする自立再生社会には、サラリーマンは居ません。すべてが自営業者です。自給自足生活といふのは、見方を変へれば自営業者の生活といふことです。自給自足生活ないしは自営業者の生活に共通するのは経済的自立であつて、特定の企業や業者に従属、隷属する生活をしない自営者のことです。自営者は、自営のために必要最小限度必要なことと、さうでないものとが現実的に区別できます。

自己の労働と収入との直接的な対応関係を実感できるからです。ところが、現在の一般のサラリーマンには、それがありません。自己の日々の労働と月極の給料との間に直接の対応関係がないからです。会計学的に云へば、個別損益計算と期間損益計算との相違に似てゐます。


さうすると、一般のサラリーマンは、これからどうして行くのでせうか。嫌なことでも、雇主から命じられたことだけをすれば給料が入つてくるので、自己の行ふ日々の労働と、給料日にもらふ給料との対応関係がないために、無意識のうちに労働意欲や充実感が低下します。そのために、その欲求不満を別の方法で満たし、給料の獲得のために切り売りする労働とは別の労働によつて目に見える成果を求めて充実感を得たいために、自営者も驚くやうな特殊な趣味に走つたり、専門技術や資格の習得を目指すことになります。


ローマ帝国での奴隷は、まさにさうであつて、風呂や娯楽や酒に極度に耽つてみたり、余暇で専門技能を習得して専門家や学者になつて、解放奴隷、そして市民への道を歩むことがありました。


ところが、現代のサラリーマンの場合は、ローマ帝国での奴隷よりも、もう少し厳しい現実があります。コストを顧みず道楽で行つてきた趣味は、事業化するための採算性には程遠いものであつて、あくまでも趣味の域を出ず、これで自営者として身を立てることは不可能に近いのです。

また、専門技能や専門資格を得て自営者になること、いはゆる「脱サラ」を成功させることも至難の業です。つまり、ローマ帝国での奴隷が、同じやうにして解放奴隷になつたり、市民に昇格して自営者になりうる場合と比較すれば、サラリーマンが脱サラを成功させるには、余りにも狭き門なのです。


さうすると、大抵の人は「脱サラ」を諦めて、サラリーマンとして一生を終へることになります。さうすると、定年やその他の理由で退職離職するまでの間、「サラリーマンは気楽な稼業」と自分に言ひ聞かせ、大きく脱皮できない欲求不満の捌け口として、個人主義に走つて社会性を見失ひます。そして、文化伝統や祭祀などを価値のないものと否定したり、それを実践することを愚かなことであるかの如く揶揄して自己満足するやうになつてしまひます。

これは、心理学で云ふところの「防衛機制」(適応機制)といふ心の働きです。その結果、世の中を斜めに見て、周りを揶揄することを趣味化させ、確実に「ニヒリズム」と「唯物論」に至ります。これこそが現代社会を蝕んでゐる病です。


伝統や祭祀を守ることは、個人主義や唯物論から脱却し、いつか必ず自営者になつてみせるといふ勇気と志を常に高めるためです。「あすなろ」の世界であり、真の奴隷解放運動です。だから、このことからしても、その運動の基軸となる祭祀を疎かにしてはなりません。これが推古天皇の御詔勅の意味するところです。


推古天皇の御詔勅(日本書紀巻第廿二)とは、推古天皇15年2月(皇紀1267年)「戊子、詔曰、朕聞之、曩者我皇祖天皇等宰世也、跼天蹐地、敦禮神祇。周祠山川、幽通乾坤。是以、陰陽開和、造化共調。今當朕世、祭祀神祇、豈有怠乎。故群臣共爲竭心、宜拜神祇。甲午、皇太子及大臣、率百寮以祭拜神祇。(つちのえねのひ(九日)に、みことのりしてのたまはく、「われきく、むかし、わがみおやのすめらみことたち、よををさめたまふこと、あめにせかがまりつちにぬきあしにふみて、あつくあまつかみくにつかみをゐやびたまふ。あまねくやまかはをまつり、はるかにあめつちにかよはす。ここをもちて、ふゆなつひらけあまなひて、なしいづることともにととのほる。いまわがよにあたりて、あまつかみくにつかみをいはひまつること、あにおこたることあらむや。かれ、まへつきみたち、ともにためにこころをつくして、あまつかみくにつかみをゐやびまつるべし」とのたまふ。きのえうまのひ(十五日)に、ひつぎのみことおほおみと、つかさつかさをゐて、あまつかみくにつかみをいはひゐやぶ。)のことです。


ここで最も重要な部分は、「祭祀神祇、豈有怠乎」(あまつかみくにつかみをいはひまつること、あにおこたることあらむや)です。


これは、


かみがみの いはひまつりを おこたるは みことのりにも そむくことなり (神々の祭祀を怠るは詔勅にも背くことなり)


と言ふことであり、祭祀を日々実践することこそが、人生における自縛的な奴隷意識から自己を解放できる唯一の道であることを意味してゐるのです。

平成二十六年十二月十五日記す 南出喜久治


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